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茶器陶工 林潤一郎インタビュー②

「茶器陶工 林潤一郎インタビュー①」では、林さんが焼き物の世界に入ったきっかけ、様々な葛藤を経て「焼き物を辞める」という決断をしたこと、そんなとき偶然出会った「蹴ロクロ」など、様々なお話を聞かせていただきました。後半では、「茶器陶工 林潤一郎」になるまでのストーリーをお話していただきました。

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「急須」を見つめなおす


「茶器陶工 林潤一郎インタビュー①」で、蹴ロクロを使えるようになって、蹴ロクロで作ることが難しいとされる「急須」にあえて挑戦しようと決意されたとおっしゃっていましたね。その後、どうなったのでしょう?

急須まっしぐらに稽古をしている中、展示会をやってみないかというオファーをいただくようになりました。蹴ロクロの実演・販売という形でさせていただいて、やはり珍しいのでお客様が「何だろう」というような反応で寄ってきてくれました。

でも、パフォーマンスだけで終わってしまって、物は動きませんでした。遠くは広島・岡山まで行っていたのですが、蹴ロクロ実演台を車に乗せていくと、どうしても経費がかかってしまって。このとき35歳で、実演を兼ねた販売会を2年くらいさせていただきました。

実演をしながらお客さんと会話が出来て、「こういうものが欲しい」といった声を自分の作品に反映させていきました。実演をしながらの販売会は今になっても無駄ではなかった。

急須だけの作家職人となると、常滑とかの方が知名度があって、やはり知名度ある信用できる急須を扱いたいという人が多いです。「九州の急須」と聞くとピンと来ない。

この辺りから「蹴ロクロの中で何を作ったらいいだろうか?難しいものに挑戦しよう!急須だ!」という自分本位な方向性に気付き始め、「急須という道具をもう一回見つめ直して、蹴ロクロと1つになりたい」と思うようになりました。

例えば人間だったら「私たち2人で1人ね。2人で1人だから一緒にやっていこうね」みたいな。そういう関係を蹴ロクロと作っていきたいなと思いました。

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ー「急須」というものを見つめ直すことで、それを作る林さんと蹴ロクロの関係を深めるということですね。

はい。昔、中国から入ってきたお茶文化の茶器はだいたい大きさ・容量・サイズが決まっています。私はそれを裏切って急須を作っていたわけです。問屋さんやバイヤーのリクエストである「蹴ロクロらしさ」を求めすぎてしまったことがお客さんには受け入れられませんでした。

自分本位な方向性に気づいてから、急須の知識・技術を高めるために、お茶農家さんと仕事をしていった方がいいのではないかという見解を出しました。

幸い、波佐見近辺には野々川地区・鬼木地区、佐賀には嬉野、福岡には八女、鹿児島には霧島とお茶農家さんが九州にたくさんいました。九州のお茶文化に気づいたときに、別に波佐見でなくてもいいからと思い、東彼杵のお茶農家さんや、八女のお茶農家さんのもとに「作った急須をよかったら使ってみて下さい。お代はいりませんから。使っていただいて、いいところも悪いところも諸々感想をお聞かせ願えれば幸いです」と言って手配りで持っていきました。それから1年くらいして、あるお茶農家さんから連絡をいただきました。

ー1年!かなり待ちましたね!(笑)

待ちました(笑)。1年くらいして連絡していただいたお茶農家さんから「もしよかったらうちで扱いたい」と言っていただき、ようやく蹴ロクロで急須を作ってきたことが実ったかなと。

お茶農家さんは品評会で農家さん同士会う機会が多く、「お宅の急須はどちらのものですか?」と聞き合うんです。そこでオーダーをくれたお茶農家さんが「波佐見の林さんの急須」といろんなお茶農家さんに紹介して下さって。そのことがきっかけであちらこちらのお茶農家さんから「オーダーしたい」と言っていただけるようになりました。


お茶を淹れ、道具を奏でる


ーお茶農家さんから注目を集めるようになり、「蹴ロクロで急須を作る」という林さんの挑戦はここで一旦完結したように見えます。最近のインスタグラムや展示会などで「ティーストレーナー」という新しい作品を拝見しました。これまで見たことのない形の茶漉しで、ティーストレーナー同士を重ねることで、異なる茶葉をブレンドして淹れることもできるとか。

