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一子相伝の技を受け継ぐ / 三川内焼職人・今村ひとみインタビュー

なんともいえない愛らしさ「舌出三番叟人形」

首ががらがらと動き、少し顔を振ってみると「あっかんべー」と舌が出てくる、なんとも愛らしい、焼き物でできた猿のからくり人形をご存知ですか?

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取材のきっかけとなったのは、佐世保の骨董品屋さんでこの人形を見つけたことでした。見つけたときにはじめて人形の存在を知り、「こんな遊び心のある焼き物が高い技術で作られている。どこで作られている焼き物なのかな?」ととても気になり、産地を調べてみることに。

するとなんと波佐見町の隣にある「三川内」という場所で作られているということが発覚!すぐ近くの産地なのに、知らないことが多いな~としみじみ。今でも作っている窯元が1軒だけあると知り、訪ねてみようと思いました。

「舌出三番叟人形(しただしさんばそうにんぎょう)」は長崎に伝わる郷土玩具のひとつ。

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江戸時代には「首が廻り舌を出す」というその面白さが平戸藩主のみならず、長崎に滞在していたオランダ人の間でも話題になったほど。舌出し三番叟人形の人気さに目をつけた佐賀藩は、1867年に開催されたパリ万国博覧会に人形を出品。ナポレオン3世の皇后ウージェニー妃の目に留まり、大量に買い求められたという逸話も残っています。

今回、舌出三番叟人形を江戸時代から作り続けている「嘉久房/平戸窯悦山」の15代目平戸悦山嗣・今村ひとみさんにお話を伺ってきました。

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そもそも「三川内焼」とは?

インタビューの前に今村ひとみさんが作り続けている「三川内焼」について説明いたします。

マルヒロのある波佐見町の隣に「三川内(みかわち)」という焼き物の産地があります。今村ひとみさんはこの地で三川内焼を受け継ぐ職人のひとりです。

三川内焼には約400年の歴史があり、かつては平戸藩の御用窯として幕府に献上するための焼き物を生産。長い歴史の中で培われた高度な磁器製作技術は現在でも受け継がれ、2016年には「日本遺産」として認定されました。

隣町に位置する「波佐見焼」と「三川内焼」。どのような違いがあるのでしょうか?

「波佐見焼」は庶民のための日用食器として大量生産され、一方で「三川内焼」は平戸藩の御用窯として幕府に献上するための高級品を生産してきました。

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(今村均作「菊尽しボンボン入れ」)

三川内焼を作る技術は「秘法」であり、一子相伝の慣習を守り続けています。舌出三番叟人形の作り方においても「嘉久房/平戸窯悦山」に代々伝わる秘法で、現在では、ひとみさんとひとみさんのお父さんである今村均さんだけが作ることのできるとても貴重な郷土玩具なのです。

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三川内焼を作る窯元自体が少なく、現在では約20軒ほどしか残っていません。伝統を守り続け、三川内焼の新たな可能性を追求する今村ひとみさんとはどんな人なのでしょうか?三川内焼にかける想いなどを話していただきました。


今村ひとみさんについて

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――幼いころからずっと陶芸をされていますね。

小学校低学年の頃には、アクセサリーや葉っぱ形の小皿を作っていました。陶器市では父の作品の横で「ひとみの店」という名前で机を出して、作った焼き物をお小遣い稼ぎに販売していました。その後、有田工業高校デザイン科に進み、有田窯業大学校にて焼き物全般を学び、卒業後は他業種のアルバイトをしながら家業を手伝い、合間に自らの作品に取り組んでいました。2年間、陶芸教室で先生をさせてもらって、その後、結婚をして大阪に。今では三川内と東京を行き来しながら作陶しています。

小さなときから、とにかく「ものを作ること」が好きでしたね。習いごとはスイミングとかそろばんとか、海洋少年団(ボーイスカウトの海版のようなもの)とかいろいろさせてもらったのですが、どれも続きませんでした。


――物心ついたときから陶芸をしていて、今でも続けているのですね。ひとみさんが焼き物の世界に入るきっかけとなった、お父さんである今村均さんとはどんな方ですか?

