見出し画像

一生懸命生きようとすること

連日確定申告準備に時間を費やしています。ついつい後回しにして、費用の記帳をサボっていたことを後悔しています。本日も記事執筆に取り掛かるのが、この時間(23:11)になってしまいました。気恥ずかしいテーマですが、『一生懸命生きようとすること』という一歩踏み込んだ内容を掘っておきたいと思います。

一生懸命やっているか?

夜寝る前に自問自答するようにしています。
「自分は今日一日、一生懸命にやれただろうか……」

一生懸命もがくのは情けない…… 照れ臭い…… 気恥ずかしい…… という気持ちは、なかなか払拭できません。汗水垂らして悪戦苦闘している姿を晒すのはみっともない、眉間に皺を寄せて余裕なく動き回っているのは見苦しい、誰かに指示されて、右往左往しているのは情けない、と思ってしまう気持ちがあります。できれば、左団扇で、上機嫌で、自分が好きなことだけをして、すいすいと世の中を渡っていきたいのに、簡単にはいきません。

一言で片付ければ、『才能やセンスがない』のだろうと思います。目に見えないところで一生懸命に努力して、やっと人並み。少しでも気を抜いて、手を抜いていると、目に見えて落ちていくことがよく判りました。だから、楽をしないで、自分なりの一生懸命をやり続けないといけないのだと悟らされます。本当は、一生懸命にやりたくないのに、そうしないと自分の満足いくような人生が送れそうもないことがわかっているのです。

逃げ切りを考えた

2016年、48歳の頃に『自分の人生が折り返しに入った』と思いました。この年は、私が好きだったアーティストや有名人が次々と亡くなった年で、無情を感じました。闇雲に自らの成長を追い掛けることにも、ビジネスシーンで成り上がることにも、急速に興味を喪っていくのがわかりました。なんとなく杭に繋がれていた鎖が切れて、大海原を漂泊しているような感覚に襲われました。『しっかり働いて組織や家族に貢献する』という脅迫的に信じ込まされていた常識が、鬱陶しく感じられるようになりました。『このまま他人の評価に左右され、周囲に奉仕することで人生が終わるのか‥』という虚無感に支配されそうになりました。

それまでの歩みには、完璧とはいわないまでも概ね満足と納得がありました。ただ、自分が自らの妥協多き選択で辿り着いた境遇に、全然満足できていないことに気付きました。何を目指してここまで来たのだろう、と愕然としました。若い頃なら幾らでも思い浮かんだ希望も夢もぼんやりとしていて、なかなか展望も描けませんでした。ラットレースの繰り返しから離脱して、このまま逃げ切りたいと本気で思いました。

それから数年周到に準備を進めて、会社員を辞め、約2年間放浪したのは無駄ではなかったと思うし、これからの歩みで、その決断は無駄ではなかったと証明するしかありません。

何度でも構える

これからは、何度でも構え直します。やりたいと思ったことはフットワーク軽く、全部体験していきたいと思います。気持ちの持ち直しです。一生懸命やることをは、愚直にやっていこうと思います。

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。