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『謎とき 村上春樹』を読む

本日のnoteは、石原千秋『謎とき 村上春樹』の読書感想文です。

村上春樹初期文学作品の謎とき本

著者の石原千秋氏は、日本近代文学研究者。本書は早稲田大学教育学部で講義された内容をベースに構成・加筆され、2007年に発売された本です。

村上春樹氏のデビューから作家キャリアの初期に発表した小説、

『風の歌を聴け』(1979)
『1973年のピンボール』(1980)
『羊をめぐる冒険』(1982)
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)
『ノルウェイの森』(1987)

各作品の『謎とき』をする書になっています。

私はこれまでの人生で村上春樹の作品や解説本をほぼ読んでいる自負があったのですが、この本は見落としていたようです。思索に富んだ内容ばかりで、私には絶対思いつかない読み方でした。今年読んだ本の中でトップクラスに刺激的な経験ができました。

小説を読むのは『謎とき』

小説を何のために読むのか、どのように読むべきか……

私はこれまで深く考えたことがありませんでした。ビジネス書や専門書の場合は何らか目的がありますが、小説は”娯楽の追求”という考えでした。

物語や表現に引き込まれて感情を揺さ振られることが快感だし、作者が提供する世界観や主張に触れて、共感/反論する体験も心地好いものです。自分にとって未知の世界への扉を開く発見もあります。

私は、小説家は、自分の生み出す物語を読者に共感してもらいたい、わかってもらいたい、と思って小説を書いていると思っていました。しかしながら、石原氏は以下のように言います。

小説は読むことは謎ときをすることだ。謎がたくさん隠されていて、それを読者が読みとく、それが小説を読むことだ。もしすべての謎がとかれたら(もちろん現実にはそんなことはあり得ないが)、それはその小説の死である。なぜなら、誰が呼んでも同じ読み方しかできなくなってしまうからだ。だから、小説家は一番書きたいことを隠して書く。書かないのではない。隠して書くのだ。すぐれた小説家は、そうやって読者の謎ときを誘いながら、同時に読者の謎ときから自分の小説を守ろうとするのである。(P20)

村上春樹氏の小説にはとりわけ「謎」が多く埋め込まれていて、誰かに解説してもらうまで私の読解力では気付けないことも多いのです。ミステリアスな登場人物やこだわりのディテールも多いし、物語展開が突飛に感じられることもある。いったい何を言いたいのだろう? 何を伝えたいんだろう? と頭をひねる場面が多々あります。小説を自分なりの答えを見つける謎とき作業と考えて読むという考え方は、発想として非常に面白いと思いました。

自分もnoteの書き手なので、以下の記述も印象的でした。

小説ではあらゆる言葉が意味を持つか、さもなければ何ものをも意味しないのである。(P45)

謎ときを可能にするキーワードたち

本書の中には、小説の味わい方を助ける概念もいくつか紹介されていて、それが小説を謎ときする補助線的な役割になっています。「言語論的転換」「ホモソーシャル」「聞くことの意味」「郊外の考え方」「繰り返し」「時間の死」「アイデンティティ ~自己の空間的側面と時間的側面」「地図」「誤配」などが考察の重要な道具となり、謎ときに援用されています。

気づきのあった部位の一部を書き抜いてみます。

言語論的転換は「世界は言葉である」というテーゼによって示される。(P57)
現在のわれわれの「父権的資本主義社会」の性質はホモソーシャルと呼んでいい。(P73)
「便利」と「快適」は思想なのだ。近代は「できるだけ多くの物を、できるだけ遠くに、できるだけ速く移動させる」を目指してきた。たとえば、電子メールも近代という思想を形にしたものだと言える。(P79)
村上春樹文学の「いま」は、その意味づけのために常に「過去」を必要としている。(P104)
繰り返すことは、個別性がなくなるということだ。(P142)
言葉を使うことは、すでにある言葉を組み合わせることだ。それが個性的かどうかは、順列組み合わせの問題なのだ。つまり、反復することが言葉の原理なのだ。(P145)
『羊をめぐる冒険』はその実「名前をめぐる冒険」だったが、同時に「時間をめぐる冒険」でもある。(P200)
村上春樹の小説には数字が頻出する。(P238)
時間がアイデンティティの自己による自己の承認という側面と深く関わっているとすれば、空間はアイデンティティの他者による自己の承認と深く関わっている。(P261)
村上春樹の小説は、たとえば地図をテーマにすることによって宇宙に開かれている小説でもある。(P267)
文学理論では、ある事件や人物がある状態から別のある状態に変化するまでのまとまりを「物語」と呼ぶ(P287)

本書を読んで、もう一度村上小説を読み直すと別の味わいがあるような気がしています。

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