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儚く消える記憶だとしても

昨日も記事投稿を飛ばしてしまいました。ゴールデンウィーク以来約一か月振りに、横浜の自宅に戻って来ました。急遽クルマを長時間運転した疲れが出たのと、久々に息子と妻と三人で川の字に布団を並べて眠ったので忘れていました。本日は、『儚く消える記憶だとしても』という、最近気になっている現象についてです。

読んだ本の内容の記憶が保持しない

最近とみに感じる不安は、以前のようには読んだ本の内容を明瞭に覚えていられないことです。読んでいる瞬間は心が動いたり、書いてある内容から想像を膨らませたり、感銘を受けたりしているのですが、読了後に思い返そうとしても殆どが記憶に刻まれていません。頭に入れた筈の情報や知識が右から左へと消えている感じで、それこそ読後一週間もすると、本の題名や作者の名前のみならず、読んだことすら記憶からすっぽり脱け落ちてしまっていることが多いのです。

年齢を重ねて記憶力が衰えているのは確実に影響しているでしょうし、新たな知識を受け入れる為の脳の余白が減っていることも、影響しているかもしれません。折角仕入れた情報や知識が定着せず、利用する前に消失していってしまうのは、随分と勿体無い気がします。

関心は増える一方だが‥

年齢は重ねても、学びたいと思う領域の範囲はむしろ以前よりも広がっています。昔少しだけ齧って放り出してしまったものや、興味だけは持ち続けていながら手を出せないまままのもの、メディアなどで偶然目にしたり、耳にしたりして関心を抱いたもの、に挑戦したいという気力までは衰えていないのです。

残念ながら、なかなか集中力が続かず、量をこなせなくなりました。大量のインプットや地道な継続練習が必要なことを地道に取り組み続けることが難しくなっています。最近加わった関心事としては、アートや哲学や思想がありますが、そちらに力を入れると脳の容量を食うせいか、仕事に必要なビジネス関連の知識が急速に朽ちている気がしています。

休み休みやる

ここは発想の転換が必要です。目先の成果や即効性を求めてインプットに取り組むと、結果の出ない状態ばかりの状況に愕然としてしまい、気持ちが萎えます。以前のように、一気に短時間でぎゅうぎゅうに知識を詰め込もうとしても、溢れ落ちるばかりで逆効果だと悟ってきました。

枝葉末節は思い切って切り捨てて、厳選した良質な情報の深い理解を心掛けていく必要があります。心の琴線に触れた情報は、その場でメモに残して、後でこまめに見返すことも意識しないといけません。脳の機能に頼っていては、失敗を重ねることになりそうです。

家族と過ごす貴重な時間も、二度と戻って来ません。普段離れて暮らしているので、目の前で起こっている奇跡的な幸せの時間を、大切に心に刻み込みたいと思います。それには、忘れることを前提に、記録に残す癖が大切だと、改めて感じています。儚く消えてしまうとわかっている記憶ならば、それを補う方法を準備しておくことを心掛けていこうと再認識しました。

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