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ゲイに慣れる

自分がゲイであることにかなり慣れてた。ちょっと変な表現ではあるのだが、自分がゲイであることを悩ましく思っていた時期はやや昔になりつつある。それは僕が受けれたという事かもしれないし、ゲイに「染まって」いったのかもしれない。表現はいろいろだけれども、事実、僕自身は変わっているようだ。

当初、ゲイの人のオープンな性事情を聞いてはドン引きしていたり、敵視していたけれども、最近は「別にええか」と思えるようになった。僕だってエロ動画くらい見る。勝手に敵視し、勝手に悩んでいては終わらぬ一人芝居を繰り広げているようでもあったけれど、僕の中から争う必要のない敵がいなくなったのなら、それは心の平和に一歩近づいたということだろう。そもそも、多くの人の中ではそんな敵は存在しえていないのかもしれない。いや、人によって敵はそれぞれ存在しているか。とりえあず僕にとっての敵が、一つ、僕の世界から消えていった。憎しみは何も生まない。アーメン。ハレルヤ。

北海道での仕事がおり、9月中旬に地元に帰ってきた。久しぶりに恋人と会う。相変わらずだった。以前テレビで流行った白い秋田犬「わさお」に顔が似ている。ややぽっちゃり体系だ。数か月前に「本気で痩せる!」と息巻いていたけれど、相変わらず丸い胴体だった。変化を見つける方が難しそうだ。この「本気で痩せる」は、付き合ってから4年間に何回も聞いた。いつも言うだけなんだよなーと、心の中でぼやく。

最近、「わさお」に関する恋愛相談や不満は、大学の同期にするようにしている。その方がみんな僕の性格をわかっているし、相談すると大抵僕を悪者にしてくれる。

「それはお前が悪い」「察してやれ」「伝え方が悪い」「わかってやれ」

と言われた方が僕としては気楽だ。僕が悪いなら僕に認識を変えればいいのだから、相手の行動を変えるよりもやり易いし平和的である。そのまま笑い話として話せる。友人たちは僕と同じ価値観で、そのまま相談に答えてくれる。

相談すればするほど、僕の恋愛がいかに幼いかを思い知らされる。かつて付き合っていた人(女性)とは、特に言い合いをしたことが無かった。僕がそんな真剣に相手を気にしてなかったのだろう。恋愛は人を大人にするというが、僕はその経験が欠け、幼稚な28歳になっているようだ。ストレートの友人とゲイの僕が同じ机の上で恋愛話をして、僕は遅ればせながら、やっと「よくある恋愛」というのを体験できたのかもしれない。

今まで、自分は恋愛相談ができる相手が周りにいないと思っていたけれど、そんなことは無かったようだ。僕の勇気が足りなかったらしい。

「今度さ、わさおさん連れて登山行こうぜ」「わさお道具持ってないよ?」
「買えばさ、これからのきっかけにもなるでしょ。テントとかはあるし。」「ちょっと聞いてみるけど…なんでお前の方が乗り気なん…」

地元に居るのもあと2か月だ。そうしたらしばらく、いろんなものとサヨナラだね。