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「石浦昌之の哲学するタネ 第6回 近代とは何か・福沢諭吉(1)」

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OPテーマ いしうらまさゆき「明日のアンサー」(2015年4枚目のアルバム『作りかけのうた』より)
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【オープニング】
夜も更けて日をまたぐ時刻になりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?オープニングはいしうらまさゆきの2015年のアルバムより「明日のアンサー」という歌で始まりました。「日本初の出版社が運営するインターネット深夜放送・極北ラジオ」、「石浦昌之の哲学するタネ」、1ヶ月間お休みをはさみまして、今回で第6回目になりました。私・いしうらまさゆきが哲学するための必要最小限の基本知識を「タネ」と呼びまして、混迷の時代にあって、答えのない問いに答えを求め続けるためのタネ蒔きをしようじゃないか、というのが、この番組のコンセプトです。1月からは新装・リニューアル!となりまして、ツイキャスからYouTubeに場を移しての「哲学するタネ」となっています。元々は30分番組のつもりだったんですが、話したいことが多くなると45分、1時間近く…と伸びてしまう傾向にありました。そこで今回からはコンパクトに短く切っていこうと、そんな風にも思っています。ちなみにもう一つの極北ラジオの番組、社会学者の竹村洋介さんの「夜をぶっとばせ」。こちらは引き続きツイキャスでの配信となりますので、お間違えの無いようにお願いいたします。

さて新年度を迎えまして、町中ではフレッシュな新入社員や学生の姿を目にする機会も多くなってきています。皆様も就職や会社での部署が変わったり、中高生や大学生の方は学年が変わったりと、期待に胸を膨らませつつも心ざわつく季節なのではないでしょうか。私の方は花粉症に悩まされる春でした。今年はひどいですね…認めたら負け、という話もありますが、今年生まれて初めて発症されたという方の話も多く聞きました。飛散量が多いんですね。薬に頼らないと、こんな所で喋るどころではないですね。ひどいものです。

さて、前回までは古代ギリシア哲学の歩みをアリストテレスまで辿ってきましたが、日本の思想家についても触れてみようかと思いまして、一万円札でお馴染みの福沢諭吉[1835-1901]を取り上げようと思い立ちました。「日本に哲学なし」という中江兆民[1847-1901]の言葉がありますが、中国文明からの借り物ばかりでコレと言った思想を自ら生み出せず、スコレー(暇)、余裕がなかった日本には哲学と呼ぶべき思想は正直なかったんです。そもそも哲学は西洋思想ですから、無いのは当たり前なんですが。しかし明治に入ると日本も近代化します。近代化というのは西洋キリスト教国化を意味します。西洋との狭間で日本という国を主体的にどう展開させていくか、それを画策する思想家が幕末から明治にかけて、やっと登場するんですね。その代表格が福沢諭吉なんです。ちなみに日本は近代化できたのか、という点は評価が分かれるところなんですが、昨今の日本の状況を見ていると、お上の命令に平伏して、嘘も隠し通してしまう、それをおかしいと思いつつも、一人では不安なので「しょうがない」と何となくあきらめてしまう…主体性に乏しい国なのではないかと思ってしまうんです。ですから、福沢あたりの歩みから良くも悪くも学べるものがあるような気がしています。とはいえ今回は福沢諭吉の話に入るまでの導入編、ということで近代とは何だったのか、これをゆっくりと再考してみたいと思います。

【明治維新】
1868年に明治維新が遂行され、江戸幕府による武家支配は15代でその歴史を終えました。明治時代に入ってからも旧幕府軍の抵抗(戊辰戦争)は続きましたが、1869年に箱館・五稜郭の闘いで陥落します。明治政府は、武家に代わり、天皇を国家の中心とした新政府でした。「王政復古」という言葉にその革命の意図が表されていますが、古代の律令国家の政治組織であった太政官制も復活します。中世・近世を経て、太政官の下に置かれた「省」のしくみが復活し、いまだ日本の行政機関の名称として用いられているのは興味深いです。明治維新というクーデターは、江戸時代の封建制の下では出世が見込めなかった下級武士がその担い手でした。しかも、関ヶ原の戦い(1600年)以後に徳川氏の味方となった外様の薩摩(鹿児島県)・長州(山口県)・土佐(高知県)・肥前(佐賀県)藩出身の下級武士でした。関ヶ原以前は徳川の敵だった外様大名の「薩長土肥」ですから、それぞれ九州南部・本州・四国・九州北部の僻地(端っこ)に配置されました(反乱をおこされては困るからです)。そんな彼らは約265年間、徳川氏の下で僻地に飛ばされながらも我慢を続けてきたわけですから、明治維新はその積年の恨みを晴らすものだったともいえるでしょう。

