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【ショートショート】黒い本棚の行方

わたしの本棚が、なくなった。

シックな黒い木目が味わい深い、お気に入りの本棚。それに、どうしてか絵柄が思い出せないけれど、お気に入りの印象派のポスターカードが入っていたのに。その本棚が、ある日帰ったらなくなっていた。

誰かが「あなた本棚も本も、たくさん持ってるんだからいいんじゃない?」という。そんなわけない。大事にしてきた本棚で、あれじゃなきゃだめなのだ。

本は、最悪仕方がない。好きな本は覚えているし、また買えばいい。
あげられるけど、本棚はダメだ、ゆずれない。

走ったんじゃ間に合わない、とそこらへんにあった自転車に飛び乗った。
繁華街を、オフィスビルの間を、こぐ、漕ぐ。

街には一切人影がない。その代わりに、街のビルというビルの側面、繁華街の電飾看板の横、街灯、公園の時計、いたるところにテレビモニターが付いていて、わいわいがやがや、意味をなさない騒がしい音と、真夜中のテレビのカラーバーのような原色の映像が流れている。
それらがまるで、もうあきらめろ、と言っているかのようで鬱陶しい。

息をする間も惜しいほど漕ぎ続け、汗が額からながれて頬をつたう。
でも、もっと急がなければ。

舗装された街中の道路はいつの間にか砂利道になり、その横は都会を流れる神田川のような、コンクリートに囲まれ深緑色に濁った川が流れていた。川に沿いには雑居ビル群の背面がズラリと並んでいて、配管や室外機やテレビに、所狭しと隙間なく覆われている。

本棚に続く道は1つ。この雑居ビルの裏側を通り抜けるしかない。
はやく、はやくしないと。本棚が雑に扱われていたら耐えない。

使い道のなくなった自転車を道端に立てかけ、川に落ちないよう注意を払いながら、テレビにつかまり、配管に足をかけ、壁を登り這い進む。どこかに引っ掛かり、服が破れた気がするが、気にしている余裕はなかった。

もうすぐ、もうすぐだ、と言い聞かせながら進み、夢中で何棟かのビルを過ぎたとき。ぱっと視界が開け、広場のような公園のような場所にたどり着いた。

そこに、ああ、あった。だいだい色をした砂の地面、その真ん中に、しっかりと立つ、まっ黒な本棚が。

駆け寄ってキズがないか調べる。
なかの本ごと、そのままだ。

一冊の本を手に取りぱらぱらとめくると、中からはがきくらいの大きさの白い紙がでてきた。裏返すと、麦畑に青い帽子の男性が農作業をしている印象派のポスターカード。

まちがいない、これはわたしの本棚だ!
喜びにぶわっと鳥肌がたち、こころが達成感でわき立つ。

そのとき、

公園のような広場のような、本棚があった場所に隣接する平屋づくりの建物から、少しふくよかな女性が駆け寄ってきた。エプロンを身につけている。
女性は嬉しそうに言う。

“まあ、もしかして、あなたがこの本棚をここに寄与してくれた方ね!
ポスターカードもつけて頂いて、こどもたちみんな喜んでいたんです”

その言葉を聞きながら、もうあたりが暗いことにようやく気が付いた。
女性の後ろにある建物にもパッと明かりがつき、窓を飾り付ける画用紙で作られた色とりどりの季節の植物や動物たち、外に置かれた小さな下駄箱をこうこうと照らす。

いつの間にか、もう夜になるのだ。
にもかかわらず、この場所にいる子どもたち。
ここは、そういう子どもたちの場所なのだ。

のどが渇く。今までの疲労がどっと身体にかえってきた気がした。
にこにこと嬉しそうに微笑む女性の顔から目が離せない。

口の中の水分がなくなっていき、のどがひきつるが、何か言わなければ。
女性の笑顔が消えてしまう前に。

「ええ……わたしが、さし上げたんです」

その瞬間、遠くで“ わーー! ”とこどもたちの歓声が聞こえた気がした。
もしかしたら、絵のなかでゆれる、麦の実のぶつかり合う音だったのかもしれない。


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