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教えてくれないこと(続き)

学んでいないことがあるからだ。
ただ横に倣えで過ごしてきただけでは、学ぶ機会のないことがある。
学ぶといえば教育課程だが、学校ではそこで教えるべきものを教えているだけであって、決して親切なわけではない。
不足している部分は自らが動いて取りにいかなければいけないのだ。
とはいっても、まだ未成熟の時期ではそこに気づける人は少ない。ましてや先輩たちがそうやって見過ごしてきたのだから、後輩たちに伝えることができるわけがない。だから残念ながら多くの大人からも情報を得られない。これが、いつまで経っても多くの人が同じ問題を抱えている要因だと思う。

親切丁寧には教えてくれないことがある。そのために自ら不足を補う行動が必要。至ってシンプルだが、そこに気づけるかどうかは人それぞれ。多くは気づけない、もしくは気づいても行動できないのどちらか。
ちなみに後者は、自分ごとと捉えないか、何か理由をつけて目をつむっている気がする。若干偏見だが、タイプとしては、誰かが夢を語ると端から否定する傾向にありそう。あとは発言や文章の文脈を捉えずに、打ち出されたキャッチワードのみで感化されるタイプとか。

少し毒づいたが、何を隠そう自分もその一人である。過去系にしたい気はやまやまだが、実のところ場合によって皆がそうなり得るのだと感じている。その違いは何か。それは自分に興味ある事柄かそうでないかだろう。
興味あるものは調べ理解し身につける。そうでないものは興味を持つまで理解し得ない。

興味ない事柄については、いつまでも多くの一人だ。つまり、"多くの人が思い当たる"は、その事柄によって誰でも起こり得ることで、良い悪いということではない。ただもし多くの一人にならない方法があるとすれば、それは自ら学ぶこと。
少なくとも後輩たちには、世の中には「教えてくれないことがある」ということをちゃんと伝えられる先輩になりたいものだ。

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