【近代化の必要性】
明治維新後の日本は、欧米に倣って近代化を進める必要に迫られます。すでに産業革命や市民革命を経て近代化を終えていた欧米列強がアヘン戦争以来、東アジアに進出して来ていたことへの焦りもあったはずです。文明開化(福沢諭吉の訳語です)で西洋文明が押し寄せ、「富国強兵・殖産興業」のスローガンの下、政府・官僚主導で上からの近代化を推し進めるのです。その良い例が鹿鳴館の舞踏会でしょう。連日ヨーロッパの高官を招いて、似合わないスーツやシルクハットに身を固め、ダンスを踊るのです。少し前までちょん髷を結っていた日本人ですから、それはそれは滑稽に見えたことでしょう。それでも、踊り子が足らず、芸者まで動員させられました。フランスの漫画家ジョルジュ・ビゴー(Georges Bigot)[1860-1927]の描いた風刺画からは、そのうわべの近代化を風刺する西洋人のまなざしが感じられます。しかし、近代化で上滑りする明治日本と、「グローバル人材」育成で上滑りする現代日本は写し絵のようなものです。オランダ語に代わってこれからは英語の時代だ、と英語を熱心に学び始める明治の日本人。これからはグローバル社会で活躍する人材を育てなければいけない、何はなくとも英語を勉強した方が有利だ、と考える現代の日本人…その変わり身の早さには驚かされるとしても、特に検証もなされぬまま国策に右往左往する滑稽さは今も昔も変わりません。近代化に伴う諸問題は現代もなお私たちを翻弄し続けているのです。
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ジングル1
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弾き語りコーナー:いしうらまさゆき「Don’t Think Twice It’s All Right(くよくよするなよ)」(ボブ・ディランのカバー)
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【近代とは】
そもそも「近代[modern]」とはどのような時代か…「近代」以降の私たちにとっての「当たり前」のしくみを簡単におさらいしておきましょう。理性をもった「個人」(デカルト[1596-1650]が明晰・判明に疑えないとした「考えるわれ」)が社会の主人公になったのが「近代」です。日本が近代化を果たしたのは明治時代でした。明治時代に入ると、めいめいが名字・名前をもたされて「個人」が特定され、生没年や家族関係を記した戸籍によって国家が「個人」を管理し始めるのです(「誕生日」が重要な意味をもつようになるのも「近代」以降です)。西洋では啓蒙思想によって、生まれながらに自由・平等であるとされた主体的市民(個人)が市民革命を起こし、「民主主義」という合理的な政治のしくみがスタートします。また「個人」は、理性を使って「科学」的・合理的思考を育むようになりました。そして「産業革命」により工業化が進み、個人が自由競争によって利潤追求する「資本主義」という経済のしくみがスタートします(そのアンチテーゼとして「社会主義」経済も生まれました)。さらに、「領域・主権・国民」という三要素(ドイツの法学者ゲオルグ・イェリネック(Georg Jellinek)[1851-1911]が定義しました)を備えた「国民国家(nation state)」(いわゆる、現在私たちが想定するところの「国家」・「国」)という概念が西洋近代キリスト教文明で生み出され、レディメイドの(つまり既製服のような)一連の普遍システムとして、アジア・アフリカなど様々な地域に移植されていきました。こうした一連の過程が「近代化」です。

アメリカの政治学者ベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson)[1936-2015]は、「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体(イマジンド・ポリティカル・コミュニティ)である」と述べました。国家やナショナリズムは既存・自明のものではなく、そう遠くはない近代18世紀末に創出された文化的人造物だったのです。知ることも会うこともない人々が、水平的な深い同志愛によって「国民(ネーション)」として結び付けられ、ある限られた国境内における、主権的な、一つの共同体として「想像」されました。それにより、互いに殺し合い、あるいは国家のために進んで死んでいくことにもなったのです。アンダーソンは「想像の共同体」としての国家創出に、同言語の人々を結びつける出版資本主義が影響した点について触れていますが、そのほかにも普通教育が大きな役割を果たしました。日本でも1872年の学制発布に始まり、1886年の学校令で「義務教育」制度が整えられています。