「美しいものを作る人」ですね。そしてなんといっても「あきらめない人」です。できるまでする、途中でやめない。それがいいのか悪いのか分からないけど、父の代表作である「虫かご」は何年も技術を積み上げて作りました。

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(画像提供:「嘉久房/平戸窯悦山」)

――この虫かご、焼き物とは思えないほどの精巧さですね!「虫かご」についてお尋ねしたいのですが、どういったきっかけで作るようになったのでしょうか?

台湾の故宮博物院に翡翠でつくられた虫かごがあるらしく、お客さんに「磁器でできた虫かごを見たことがないから作って」と言われたことがきっかけでした。ひご(籠や提灯の骨格)をまっすぐ立てて、やきものでリアル虫かごを作るという技術を得るのに、何回も失敗して、ようやくできたのが3年という月日を経てからでした。

その後も完成度を高めるために、いろいろ試行錯誤して、作品として美しいものができるまで5年はかかりましたね。最初は作っても組み立てが上手くいかず壊れたり、全部ぐしゃっとなって出てきたり。その都度技術を修正してできた虫かごなんです。乾燥具合とかを見計らいながら、目算しながら完成度を高めていきました。父はあきらめませんでしたね。

明治時代にも虫かごの作品が残っていますが、それはひごが短いものを組み立てたものでした。長い一本のひごを使い作る技術は父が積み上げた技術です。正直、制作過程を見続けていても分からないです。父にしかできない技術ですね。

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(今村均さん作「白菜蟋蟀(コオロギ)香炉」。白菜のみずみずしさ、葉脈の写実的な表現、蟋蟀の触覚や脚の棘など細部まで、捻り細工により精緻に表現。ながさきの伝統野菜「辻田白菜」を題材に制作、蟋蟀は子孫繁栄、白菜は清廉潔白を象徴している。中国語で財を集めるという意味の「百財(バイカイ)」と「白菜(バイカイ)」の音が似ているため、大変縁起が良いとされている。)


――お父さんのあきらめない精神というものは、「虫かご」に如実に現れているように思えます。そんなお父さんの背中を見てきたひとみさん。

先ほどのお話の中で、結婚の後、三川内と東京を行き来しながら作陶を続けているとお話しされていたのですが、「結婚」という人生の一つの大きなポイントで「陶芸をやめる」という選択肢もあったのではないかなと想像しています。今日までやきものを続けている経緯を教えてください。

そうですよね。それは本当に幸せなことで、主人と主人の両親の応援があったからできることなのです。「お父さんが元気なうちはお父さんの下で焼き物の勉強をしなさい」と言ってくれて、それを真に受けたという感じです。

主人と主人の両親の理解と応援がなければ、私は今こんなにいきいきとしていないと思う。

父の技術の貴重さを理解して下さっていて、恵まれた環境で過ごせていると実感しています。全力で応援してくれていて、主人や主人の両親がときどき三川内に来てくれたり、展示会があれば手伝いに来てくれたりします。感謝しかありません。


――とても素敵な方々に恵まれていますね。一子相伝で受け継がれている三川内焼も、今では続いている窯元が20軒ほどと聞きました。三川内焼を受け継いでいく人が減少している中、三川内焼を続ける想いを聞かせてください。

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この場所に歴史と文化があって、応援して下さる方がいて、父の作る作品が好きだから続けられているのだと思う。好きだという強い気持ちがあれば、「つないでいける」と思います。

父がこんなに素晴らしい技術を持っていて、その美しいものを作るということを応援し、支えられるのは私しかいないと思っていて。もちろん母が一番支えているのですけどね。父の作品を多くの人に知ってほしいし、父を手伝うことで私の今後の力になると思うのです。

仕事は見て、聞くだけでは分からないから、一緒に生活して、作品が出来上がるところからずっと見ていける環境はすごく贅沢だと思います。だって学校で教えてくれることではないですからね。


「舌出三番叟人形」とひとみさん

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(一番左:出土した人形の胴体、左から2~5番目:ひとみさん作/制作順、右の2つ:今村均さん作)

――嘉久房/平戸窯悦山に代々伝わる「舌出三番叟人形」についてお聞きしたいと思います。人形の表情やサイズなど、お父さんの作品とひとみさんの作品は全く同じというわけではなく、それぞれ個性があるように見えるのですが、なぜでしょうか?

