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「優しさ」が怖いと思っていた。人のやさしには「下心」が必ずあると決めつけていた。「優しさ」は「許すこと」と勘違いしていた。「優しさ」と「お金を稼ぐ事」は比例しないと疑っていた。「時代が変化する」と「やさしさの価値」も変化するのだろうか?

わたしは、人に「優しくされること」が苦手だ。

正確にいうと『気を遣う』ことを「強要されている」行為に嫌悪を感じる。

※あくまでも「わたし個人の【捉え方】」を書きました。
長文のため、目次を用意いたしました。
お急ぎの方は「『HSP』という【概念】を知ったこと」へお進みください。
筆者の結論はここです。

差別や議論を望んではいません。
また、誹謗中傷をしたいと思っての執筆ではありません。


『忖度』さん

『忖度』・・・わたしにとっては嫌味や冗談で遣う言葉だ。

わたしは、『相手のこと』を思いやる『気持ち』は大切だと思う。
しかし、本当に『自分以外の人』の「考え方」や「気持ち」を
全て考えることができるのだろうか?

その人にとって「してほしいこと」と『優しさ』が一致するとは限らない。

だから、『忖度』することが『優しさ』と考えることができない。

『空気』を読む!

『空気は物質ではある』けど、『肉眼』では「見えない」。
『風』や『気圧』で「感じる」ことはできても、読むことは不可能だ。

【屁理屈】を「並べている」ことは理解した上で、率直に言っている。

とくに、『団塊の世代』を中心とした『日本高度成長期』を実現させた方々、
『日本の伝統・しきたり』『地域の常識』『県民性』の考え方が、

「ヨクワカラナイ」・・・全く知らないとは違う。

時代背景や歴史、『生まれた理由』『その時代に必要だったこと』を理解した上で、『強要される』ことに対して、『【非常識】をラベリングされる』ことに。

だから、わたしは「これが『やさしさ』ですよ」という事例がとても嫌いだ。

例えば、
『お年寄りに席を譲りましょう!』『歩行者がいたら車は必ず止まりましょう』
『年配者の言う事は、しっかり聞きましょう』
『社長や上司が言っていることが間違っていてもその通りにしましょう』
『お年寄りを大切にしましょう』『障碍者を手助けしましょう』
『社会的弱者を守りましょう』

『文字』にしても『言葉』で発しても、『良いこと』と感じる。
しかし、よくよく考えると少しおかしいと思う。

ここで、誰かと議論したい訳でもないし、
『御年配の方』『障がい者の方』『社会的弱者』を蔑ろ(ないがしろ)に
したいとは思わない。

逆に【適切な】【最適な】【必要なことを】【大切にしたい】と思っているし、
必要な時は、「自分を犠牲にして」でも手助けしたいと思う。

「わたしの【脳】がこう『感じる』ということ」です。
あくまで「わたしが『感じる』プロセスの『話』」です。


『下心』と優しい言葉

「がんばっているね?どう、何か困った事はない?いつでも相談に乗るよ!」

わたしは、このフレーズを聞くと、『弱み』や『弱点』、『苦手なこと』を
『優しさ』に「【隠して】聞き出そう」
としていると感じてしまう。

まず、分解して、わたしの【脳】のプロセスを説明すると、

「がんばってるね?」・・・『上から目線』で「しっかり仕事できてるね」と
言っている。「わたしが『サボっていたら』、どうなのだろうか?」と疑う。

「どう、何か困った事はない?」・・・『困っていない』と『だめ』なのだろうか?。「わたしを『困らせる』ような『人』『仕事』『ルール』がある」と
いうことなのだろか?

「いつでも相談に乗るよ!」・・・『相談』したら『困る』ので、『逃げます』から、『相談しないで』と聞こえる。また、『相談』を『受けること』で、
自分は『優しい人』と思ってほしい。『話を聞くこと』で『情報』が聞ける。

わたしは【悪い方】にしか『感じる』ことができない


『失敗』の『許容』は『優しさ』なのだろうか?

