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連載長編小説「愛をください」#5

*謳歌期
 カフェで働きながら、わたしは一人で美術館やクラシックコンサートに出掛けた。大学時代の友達とはたまに会うが、みな慣れない社会生活で苦労をしているようだった。
「春香は気楽でいいよ」
 みながいうが、わたしには皮肉にしか聞こえなかった。
 男の服装もだいぶ板についたと思う。マスターからも「なかなかイケてるよ」といってもらえた。
 わたしはクラシック音楽にハマっていた。心がざわざわと乱れると、バッハやベートーベンを聴いた。流行り廃りの激しいポップスは、わたしを孤独にさせた。おそらく落ちこぼれて友達と足並みを揃えられていない現実を思い知らされるからだろう。
 一人で行くクラシックコンサートは、わたしを現実からひとときだけ引き離してくれた。壮大な交響曲、静かなピアノやバイオリンのリサイタル、賑やかなオペラ。そして年末にはお決まりのベートーベンの交響曲第九番。第四楽章『歓喜の歌』は、いやでも興奮する。
 この頃になると母親はほとんど家にいて、夕方から台所でウイスキーを飲んでいた。不倫相手とはきっぱりと別れたのだろう。一人でコンサートに出掛けるわたしに、「ひとりぼっちで可哀想に」といい捨てた。

 二十五歳になった年の瀬、ベートーベンの第九ではなく、ヘンデルの『メサイア』を聴きに行った。これも年末になると演奏されるプログラムで、気になっていた。だからCDを買い、予習をしておいてコンサートに臨んだ。
 『メサイア』は恐ろしく長い音楽だ。でも、一曲一曲のスタイルのちがいや、緻密な構成にすぐに魅了された。なにより、コーラスがかっこいいのだ。わたしは夢見心地でコンサート会場をあとにした。
 それから数週間経ったとき、新聞の隅に見つけた『メサイア』を歌う市民合唱団「ヘンデル会」の会員募集の掲載は、神様からのメッセージだと悟った。
 わたしはまだ梅雨が明けきらないじめじめとした七月の初旬、公民館の一室の、「ヘンデル会」の練習場所を訪れていた。前もって見学をしたい旨を電話をして伝えておいたので、代表者とは挨拶もそこそこにうしろに椅子を用意してもらい、練習風景を見学させてもらった。
 練習は、まずは柔軟体操から始まり発声練習をし、パートごとに分かれて細かな確認をしてから、休憩を挟んでその日の曲の練習を全体で行う。発声練習にずいぶんと時間を掛けるのだな、と思った。それに、柔軟体操、発声練習の指揮者と、曲の練習時の指揮者とでは人がちがう。歌詞の発音から四声の乱れまで事細かに注意をする。
 市民合唱団といえども、しっかりとした基盤ができているようだ。生半可な気持ちではついていけないだろう。
 練習が終わると、あらためて代表者に挨拶をした。
「いかがでしたか?」
「はい、もう圧倒されました」
「そうですか」代表者の老婦人はふふふ、と笑った。それから「鈴木さん、あなたはアルトですね」といった。話し声だけでわかるのか。わたしは驚いた。
 入団する意思を固めたことを伝えると、楽譜を渡された。
「ご自分のパートを蛍光ペンで引いておくと見やすいですよ。楽譜は読めますか?」
「中学の音楽レベルなら」
「それなら練習しながら覚えていってくださいね。バロック音楽は読譜が難しいので」
 入会手続きをして、入会金と年会費の振込先を教えてもらい、その日は練習会場を後にした。
 帰りに楽器店に寄り、小振りなキーボードを買った。楽譜の音を取って練習するためだ。歌詞はドイツ語ではなく英語なので、難しいものではなかった。
 こうしてわたしは毎週日曜日、「ヘンデル会」の練習に通うこととなった。それからは生活にも張りが出て、カフェのマスターにも「最近ずいぶんと明るくなったね」といわれた。市民合唱団に入ったことを伝えると、「それはすごい」と驚いていた。何がすごいのかというと、十二月クリスマス前の第二日曜日に、街で一番大きなホールでオーケストラと共に演奏会が催されるのだ。必然と気合いも入る。
 合唱団は、大学生から六十代くらいまで、幅広い年齢層で構成されていて、中には夫婦や親子で参加しているという人もいた。
 長く参加している人が多く、みなフレンドリーで、新参者のわたしにも優しく手解きをしてくれ、人前で歌を披露したことなどないわたしでも、「大丈夫、発声法もすぐにコツはつかめるから」と励ましてくれた。
 発声に大事なことはふたつあった。ひとつは口の中の軟口蓋を上に押し上げること、もうひとつは、横隔膜で音の高低、声量、息の長さなどを調節すること。
 軟口蓋を上に押し上げるコツは、頬骨を上げてあくびをしているときの感覚を意識すること、オオカミの遠吠えを実際にやってみたときの口の中の広がりを再現することを教えてもらった。
 横隔膜の動きは、腹式呼吸でマヨネーズのチューブを押し出したり空気を入れたりするイメージを持って、と教わった。
 柔軟体操も、身体を楽器にするためにはとても重要なのだとわかった。上半身の力を抜いて前屈し、背骨をひとつずつ乗っけていくように起こしていく。これをやると身体がぽかぽかした。
「最近声が大きくなったねえ」マスターにいわれた。
「そうですか?」わたしはいう。
「ほら、腹から声が出てるよ」
 発声練習の賜物だな、と思った。

