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人生の一コマ 第23話

          強烈な指導方法


今回は私の指導霊が強烈に私を指導した出来事の一つを書いてみます。

時は

夫が他界して 3年後。

この頃はまだ一日の大半を 涙が溢れていた頃だ。

そして それを解決すべく

パン作りに夢中になったり。

本の世界に多次元的な答えを探したりしていた。

そんな時 本に書いてあった オーリングを試してみた。

質問を二択で私が問いかける。

すると 二本の指で作った輪っかに変化が起こり

質問の二択の答えが導き出される。

回数を重ねて行くうちに

「もう オーリングをしなくても 答えは 君の中で分かっているだろう。」


そんな 声が 私を包み込んだ。

それまでも 時折 多次元から聞こえる音なき声を聞いたことはあったが

頻繁に受け取る事は無かった。

しかし その時から 私が受け取りたい内容を受け取りたい時に

受け取る事ができるようになった。

最初の頃は 子供達が健康であるように 献立のアドバイスを聞いた。

買い物も お買い得な物を手に入れる事が出来た。

最初の頃は いいことばかりだったが

次第に 私が嫌っていることにも挑戦するように促して来た。

私が嫌っているのは 車の運転だ。

私は ペーパードライバーだった。

できれば自転車で済む生活が出来ないかと考えていた。

しかし 引っ越して来た地域では車 中心の生活をよぎなくされたのだ。

私は時間があると車を運転するようになった。

助手席にいるのは誰にもわからないだろう白いあご髭をのばした

目には見えない教官だ。

白いあご髭をのばした教官は私のドライバーとしての教育担当係だ。

車の事となるとこの存在が現れた。

今も久しぶりに来て 文章をのぞき込んでいる。

   今も持っていないが あの頃もカーナビなど無く

地図も持たずに 走り出す。

教官が行き先を決めているので

私はテレパシーのチャンネル(周波数)を教官に合わせ

教官の指示の道を走行する。もちろん 安全走行第一だ。

マニアル車だったので細かいテクニックも教えてくれた。

全く分からなかった地域の道も抜け道まで分かるようになり

行動範囲も広がって行った。

後々 子供達を乗せて向かうようになった土地へも

事前に走っていたので 困る事は無かった。

天候が悪く視界が悪い時などは 私の腕を支えてくれるのがわかった。

そして、絶妙なハンドルの角度をたもってくれていた。

それでも 時折

どんなに 丁寧に 教えてくれても 車を運転するのが気が進まない私がいた。

疲れたフリをして寝ていても ばれる。

出かけるぞー 出かけるぞー と 逃げ切れない。

しらを切ると 子供から 言わせる。

「お母さん 出かけないと 帰ってこれないよ。」

「家にいたいよー 」 と 切り返す。

『無理だよ」 と 返ってくる。

しぶしぶ 運転席に座り シートベルトをしめ

教官に耳を(こころを)あわせて出発させる。

どんなに 知らない道を走っていても 教官の言葉を守れば

迷子にはならない。 そして駐車場にも困らない。

そして 素晴らしい場所にも連れて行ってくれる。

今では 教官に感謝している。

今は 教官のレッスンも終了しており 車の精霊と話しながら

楽しく安全に 快適にドライブが出来るようになった。


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