未だに、『失敗』や『間違い』に対して、『指摘しないこと』が『優しさ』として認められていると感じる。

確かに「あなた間違ってますよ!」「なんでこんなミスしたの?」
「何をしてたら、この結果になったの?」「失敗するなんてばかだよね?」
など、こんな【言い方】をされれば、それは『パワハラ』、『いじめ』と
受け止められても仕方がない。

【指摘の仕方】は『いろいろ』あると思う。「コーチングやティーチング」の書籍などが世の中には溢れている。いくらでも方法は見つかる。


ですので、『わたしが思うこと』は、
「失敗は誰でもするから、仕方がないこと」「そんなに指摘しなくても」
「誰かがカバーすれば良い」「できる人がすれば良い」
という『他力本願』的な『捉え方』が「嫌い」だ。

少なくとも、「叱られるから、注意してやる」
「『誰々さん』に怒られたくないから、真面目にやる」
「『誰々さん』に怒られたから」など、
監視する人がいるから『失敗しない』といった『風潮』が理解できない。


『お金』と『優しさ』

わたしは、『お金』を稼ぐ事と『優しく』することは別のことと思っている。
確かに『寄付』や『無償』で『人の手助け』をすることができると思う。
人間には『お金』が【必要】である。小学生でも知っていることだ。

しかし、本当に『お金』を渡すことが『優しさ』なのだろうか?

様々な『震災』や『災害』などの『天災』に見舞われ、『財産』を失った場合、
今日、『食べるもの』さえ不足している状況においては、【必要なこと】だ。

わたしもすぐに寄付や必要な物資を送りたいと考える。
そこには、『やさしさ』があると思う。

ほとんどの人が【労働】によって、『収入』を得ている。会社へ出勤し、自分の仕事をし、給与やボーナスを得ている。しかし、『全員が同じ収入』ではない。

また、意外と議論にならないが、社会保障も変わってくる。
『雇用保険』にしても、『年金』にしても、【収入が多い】方が、多くなる。

例えば、「毎日、笑顔で、みんなに挨拶するおばちゃん」と
「いつも、顰めっ面していて、高圧的な人」では、『優しさ』を感じるのは、
ほとんどの人が前者というと思う。

しかし、収入は全く関係がない。
もしかしたら、後者の『顰めっ面で高圧的な人』が『会社の社長』で、
前者の『おばちゃんが』が『パートの一般社員』だったら、
後者の方が多いと思う。その逆だと、誰しもが喜ぶだろう。

「『やさしい人』が多い収入を得れる『仕事』があれば、真っ先に就職したい」とわたしは思う。


『時代』と『やさしさの価値』

『時代』が変化すると『優しさの価値』も変化するのだろうか?
わたしは考えてみたが、「疲れる」だけだった。
【普遍的なこと】もあれば、【変化すること】もあると思う。

わたしは「『誰かのため』に行うことは【やさしさ】につながる」と思う。

ただ、SNSやインターネットにより、『個人の意見』は発進しやすくなった。
『情報』も得やすくなった。「どうなのだろうか?」

『やさしさ』がより『多くの人』に伝わっているのだろうか?


『HSP』という【概念】を知ったこと

わたしが、『HSP』という【概念】を知ったのは、1冊の本だった。
この1冊の本が、上に並べ上げた「やさしさ」の【違和感】を解決してくれた。

要は、わたしの【脳】に『原因』があった。

その著書では、『繊細さん』と名付けられていた。著書に書かれている
『繊細さん』と『自分』が「ほとんど重なった」ことに

「驚きと安心感とやさしさと落ち着き」をもたらしてくれた。

わたしは初めて「自分の取り扱い説明書」を手に入れたと感じた。
自分でも思っていた「偏屈、変態、変わっているひと」が、
「そんな自分でも普通だよ」と言われたような気がした。

また、多くの『著名人』が「私も【HSP】です」と発言されていること。
その中で「こんなところが【HSP】だと思う」と発言されている。

決して、『潔癖症』ではないが、『気になること』『気づくこと』が
他の人よりも多いし、『頭から離れにくい』ことが共通している。

わたしは、この本にふれ、わたしの人生の中で、
とても大きな『やさしさ』にふれたエピソードになった。



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#やさしさにふれて

誰が見ても「綺麗な言葉」を紡いでいきたいと、理想を、希望を胸に。 日々精進しています。 どこかの、だれかのために役立てれば幸いです。 そんな私に少しの勇気をください。 ・・・◯◯