 ヘンデル会のメンバーの中で、特に親しくなった人たちがいた。ソプラノの大学生の女の子の佐伯さんと、バスの社会人の岩田くんと、発声練習の指揮者の加藤さんだ。自身はテノールだということだ。岩田くんと加藤さんは三十前半と年齢が近く、気が合ったようで、プライベートでもよく飲みに行く関係だといっていた。佐伯さんは、若い子が少ないから、とすぐにわたしに話しかけてくるようになった。
 我々四人は、日曜日の練習終わりに公民館近くの喫茶店になだれ込み、『メサイア』についての熱い思いを語り合った。新参者のわたしだが、指揮者や合唱団がちがう『メサイア』のCDを聴き比べているといったら、彼らは「相当なメサイア病だね」と親しみを込めて笑っていた。
 この頃には携帯電話というものが普及していて、持っている人も多かった。着信音を自分で音符の入力をして作れる機能があり、わたしは『メサイア』のお気に入りの曲を入力し、着信音にしていた。
 年末に近づくにつれ、練習も佳境に入っていった。オーケストラとの合わせも行い、各自にチケットも配られた。一人十枚が配られ、それぞれ身内や知り合いに売りさばく。わたしは弟に二枚渡し、あとは大学の友達に売りつけた。美宇は「楽しみ」といってくれた。その頃には会う機会も減り、密な関係は築けていなかった。
 問題がひとつあった。女声パートは白いブラウスに黒のロングスカートといういでたちで本番に臨まなければならないらしく、スカートは出来ることなら履きたくないが、わたしも一応はアルトなのでそれに倣わなければならなかった。しかし、どうしてもスカートは無理だ、と悩んだわたしは代表者に掛け合った。
「スカートでなければいけませんか。黒のパンツというのはだめですか」
「前例がないので、なんともいえませんが、そんなにスカートはお嫌なのですか」
「できれば履きたくはないです」
「わかりました、幹部と話し合ってみます」
 たかがパンツでそんなに大事になるとは思わなかったが、いい返事を期待した。
 次の週の練習日、代表者はわたしにいった。
「パンツでも構いませんよ。歌声には関係ないですから」
「ご理解いただきありがとうございます」わたしは頭を下げた。そして、その日のうちにデパートで衣装を買った。
 これで準備万端だ。あとは本番に臨むだけだ。クリスマス間近に大学の友達は本当に聴きに来てくれるだろうか。
 