舌出三番叟人形は一子相伝の技術で作られている人形ですが、作るのは本当に難しい。父が作るのをずっと手伝っていて、自分の舌出人形を作ろうと思ったのが2015年。最初、作ったときは、舌が抜け出したり、舌がくっついて出なかったり、作るのにすごく苦戦しました。父が「こういう風にしてみたら?」とアドバイスをくれ、試行錯誤しながら作りました。一番最初に作ったものは「顔がかわいくない」と思い、あまり納得できませんでしたね。

自分の作る人形に納得できていないときに、滋賀県にあるミホミュージアムに行きました。その時に偶然、「猿楽と面」という特別展があって、祭礼に使われた面がたくさん展示してあり、舌出人形のモデルにもなっている「三番叟(能楽の儀礼曲の一部)」の面も展示されていました。その三番叟のお面のキャプションに「三番叟の面の特徴に『福々しい顔』」と書いてあり、その時に「福々しい顔って何?」って思って、自分なりに「福々しい顔」というものに向き合ってみました。

嬉しい顔って、頬骨が上がった顔かなと思い作ってみました。猿が笑った顔は見たことがないけれど、猿もおそらく笑ったら頬が上がるのでは?という想像のもと作ってみたのです。舌出三番叟人形の「烏帽子をかぶって、袴を着て、鈴と扇を持ち、首が回って、首を引っ張っても抜けない、舌が出たり引っ込んだりする」という基本スタイルは守って、自分なりの舌出三番叟人形を完成させました。

三番叟は伝統芸能の舞踏で、おめでたいときに踊られるもの。そういった文化を大切にしないといけないのではないかなと思ったのです。


――サイズについて、お父さんが作ったものと比べてみると小さくなっているように見えるのですが、なぜですか?

工房裏の土手の上に昔、登り窯があったんです。土手にはものはら(焼き損ないの製品を捨てる場所)があって、大雨が降ると、トンバイ(登り窯を築くために用いた耐火レンガ)や昔の焼き物の破片が転がり落ちてきます。その時に、舌出三番叟人形の胴体が出土して、サイズを見てみると少し小さかったのです。出土した胴体を見て、「あっ!このサイズでつくってみよう!」と思い、私の作る人形は少し小さくなっています。


――出土した昔の焼き物からインスピレーションを得たんですね。

そうですね。いろんな陶片が出てくるのですが、舌出人形の胴体は出てきても、人形の頭はつぶれたものしか出てこないのです。これまで、烏帽子の破片などはあっても、顔全体がきれいに残っているものを見たことがないです。なぜかというと、作り方が外に知られないように、不出来で舌が抜けたりした三番叟などがあると、技術が盗まれないように先人たちが顔をつぶしてから捨てるようにしていたようです。今でもそのようにしていて、舌出人形はハンマーでつぶしてからしか捨てません。


――秘法を守るために昔からそのようにしていると聞いて、先人たちが守ってきた舌出三番叟人形が歴史的に計り知れない価値を持っているものだと改めて感じ、鳥肌が立っております。

先人から受け継いだ技術にとどまらず、自分なりに新しい舌出三番叟人形の可能性を追求するひとみさん。これから人形を作っていく中で挑戦したいことなどありますか?

今、挑戦しているのが、もう一回り小さい舌出三番叟人形を作りたいなと。小さい舌出三番叟人形を作りたいなと思ったきっかけになったのが、「根付と提げ物展」という展示会に行ったことでした。根付とは現代でいうストラップの飾りみたいなものです。

根付の展覧会を見に行くと、必ずといっていいほど平戸焼・三川内焼の根付や舌出人形の根付があるのです。親指くらいのサイズで、とても小さいので作るのはすごく難しかったと思います。


――できたら見てみたいです!!!

