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瞬発力がディフェンスを突破する

もっと直感や感覚で生きたい。
感性をさらけ出して生きてみたい。
ある時からよくそんなことを思う。

自分はどこか計算というか、
放っておくと知識を利用してしまう癖がある。
より良く、より良くを考えてしまうから、
おかげで勉強は趣味のようになった。
(やりたい時にやっている程度ですが)
何をする時、話すときでも、
理論が理解できていないと嫌で、
下の表現が正しいかわからないが、
「左脳で動くタイプ」と言える。

どうしてこうなったのか?
自分では育ち方にあるような気がする。
幼い頃から失敗が怖かった。
よく怒られるからだ。
自分が悪いのはわかっている。
しかし、怒られるということが
極端に苦手で(得意な奴はいないと思う)、
それが嫌だから、失敗を恐れる。
たまにやりたい事をやってみる。
言いたいことを言ってみる。
でも、子どもの頃のそんな発想は大体
大人からしたらめちゃくちゃだ。
だから、そんな風に自分を表現した時に限っていっぱい怒られた記憶が残っている。

ある程度考えて行動するので、
当然失敗のリスクは減らせる。
周囲からもどちらかというと、
褒められるほうが多かったタイプだ。

しかしすべてを理詰めで考えていると、
本当に極端な言い方ではなく、
「自分はどう感じているのか」
が、わからなくなってしまうことがある。
例えば、
人とのコミュニケーションにおいても、
「この場合どう接するべきか」
と、どこかの会話術攻略本に
書いてあったことを思い出して喋る。
その時、もうそこに自分はいない。
もしかしたら会話内容に「めんどくせえ」
って思っていたり、
「すぱっと反対したい」
と思っているかもしれない。
しかし、当然だが人との会話では、
口調やタイミング、言葉の順番があり、
「言わないほうがいい」
と思うと、自分の意見を殺してしまうか、
言っても本音の言葉では言わない。

だんだん、僕は誰に対しても
本音で接してはいないんじゃないか。
そんなことを考えてしまう。
正直言って、今思い浮かぶ中でも
7人ぐらいしか、
本当の意味でリラックスして
接してると言える相手はいない。
家族ではなく、一部の友達だ。
他には気を使っているというほどでもないが、
多少気遣ってはいるのだと思う。

恐らく、感性で動く人よりも
ストレスは溜まりやすいんだろうなと、
こちら側の人間としては思う。
実際はそうでもないらしいけれど。
また、何かの決断も遅いし、
自らの持つ少なからずの芸術センスも、
本領発揮するには至らない。
どこかで、感性ではない何かを出してしまう。
立派な人間に見られたいだとか、
そんな具合の余計な考えだ。
プライドは捨てたはずだったけれど、
実はそうでもなかったらしい。
恐らくあと何回か、
呆れられる瞬間が必要だ。

僕は色々考えた結果、
これからはもう少し感性で
生きてみようと今は思う。
少々バランスよくもっといたほうが、
人生を豊かにすると思う。
っとか何とか考えてることが、
まず左脳での判断なんだけど。

とにかくそのためにバンドでもしてみようか
とか、そんなことまで言い出している。
ブログの再開にもそんな意味合いがある。
しかし、そこでも僕は理詰めを追ってしまう。
作詞を担当していた時も、
記事をこうして書いている時も、
どうしても感性そのままでは書けない。

ラグビーでも勘と筋力で
「瞬発力」を高めれば、
いつしかディフェンス同士の細い隙間を
突破できるようにもなった。
瞬発力は突破力である。
しかもそれは僕の得意なプレースタイルだ。
そんなことを書きながら思い出したら
なんとなくやる気が湧いてきた。
とにかく今はプリンが食べたい。