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情報を伝える手段として雑誌、書籍が求められなくなっているのでは? と考えてみる

街の本屋さんが閉店し、自治体内で書店さんが無いところが25%を超えたとか超えないとか…
地方の人口の少ないところの話かと思ってたけど、都市部の郊外地域、ましてや市内中心部で通る人が多いターミナルの地下街でも閉店が多いようです。


あれこれとイベントや○○賞など、話題にはなっていますが、右肩上がりに戻るという雰囲気は感じられませんね。
売上部数が横ばいでも、書店、出版社の利益が出ていれば良いのですが…

掲載されている情報への対価ではなく、情報を入手する手段にお金を払っていたと考えてみる

学生の頃、街の情報誌がたくさん並び、ファッション誌、車にバイク、その他趣味系、スポーツ系の雑誌もあれこれ。
書籍の方も実用書が目一杯売られ、資格に文庫、文芸などそれこそどれもそれなりに売れてた頃もありました。

実際バイク雑誌、アウトドア誌にスポーツ総合誌、趣味系雑誌など毎月買ってたのもありましたし、片岡義男氏のバイクの出てくる風景を想像したり、バイク雑誌で紹介されていた小説を読んで北海道へソロツーリングへ走ったりした思い出はたくさんあります。


さて当時を振り返ると、そんな楽しく有益な情報はやはり雑誌、書籍か、テレビ、ラジオなどの媒体で知るしか手段が無かったんですよね。
もちろん、パソコン、スマホなど無い時代ですし、急な連絡と言えば固定電話、旅先からの絵ハガキ。。。
懐かしいし、良い時代だったなと思いますね。

と過去の振り返りは置いておきます。


そんな情報を雑誌や書籍を購入して入手していたのですが、これまでは情報に対して対価をを支払っていたと考えていました。
これは小説や他の書籍でも同じで、内容を読む時間を過ごすために内容に対して対価を払う・・・と。

売れなくなった理由として、パソコンの普及、インターネットの拡大、携帯電話、スマホに電子書籍・・・本をとりまく周辺変化に売れなくなった理由を押し付けてるなとしか思えないのですが…

と、またそれましたが…何を言いたいかといいますと。

雑誌、書籍は情報を入手するためのツール、そしてそのツールを購入する価格に対価を払っていたと考えてみました。

雑誌、書籍でしか入手できなかった情報が、ネット、SNSで最新の情報が入手可能、インターネットで24時間検索可能、スマホでどこにいても探せる環境になってしまっています。
その情報を入手する方法として、『雑誌・書籍』から、PCの通信料、スマホの定額プラン料金などなどそっちに移ったのは間違いでは無さそうです。

欲しい情報は変わっていないと思うので、情報を入手する手段に対価を払うと考えると『雑誌・書籍』の順番は下がってしまうなと。
これは内容をいくら良いものや、面白いものにしたところで、人が欲しい情報がピンポイントで狭くて小さい範囲のものになっているので求めていない情報が載っているツールには代金払わないよな・・・。

あまりイメージが涌かないので、音楽に置き換えてみました。


最初はレコードを買ってましたが、その後CD化が進み、今はDLしたりサブスクで聞いたり、無料で動画さえ見れてしまいます。
そして車などでもカセットテープから、ダビングしたCDにあっという間に消えたMD、そしてデータ化してSDカード、スマホに落として聞くなど手段はたくさん。
昔は10連奏CDチェンジャーとか…あったんですけどね。

つまり・・・音楽を聞くという事は今も昔も変わらない、ただ手段が違っているだけのこと。
雑誌・書籍をレコードやカセットテープ音源とすると、スマホや電子書籍はDLやサブスク・・・なんですかね。

欲しい情報は今も昔も変わらない、ただ欲しい情報以外は不要で要らないという考えが知らない間に普通になってる気がします。
そこに無駄はしたくないということでしょうか…

あとレコードからCDへ一気に変わった頃・・・確か『LPジャケットの雰囲気』だとか『レコードを持った時の感触がCDとは違う』・・・とか言ってたことを思い出します。
あ、そう言えば紙の手触りとか、紙の感触でなければ…という話をチラホラと。

あえて言うなら中身は同じでも、紙の現物でしか入手できない特典であったり、極力あれこれ詰め過ぎずに適正な価格、同じような別アイテムを後追いしない、などの事しないとやはり厳しいよなぁと思ってしまったところです。

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