「これは許可をとってツイートしています」とかいう無駄さ。

知り合いが言ってた話なんて、どうツイートしようがどうでもいいのに、

「このツイートは、その知り合いからも、
ツイートしていいと許可をもらっています」

みたいな。

知らんがな!!!!

と僕なんかは思うわけです。

ただ、実際はそうでもなくて、
どうしてもツイッターは、「潰す」ということに関して恐ろしいほどの力を発揮するんですよね。

99人が気にしないとしても、
たった1人が「潰す」と宣言しただけで、ある程度潰せてしまうんですよ。
潰された側に周るとたまったもんじゃないですが、逆に潰す側にも簡単に回れる。
だからこそ、ツイッターの魅力から逃れられなくなったりもするんですよね。

ただ、思うわけです。
「潰す」という行為は何も生み出さないなぁと。

「クリエイターのためのnote」と言われていますが、
クリエイティブって「褒め合い」からが一番生まれやすいんですよね。

とにかく何を言ってもいい環境で、自分の思いを伝える大切さ。
それを肯定される大切さ、それが繋がっていく爽快感。
そういう環境が、ものづくりを捗らせます。

noteが提唱する「ポジティブなユーザー」という単語は、
ものづくりにおいてめちゃくちゃ重要なことなんですよね。

ツイッターはどうしても1%の「潰す」という悪意を常に背負って戦わなければなりません。
だから、「これは許可をとってツイートしています」とかいう、
心の底からどうでもいい宣言をしなければいけないんですよね。

140文字しかないのに、18文字も使って。

その先にあるのが「空リプ病」です。
結局、直接やりとりできない人間になっていくんですよね。
相手の正面に立てなくなる。
相手の正面に立つと潰される恐れがあるから。

さらに先をいくと、みんながみんな「評論家」になっていきます。
楽ですよね、評論家。

自分で何かを生み出せば潰される可能性がある。
そんな辛い想いをするくらいなら、評論家になって潰す側に周る。

結果、「空リプの評論家」だらけになっていくのが未来です。

でも、だからこそあえて言いたいわけです。

モノを作るのが一番楽しいぞ!と。

「人は環境で創られる」みたいなことをよく言われますが、
たかがネット、されどネット、ツイッターもあなたを創ります。

誰しもがもっと面白い発信ができると思う。
それができないのは、あなたが悪いんじゃなくて、「場所が悪い」と僕は思ってます。

ツイッターをやめる必要なんてないと思う。
ただ、
ツイッターで全てを完結させる必要はどこにもないと思う。

それは、可能性の搾取をナニモノか洗脳されているだけだと思う。

ありがとうございます! 今後ともよろしくお願いします! なんでもひとつ、願いを聞くくらいの気持ちはあります(笑)