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柳宗悦 民藝を愛する人

先日NHKの日曜美術館を見て感激のあまり概要をお伝えしたい。
今、国立近代美術館で開催中の「柳宗悦と民藝の100年」から柳宗悦という人物をクローズアップする内容だった。

私はこの人の名は知っていた。三年間通った高校の側にこの方々が創立した日本民藝館が近くにあったからだ。しかし余りに近かった為、いつか行くと思いながら一度も足を踏み入れる事なく今に至る。

民藝とは、柳が100年前に生み出した言葉。民衆的藝術。つまり人々が日々のくらしの為と、使う為にこしらえた自然で健康で生命に満ちているもの。それは器だったり簑だったり彫刻だったり。名も無き職人達の藝術の品々だ。

柳宗悦。思想家にして美学者、宗教哲学者でもある。文芸誌「白樺」の創刊者の1人で、創刊の一年後、知人の持って来た焼き物をきっかけに民藝というジャンルを生み出した。

嘗て何等の注意も払わず 
且つ些細事と見なして寧ろ軽んじた陶器等の形状が
自分が自然を見る大きな端緒になろうとは思いだにしなかった

《くらしに用いられる無名の雑器こそ非凡な美が宿る
その無垢な形の美しさに衝撃を受けた柳。この出来事が後に日本各地を巡り無数のモノと人に出会う旅へと柳を導く。それは民衆的な工芸、藝術への美しさの秘密を言葉で探り当てようとする思索の旅の始まりでもあった。》

私は観たのです
そして愛したのです
集め用いたのです
そうして考えたのです
日々それらの物と親しく暮らし
見つめてはまた顧みたのです 
もう惑いはないのです
私を信じてほしい

《新たな民藝という価値観を生み出した柳の切なる思いだ。
柳がモノを観るときに大事にしたのは直に観ること。直観だ。》

物を見極めるのは瞬時でよい
早い方が寧ろ確かだといえる
先ず見ることが肝心である
見る前に知る働きを加えると
見る働きは曇ってしまう
そうすると美しさは
なかなかその姿を現してはくれぬ

《柳の思いに共感した仲間がいた。陶芸家濱田庄司と河井寛次郎。1926年、美術館創設に向けて動き始める。また、今まで見向きもされなかったモノに共通する法則を見い出して正しい"美の標準"を打ち立てる。その活動の一つとして雑誌「文芸」を創刊する。
柳の美のこだわりは見るだけでなく使うことにも重点をおいた。普段使った物が民藝館に並んでいることもあった。》

ものを使いこなさずば
ものの美しさを深く味わうことは出来ない
だから見ることにより使うことの方が
もっと美しさに近く
よい使い手は
美しい品物の創造者とも云える

《柳は陳列そのものも一つの創作として生き生きとしたものとして示した。ここに並べることによって更にモノが生き、モノを生かすことによって更に見る者に働きかけるようにしたのではないか。
柳が力を入れた創作には人作りもあった。実際民藝館の創設、若き芸術家との交流、それらは民藝館を訪れる若人にも影響を及ぼす。かご編み職人の砂浪隆貴さん、28歳。民藝館をきっかけにこの道に入る。砂浪さんの心に刻まれた柳の言葉。》

あなた達はこれでいいのだ。
本来人は美しいものを作れるのだ。

《柳の極意とは、直観→熟考→言葉の説き起こし→忘れる・捨て去る 、だそうだ。》

人間は美しいものを愛し
それを見入ることによって
自他の別を越えることができまして
共通の幸福に浸ることができるのでありまして
近世における美術館の繁栄も
世界の人たちが美を媒介として
互いに理解しあい
和みあいたいという
祈りの表れだと存じられます
われわれは美しさを感じ
美しいものを慕い
美しさで心浄め温め
自らもその美しさにあやかる暮らしを
致すようにすべきだと存じられます

文化は平和をもたらす。柳宗悦は民藝を通して訴えたかったのではないか?そして私は大いにその思想に賛同する。私が器を愛する心は正にここに通じる。
名も無きクリエイターの皆様、私達を後押しし、励ます歴史の識者はここにいた。誇りを高く持ち共に歩みたい。

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