今でもそうですが、地理(社会科)の授業ではまず初めに日本地図を見せ、領土の範囲を念入りに示した上で、北海道にも沖縄にも、本州、四国、九州にも…同じ日本人が住んでいる、という空間的連続性を学ばせるんです。さらに歴史(社会科)の授業では、旧石器・縄文時代から現代に至るまで、「日本」という国は確固たるものとして存在し続けている…という時間的連続性を前提に学ばせます。こうしたある種の刷り込みは、近代教育における「隠れたカリキュラム(ヒドゥン・カリキュラム)」です。公共放送であるNHKでは、タレントが町の商店街をインタビューしたりといった、全国の人々の何気ない暮らしを紹介する番組がしばしば放送されますが、これなども多様な暮らしを営む全ての人々を「日本人」としてまとめ上げ、一体感を醸成する装置となっているわけです。さらに、強い国とは戦争に勝てる国のことですから、戦場で一斉指示を出せるよう、近代国家は「標準語」を整備します(学校の国語の授業がその学びの中心となりました)。そしてもちろん義務教育には、均一な知識を伝授して規律訓練させた労働者を社会に安定的に送り込み(動員し)、合理的に国を富ませる意図もありました。

「近代」と「現代」はどちらも英語で「モダン[modern]」です。「現代」日本も「民主主義」「資本主義」「科学」そして「義務教育」制度で動いていることから考えると、私たちはいまだに、「近代」以降の「モダン[modern]」のしくみを使って日々生活していることがわかります。

明治政府による上からの近代化を支えた思想家に福沢諭吉がいます。一万円札でおなじみの人物ですが、2004年に紙幣の肖像画が夏目漱石[1867-1916]から野口英世[1876-1928]に(千円札)、新渡戸稲造[1862-1933]から樋口一葉[1872-1896]に(五千円札)変更された際、福沢だけは据え置きとなって今に至ります。当時首相だった小泉純一郎[1942- ]が福沢設立の慶応義塾大学出身だったことも据え置きの理由と噂されました。でも、一万円札の肖像画として残ったということは、良くも悪くも現代日本は「福沢諭吉イズム」で動いている、という意味合いにも受け取れるのです。ちなみに樋口一葉の起用は失礼ながら、男性中心だった紙幣の肖像画に女性を登場させる、という以上の積極的意味はないかもしれません。そして彼女の思想に極端な偏りがないことも起用の理由でしょう。また、多文化主義の流れの中で沖縄の守礼門を登場させた二千円札(2000年~)がほぼ流通しなかった実情も、邪推すれば政府の沖縄軽視のまなざしと通底するものに思えます。
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ジングル2
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【エンディング】
ではそろそろおしまいのお時間となりました。本日の記事は明月堂書店ホームページ、そしてnoteというサービスを使ってアップロードしていますので、そちらも是非ご覧になってください。極北ラジオですが、近畿大学で教鞭をとられており、主著の『近代化のねじれと日本社会』の増補新版が批評社から刊行されている、社会学者竹村洋介さんの「夜をぶっとばせ!」もぜひチェックしていただければと思います。まだの方はアーカイブでも聞けますので、明月堂書店のHPならびに極北ラジオのHPをチェックしてみてください。

最後に新刊のお知らせです。「極北」書籍化第2弾、金沢大学教授・哲学者の仲正昌樹さんの『続・FOOL on the SNS』、4月6日にめでたく発売と相成りました。ちなみに仲正昌樹さんはこまばアゴラで3月に役者デビューを果たすことも決まっています。先月には明月堂書店の看板犬、ラッキーと一緒にあごうさとしさん演出の『Pure Nation』に出演され、役者デビューも果たしたとい仲正さんの極北ブログ書籍化第2弾です。詳細は明月堂書店ホームページをごらんください。以上、明月堂書店の提供でお送りいたしました!また次回お会いしましょう!

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