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泣いたあとのマルガリータにsaltはいらない

 留学で、フィリピンのセブ島に一週間ほど滞在したことがある。帰国の前日、生徒とフィリピン人教師の数名で、最後の夜を楽しもうということになった。

海外へ行くとなぜかクラブに行くことが多い。どこの国でも、酒を飲み音楽に身体を揺らせば、隣の知らない人間と明日には忘れる他愛のない会話をするのは同じで、異国で“人そのものの共通点”を見る瞬間は好きだ。

22時ごろに寮を抜け出し、夜の街並みを楽しみながら、地元民の案内の後をただ着いて行く。気を抜いたら転びそうな雑な歩道も、生ぬるい空気も、飲食店から流れてくる油の匂いも、明日が別れと思うと感慨深く見えることが面白かった。

大通り沿いに、何件か飲食店が建ち並ぶ一角で軽く夜食を食べ、ビールを飲んだあとクラブへ移る。ボックス席に座り、ゲームをしながら酒を飲んでしばらくして、1人で席を立ちトイレに向かった。

***

 何気なく店の奥にあるトイレのドアを開け、驚いて一瞬固まる。壁も床も全面黒いタイルで高級な雰囲気を装うそこに、オレンジのドレスを着た女の子が一人。個室の前の床に、扉も閉めずにぺたりと座り込んでいた。

意外と掃除が行き届いているようにみえるが、とはいえ、いくらなんでも。
酔ってトイレの使い方も分からなくなってしまったのだろうか。
わたしは女の子には優しいので、念のため声をかける。

「ねえ、あなた。だいじょうぶ?」

その声に振り向いた女の子の顔をみて、さらに驚いた。
酔ってはいるのだろうがそれ以前に、顔をくしゃくしゃにして大号泣していたのだ。えぅえぅと何か話しているが、泣きすぎて聞き取れない。

わたしは女の子には(以下略)なので、乗り掛かった船だ、ととにかく彼女を立たせ、洗面所に連れて行った。手を洗わせてから、置いてあったペーパータオルを渡す。アーモンド型の目、パサパサの長い茶髪、丸いお尻。見た目はとびきり美人でもないけれど、小動物のような放っておけない可愛さがあった。

ふらつきもせず立っているところを見ると、酔いよりも涙で座り込んでいたようで、ペーパータオルで拭いても、あとからあとから涙が溢れてしまっている。

「な、なんで泣いでる゛のか、聞かないの・・・?」
「…なんで泣いているの?」
「か、彼のことが大好きなの゛に、彼は、わたしのこと、好きじゃないの゛」

恋の楽しさも辛さも幸福も不幸も、おそらく“人そのものの共通点”のひとつだ。

「その男の見る目がないだけだよ、だいじょうぶ」
「でも゛、すごく好きなの、」
「…そうなんだ、それはつらいね」

15分ほど、そんな会話になった。名前はエミリーで片想い中。彼のことがすごく好き。それだけわかった。
しばらくしてエミリーは、まだ涙の残る、いかにもたくさん泣きました、という顔で「あなた、ありがとう、一緒に来て」と、クラブの外にあるテーブル席までわたしの手を引いていった。

***

 5〜6人用の木の丸テーブルに、プールにおいてあるようなプラスチックの白い椅子。エミリーの友だちと思われる、女の子が1人と男の子が2人座っている。

「この子、トイレでわたしのこと心配してくれたの。同じフィリピン人は知らんぷりだったのに、優しいの」

そうわたしを紹介した後、椅子を勧められたので、一緒に席についた。エミリーの友だちの女の子と、迷惑かけたわね、いえいえ、とアイコンタクトと交わす。

「それでね、彼がわたしの好きな人なの」

エミリーが唐突に、自分の隣の男の子を指差して告げる。
本日3回目の驚き、、、

さっきまで延々と聞いていた恋愛譚の主人公がすぐ目の前にいる上に、え、それ今ここで、本人を前に堂々と言っちゃうんだそうなんだ。文化の違いなのか、エミリーだからなのか。たぶん後者だ。

彼はというと、一瞬気まずいようなやれやれと呆れるような顔をした後、エミリーから目をそらし、もう一人の男の子と別の話で盛り上がりはじめる。結構イケメン。爽やかな感じ。

その彼の態度にエミリーは、ほらね、といった表情をして、自分の飲みかけの酒に口をつけた。マルガリータ。テキーラベースのカクテルで、グラスの淵にライムと塩がついている。

「しょっぱい。今日はsaltが多すぎるわね」

そう。あなたの目も頬も唇も、いまはしょっぱいものね。
まだ少し哀しそうな顔だったけれど今日はもう泣かないようで、マルガリータの白さと彼を見つめるエミリーの瞳が綺麗だったことを覚えている。 
あの夏の国で、エミリーが幸せな恋をしてくれたらいい。

 
以上


#週1note  #セブ島 #エッセイ #一駅ぶんのおどろき
週1でnoteを書く会に参加させていただいています。

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