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青蓮院

青蓮院は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡

の一つです。

天台宗の三門跡寺院は、青蓮院、三千院、

妙法院。

日本天台宗の祖である最澄が比叡山延暦寺を開

くにあたり、山頂に僧侶の住房をいくつも作り

ましたが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の

起源です。

青蓮院庭園は、室町時代の相阿弥の作と伝えら

れています。相阿弥は室町時代の絵師・連歌

師・鑑定家です。

阿弥とは、阿弥陀仏を信仰する人々が用いた

法名の一つであり、正式には阿弥陀仏

(阿彌陀仏)号といいます。

阿弥号は、浄土教が広まった平安時代の後半

から始まりますが、鎌倉時代に入ると時宗の

衆徒が阿弥号と称するようになります。


室町前期には、連歌や茶、花、猿楽などに

携わる阿弥が登場します。

その代表格が観阿弥・世阿弥です。

室町後期には、多くの文化人が阿弥号を称する

ようになります。

阿弥派は能阿弥によって開祖されました。

水墨画を制作した能阿弥・芸阿弥・相阿弥は

三阿弥と称されました。

三阿弥は唐物の目利きや立花、茶の湯

にも携わりました。


青蓮院の庭園は、回遊式庭園に枯山水を取りこ

みました。

瀧心池には、鯉が自在に回遊しています。

鯉は室町時代から天地を観て悠然と過ごし、

回遊式庭園によく通じていて、神通力を使って

天を動かしているのではないかしらと感じます


青蓮院所蔵の国宝・青不動明王は、日本三大

不動画の一つで、平安時代中期の11世紀に

製作されました。

日本三大不動画は、青蓮院の青不動、高野山の

赤不動、三井寺の黄不動です。

青不動明王は、平安時代から霊験あらかたで

たいへん篤く信仰されてきました。

天台宗の選ばれた高僧の方々が青不動明王を

如法に供養し、御祈祷してきました。

青不動明王には調伏・息災の強力な力があると

されています。

曼荼羅は仏様の宇宙観を現したもので、

その中心は大日如来であり、その化身が

不動明王です。

青不動明王は、東山山頂の青龍殿の奥殿に安置

されています。

青龍殿は、山科の厨子奥花鳥町にあります。


青蓮院の将軍塚は、桓武天皇が平安京造営に

際し、王城鎮護のため土人形に甲冑を着せて

弓矢と太刀を持たせて、京都御所の方を向けて

埋めるように命じた塚であると伝えられて

います。

平安末期以降、天変地異があるときには必ず

この塚が鳴動して前兆を表すという伝説があり

ます。

縄文時代には土偶を壊して埋める儀式があり

ますが、その呪術的儀式の一つと考えられ

ます。付近には、古墳石室や経筒などが発見さ

れています。


青龍殿の木造の大舞台から、梅雨明けのきりり

とした陽ざしを注がれながら、京都市内を一望

しました。

パノラマの語源はギリシャ語。

pan(すべて)とhorama(眺め)の造語で

考案したのは、イギリスのパーカー(1788)

です。

すべてを見渡せるというほか、時代や地域的

制約をも超える意味です。




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