「ティーストレーナー」が生まれた経緯を教えて下さい。

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ティーストレーナーはお茶農家さんがお茶を淹れる所作から着想を得ました。お茶農家さんのもとに行くと、いつもお茶を淹れて下さるんです。お世話になっている東坂茶園の東坂さんがお茶を淹れられる所作がものすごくリズミカルで。私たちだと3分茶葉を蒸らすとなると、何もせずに黙って待つと思うのですが、東坂さんはその3分のあいだ、お湯を冷ましながら淹れていきます。

まずカップにお湯を入れて、カップから別のカップにお湯を入れて、そのカップからさらに別のカップに移して…を繰り返すとお湯が自然と冷めていきます。東坂さんはお話をされながらリズミカルにお茶を淹れていく。その光景を見たときに「急須だけよりもお茶を淹れる道具があった方が、3分間待つだけではなくて、お茶を淹れながら道具を奏でて、所作を見つめなおすことができる」と思いました。

その「お茶を淹れる道具」というものがティーストレーナーに繋がりました。リズミカルにお茶を淹れる3分間に会話をしながら、でも目線は手先にいっているわけです。所作を見ながら会話をしていると、自分の目の前にお茶がくる。その瞬間、感動するんです。ここまでして作っていただいたお茶は絶対美味しいよねって。

もしそういう道具を蹴ロクロで作ることができれば、九州ならではのお茶の道具を生み出すことができるかもしれないと思いました。

「自分は自分」というものづくりのどっしりとした芯が出来たのは、お茶農家さんと仕事をさせていただいた40代前半のときからですね。

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「茶器陶工 林潤一郎」


ー林さんご自身のものづくりのスタイルが確立していったのが40代前半で、そのあたりから「茶器陶工 林潤一郎」になっていったということですね。

そうですね。そのあたりからです。

ー林さんの急須の特徴に「茶畑の土を使う」ということがあると思うのですが、そのあたりはどのようなことがきっかけになったのでしょうか?

お茶農家さんと仕事をさせていただくようになってから気づいたことですが、お茶農家さんは朝・昼・晩と茶畑に様子を見に行かれるんです。誰かお客さんがいても、少し強めの風が吹いてきたなと思うと、茶畑の様子が気になるから畑に行ってしまうんです。

その感覚は私たち焼き物づくりをしている人間にもあります。焼き物を接着するときは、湿度などをとても気にします。お茶農家さんの姿を見たときに、ものすごく茶畑に愛情を注がれているな~と思いました。

茶畑の土があるから葉っぱがあるわけで、私たちも土があるから焼き物ができる。そこでもう一度、原点に戻ってみようと思い、「土」というものに着眼しました。

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この辺りも石が取れるので、地元・三股の陶石を使ってもう一度挑戦してみようと。さらに、東彼杵の茶畑、嬉野の茶畑の土もいただいて、それで急須を作ろうと思いました。

自分で一から土を作って、お茶農家さんと同じ立ち位置になりたいと思ったんです。土を介して、お互いに話ができる。三股の石と茶畑の土を使って茶器を作って、一緒に販売していくことに大きな意味があると思いました。

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故郷・三股


ー「同じ土を介して、茶葉と茶器ができ、また一つになる」という最初に私が衝撃を受けた林さんの茶器へのこだわりの答えがやっと分かりました。

現在48歳で、デビューも当然ながら遅かったですし、いろいろなドラマがありながら、今のものづくりの立ち位置にならせていただいたのですが、やはり今思うことが、静庵を作ったときに書いた言葉、

此処に生まれたことに感謝
此処に全てを託す
此処は古窯山三股

がひしひしと、やっぱりここ三股でないと、ここだからこそ、今の気持ちに至ることができていると感じています。ごくごく自然の中に深く感謝をできるようになったと思います。

自分の路線に迷う人が多いと思います。自分自身もそうでした。でも10年続けてみたら、自分を信じてやってきてよかったと思えるようになります。そこまでの辛抱は自分だけのものではなく、家族とか、支えていただいている身の回りの方の御恩があります。

焼き物を作るときに使う水も、飲料水も全て、静庵の横にある川から汲んでいます。水とかごくごく自然のものに感謝ができるようになると、ここでものを作る意味も多くの人に伝わっていくのではないかと。急須もそういう方のところに嫁いでいってくれるだろうなと思います。

ー完

text by : 衞藤

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400年続く焼き物の町、長崎県波佐見町を拠点に、有限会社マルヒロが運営するカルチャーメディアです。 波佐見町のひと・こと・長崎についてなど、マルヒロから広がるつながりを、ときにまじめに、ときにゆるくお伝えしていきます。私たちを取り巻く日常を一緒に歩いてみませんか?