時をかける少女

私には一人娘がいる。3歳になった頃からか、もっと前からだったか・・・私に向かって時々「お父さん、ずっと死なないでね。」と言う事がある。

末っ子だった私は、幼少の頃から何故か「いつか家族全員が自分より先に死を迎え、独りぼっちになる。」という不安を抱えていた。ある日の晩、娘を寝かしつける時に、また「お父さん、ずっと死なないでね。」と言われたので、娘に私が幼少の頃に抱えていた不安の事を話してみた。

「私も独りぼっちになるのが怖いの。お父さんも同じだったんだね。」と話す娘に「いつか怖くなくなるよ。お父さんはそうだった。」と話してから絵本を読み聞かせて、小さな寝息を立て始めたのを確認してから私も眠りについた。

「時をかける少女」という歌がある。同じタイトルの映画の方は一度も観た事はなく、「青春ムービーなんだろう」というイメージがあるだけで、この歌についても「ラブソングなんだろう」位の想像をしているだけだった。

娘に「ずっと死なないでね」と言われるまでは・・・。

「時をかける少女」の歌の冒頭から、娘が自分に「突然消えたりしないでね」と訴えかけていると想像すると「お父さん、ずっと死なないでね」と言った娘の言葉と重なり、サビの「愛」という言葉や「過去も未来も星座も超える」という言葉と「時をかける少女」のイメージが変わって、恋する乙女という時間的に限定された印象よりもっと普遍的なものになっていく。

続く2番は更に父の心に突き刺さり、「幼い頃に遊んだ庭」に「たたずむあなた」の夢を見ているというもの。眩しい景色なのか、季節的あるいは時間的な理由か、それとももっと別の理由でか、「金色」の夢の中で「たたずむあなた」に向かって「走ってゆこうとするけれど」も足がもつれて辿り着けず枕を涙で濡らしているのだという。幼い娘と庭で過ごした私の記憶に直結する歌詞が続き、サビでは「褪せた写真のあなた」という言葉が出てくる。写真に写る「あなた」は随分と時間が経った過去の姿だという事。私の色褪せた写真を見つめる大きくなった娘の姿を想像してもはや平常心では居られなくなるが、「少女」は「あなたのかたわら」に「宇宙の海」を「輝く船」=「愛」に乗って「とんでゆく」のだという。「宇宙の海」とは「空」であると説明されているので、空を飛んでゆくということが「少女」の死を意味するのか「あなた」に思いを馳せているだけなのか・・・。

宇宙とは無限の広さを表すのか永遠の時間を表すのか、過去も未来も星座も超えるとは時間だけでなく誕生日を超えて親子ではなく個人同士ということか・・・

深読みは止まらない・・・。

「少女」を娘に置き換えるだけで歌詞の印象が随分と変わって、「あなた」は性別も年齢もわからない。主人公が女性である事は確かだが、父ではなく母を想うのか恋人か幼馴染か他の誰かか・・・「あなた」はとても抽象的な存在になる。

歌詞を勝手に解釈して感極まって一人涙を流すなんて本当におめでたい奴だという自覚もあれば、将来娘が父親に思いを馳せる可能性が極めて低い事も自分を客観視すれば判りきったこと。作者の意図は知らないし、ネット上のどこかにはそれについて当事者か専門家の証言等もあるのかもしれない。

しかし、「歌」っていいなと感動する自分の心は、他に答えなど求めてはいないのだ。より良い「たたずむあなた」になって時をかけていこう。

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