そのうちにね!


――「舌出犬」も作られていますね。これはどういった経緯で作るようになったのでしょうか?

舌出人形が、舌が抜けないとか歩留りが良くなったという意味で上手に作れるようになって、この技術を他にも使いたいなと思っていました。そんなとき偶然、東京国立博物館で行われていた特別展「運慶」で、京都・高山寺の木彫りの子犬を見て、「うわ!かわいい!なんてかわいいのだろう!」と思いました。ちょうど戌年が近づいていたので、ピッタリだと思い、犬の舌出人形を作りました。去年の5月に高山寺を訪れ、モデルにさせていただいた報告も兼ねて、奉納させていただきました。

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(少し人形を振ると舌が出てくる仕掛け)


今後について

――舌出人形以外にも、干支の置物や玉子白身の箸置きなどを作られているひとみさん。見てみると現代的なデザインのものが多いように感じます。影響を受けているものなどあるのでしょうか?

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(2014年の午年から限定で製作している干支コレクション)

一般的にありふれた干支を作ってもなぁ、という気持ちがあって。現代的なのか分かりませんが自分の今の表現方法がこのような感じです。私なりの表現です。

箸置きシリーズは、干支の置物と一緒にその年の干支に関するものをモチーフにして作っています。お正月に干支にまつわる箸置きでおせちをいただいたら楽しくなると思いませんか?食事は胃を満たすだけのものではなくて、心を満たすものでもあり、誰かと一緒に食事をすることも豊かな気持ちになると思っています。

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(亥年に作った箸置き。亥、猪、牡丹肉…ボタン!ということにちなんで、洋服のボタンにしたそう。また、ハート柄は昔からある神社仏閣にある飾り文様である「猪の目」から来ている)

お料理で会話が成立することもあるけれど、箸置きがカンバセーションアイテムになったらいいなと思っています。箸置きを季節によって変えたりすることで、豊かな気持ちになります。年中使える万能な箸置きがあってもいいけれど、私は箸置き一つで会話がはずんだらいいなと思っていて、だから毎年干支の置物と一緒に箸置きもつくっています。

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「玉子の白身箸置き」は酉の年に作ったもので、「酉、鶏、ひよこ、卵…」と考えていたときに「玉子!」と思って、サラダを作ったときに、4つ割にしたゆで玉子の黄身が必ずいなくなっちゃうよな~と。「白磁でゆで玉子の白身をつくったらかわいいのでは?」と思って作りました。4個でワンセットなので、5人家族の人は困りますよね。(笑)

毎年、干支にまつわる箸置きを楽しみながら作っています。毎年箸置きを考えるのは、自分への課題のような、プレッシャーにもなります。


――ゆで玉子の白身箸置きは初めてみました。アイデアの浮かび方がとても個性的で、次の年にはどんな箸置きが出るのだろう?とワクワクさせられます。

これからのどんな風にひとみさんは三川内焼に向き合っていくのでしょうか?

これからも続けていきます。生涯の仕事だと思っているので。私の使命は、父の素晴らしい作品を多くの人に知ってもらうことだと思っています。父の手仕事の中に「捻り細工」という、伝統的な技術があって、それを自分のものにしていく。その先は分からないけど、やっぱり作ることが好きだから、作品を作り続けていくのだと思います。

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【嘉久房/平戸窯悦山】
長崎県佐世保市三川内町692
Tel. 0956-30-8520
e-mail:hiradoetsuzan@gmail.com
facebook:http://www.facebook.com/kakufusa.porcelain/
Instagram:https://www.instagram.com/kakufusa_porcelain


edited by:衞藤

400年続く焼き物の町、長崎県波佐見町を拠点に、有限会社マルヒロが運営するカルチャーメディアです。 波佐見町のひと・こと・長崎についてなど、マルヒロから広がるつながりを、ときにまじめに、ときにゆるくお伝えしていきます。私たちを取り巻く日常を一緒に歩いてみませんか?