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『地方』という捉え方

本日は、『地方』ということばの捉え方について、考えることをまとめておきたいと思います。

何に対しての『地方』

『地方』ということばが使われる時に、対としてイメージされているのは、おそらく『都会』であり、『中央=首都圏』であり、もっと限定すると『東京』でしょう。東京以外の地域は、全て「地方」と一括りにされて、二極で議論されているケースが非常に多いような気がしています。

この構図で想定されるのは、社会主義的価値観を彷彿とさせる「中心vs周縁」の関係です。

『地方消滅』が問題提起するもの

一時期話題にもなった増田寛也編著『地方消滅』(中公新書2014)には、着々と進む日本の人口減少問題の一端が、過度な東京一極集中にあり、そのことが「地方」に深刻な影響を与えていることが指摘されています。

出生率が低く、自身で地域の持続可能性を確保できない首都圏は、経済活動を維持する為に、地方で育った若者を吸い上げて、低賃金で「使い捨て」にしていると言い切っています。首都圏の存在が、日本全体の少子化を招いており、「地方」に根深いダメージを与え、日本に深刻な問題を引き起こしているという問題意識  ー人口のブラックホール現象ー が語られます。

本来、田舎で子育てすべき人たちを吸い寄せて地方を消滅させるだけでなく、集まった人たちに子どもを産ませず、結果的に国全体の人口をひたすら減少させていく (P148)

また、多くの地方の経済は、高齢者の年金、公共事業、自場産業がそれぞれ三分の一ずつで構成されており、地方の高齢者が減少ステージに入れば、年金受給者も減り、年金の使い道である生活関連産業も衰退していくので、地方の若者の雇用機会が益々奪われていくことになる、と警告しています。

「地方」と一括りにした議論に感じる違和感

「地方」にも、地域、地域によって様々な違いと特色があります。歴史も地形も文化も気候も地理的位置関係も違います。それぞれが抱えている問題には共通するものが多いものの、「地方」と一括りにして、わかったように議論するのは乱暴だと私は感じます。

「地方」ということばは、色々な手垢が付き過ぎて、何となくポジティブではない雰囲気をまとった概念になっていると感じます。「特色ある地方」「地方創生」「地方経済の活性化」といった掛け声ばかりが先行していて、東京や首都圏の構造をモデルケースにした「ミニ首都圏」を目指すような案が多かった気がします。

ここまで着地点をイメージせずに書き連ねてきたものの、要するに

何でもかんでも、「地方」で一括りして、理解したつもりにならない方がいい

というシンプルな思いに落ち着きます。首都圏で仕事中心で暮らしていると陥りやすい感覚です。

「地方」に代わる何か適当なことばは、私には思い当たりません。地理的要因と伝統を活かした、適正で持続可能なコミュニティが形成され、維持されるにはどうすればいいのか? なかなか大きなテーマですが、微力ながら、絶えず考えていこうと思います。

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