 本番は公民館の一室とはちがい、大きなホールでの演奏だ。発声練習を念入りに行った。加藤さんがホールの入り口付近に立ち、壇上の我々にいった。
「本番はもっと声出せますよね」
 我々はぱらぱらとうなずいた。
「春香さん(ここでも鈴木姓が複数いたため、名前で呼ばれていた)、あ、でいいので声を出してください」
 何故わたしが指名されたのかはわからないが、おそらく声が野太いからだろう。わたしは「あー」と声を出した。
「オーケーです」加藤さんが腕で丸を作る。中学時代の応援団を思い出した。
 控え室で食事をとり、衣装に着替えた。佐伯さんが「なんか足が震えてきた」と困り顔をしている。「楽しもう」わたしは笑った。「春香さん、度胸あるね」と佐伯さんはいう。

 本番はさすがの迫力だった。演奏する側なのにきらびやかなホールやオーケストラの生の音に感動していた。みなの声もパワフルだ。ソプラノ、アルト、テノール、バスのソリストが合唱団の前でアリアを朗々と歌う。ソリストはプロだから当たり前だが上手い。声量が我々とは圧倒的にちがうのだ。
 二時間以上の大作、ラストの合唱曲が終わると、客席の観客が立ち上がり、拍手喝采の中、「ブラボー!」と声を発する者もいた。
 控え室に戻ると、我々は興奮状態にあり、方々で甲高いおしゃべりが飛び交っていた。
 着替えを済ませると、歩いて十分ほどのところにあるホテルに向かった。宴会場を貸し切りで開かれる打ち上げに参加するためだ。普段着の人も多いが、中にはワンピース姿やスーツを着用している者もいて、様々だ。佐伯さんは黒のブラウスに花柄のフレアスカートといういでたちだ。岩田くんはセーターにチノパンツ姿で、加藤さんは紺のジャケットを羽織っていた。わたしはといえば、メンズのシャツに黒いスキニーパンツを履いていた。
 中央の大きなテーブルに軽食と飲み物のグラスがあり、立食の形式だ。みながシャンパングラスやジュースのグラスを手に持つ。先に代表者の挨拶があり、次に指揮者の乾杯の音頭でようやくパーティーが始まった。
 ソリストも招かれ参加しているので、合唱団員が楽譜とサインペンを手に列をなし、にわかサイン会が行われていた。 
 わたしはシャンパンを飲んでいた。佐伯さんが岩田くんに“写ルンです"を手渡し、わたしの腕に手を絡めた。
「写真撮って」
 岩田くんはいわれるがままに“写ルンです”のシャッターを切っていた。まだ携帯電話にカメラの機能がついていなかった時代。だから、写した写真の出来は、カメラ屋に現像してもらってからでないとわからない。
「もう一枚」岩田くんがいう。わたしたちはポーズを変える。
 佐伯さんは、今度は加藤さんを捕まえてきて岩田くんにもう一度撮れと命令している。岩田くんと二人で写真に収まる気はないようだ。でも、近くにいた団員に頼んで、四人のショットを撮ってもらった。
「焼き増しして渡すね」佐伯さんは酔って赤くなった頬を緩めた。
 楽しい時間も終わりがくるもので、パーティーはお開きとなった。あちこちで挨拶を交わす。この打ち上げが終わると、みなと次に会えるのは翌年の練習開きの6月になる。名残惜しそうにみなはしゃべり合っている。
 加藤さんはいった。「今度、四人で温泉でも行かない?」
 佐伯さんは「行くー」と腕をぴんと上げた。「いいですねえ、温泉」と岩田くん。
「春香さんは?」加藤さんがわたしの顔を覗く。
「あ、はい。行きます」
「よし、じゃあまた連絡するよ」加藤さんはそういって帰っていった。
「温泉、むふふふ」なぜか佐伯さんは意味深に笑っている。「楽しみだね」わたしに向かい、そういう。
「うん」わたしは答えるが、内心はそう乗り気ではなかった。男装をするようになってから、温泉に行くことが苦痛になっていた。女湯には入らなければならないし、そうなると嫌でも自分は女なのだと認識させられるからだ。どうしようかな、何か理由をこじつけて断ろうかな、と考えた。
 しかし、結局わたしは温泉旅行に参加した。そしてそれは四人のその後を左右する大きな転機となったのだった。

                  続く
 

 
 

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