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訪れたあの街⑤:デュッセルドルフ

以前訪れた街に思いを馳せる

当たり前に享受してきた「移動の自由」に制約が入ると、移動好きの虫が騒ぎます。緊急事態宣言は解除されましたが、ウイルスが死滅した訳ではないので、第二波、第三波への備えは簡単には解けません。

世界中に点在する魅力的な街を巡る生活に憧れ、これまでに幾つかの夢は叶いました。あの街はよかったなあ… あの街へ死ぬ前にもう一度行ってみたいなあ… 私にはそんな街が沢山あります。第5回は、デュッセルドルフ(Düsseldorf)です。このnoteは #おうち旅行  企画に参加致します。

デュッセルドルフの概要

デュッセルドルフの概要については、Wikipediaの解説記事から抜粋させていただきます。(手抜きですみません)

● ライン川河畔に位置し、ライン・ルール大都市圏地域の中心でルール工業地帯のすぐ南西部にある。
● 人口は約62万人(64.2万人:2016年)。
● 金融やファッション、世界的な見本市の中心都市の一つである。 
● ブルーバナナと呼ばれる、経済的にも人口的にもとくに発展した地域内に位置し、市内にはフォーチュン・グローバル500に含まれる5社や、いくつかのDAXに含まれている企業が本社を置いている。
● 日本企業の進出も盛んで、デュッセルドルフ市内には約5,000人の日本人の駐在員やその家族などが居住し、日本総領事館などのあるインマーマン通りは日本人街の様相を呈している。
● 芸術分野でも知られた都市である。

ドイツ

デュッセルドルフとの出会い

私は自他共に認める”欧米かぶれ”で、学生の頃はドイツに特別な憧れがありました。EU経済の中心地はドイツです。欧州域内の移動にルフトハンザ航空を使うことが多かったので、日本からはフランクフルトかミュンヘンをゲートウェイに出張することが多かったです。

デュッセルドルフには日系企業の現地法人の多数が拠点を置いていました。欧州の街で、休日を過ごしたのはデュッセルドルフが最多です。2014年からはANAの直行便も飛ぶようになったので、より便利な街になりました。

初めて訪れたのは2010年で、その時は空港から市内へ旧式のメルセデスのタクシーで移動しました。ドイツではメルセデスでも一般車扱いなんだなあと納得しました。

羽田発のANA直行便でフランクフルト空港へ早朝に着き、特急電車IC(インターシティ)が運休だったので、フランクフルトからデュッセルドルフまで、DB(ドイツ鉄道)の鈍行電車に揺られて移動したこともあります。

よくわからないドイツ語のアナウンスに耳をすませ、途中電車を何回か乗り換えながら、2時間以上揺られてデュッセルドルフ中央駅に到着した時にはほっとしました。途中、ライン川を渡る時、聳え立つケルンの大聖堂(ケルン駅至近にある)を車内から見上げたことを覚えています。

デュッセルドルフの思い出

ドイツ滞在のお楽しみは、「ビール」です。

デュッセルドルフは、アルトビール(Altbier)の本場です。ヴァイス(Weißbier、ヴァイツェン)が主流のミュンヘンで聞くと、「あんな不味いもの飲めるか」と言う人もいましたが、私はどちらも好物です。

ドイツ人にとって、ビールは水替わりに飲むもの。水質が良くなかったので、生水を飲む習慣がなかったようです。その殺菌技術が各地のビール作りの技術に生きていると聞きました。

ある時には、週末をデュッセルドルフで過ごすことになったので、当時アムステルダムに駐在していた友人に来てもらって、昼間からアルトシュタット(旧市街)のパブやライン川沿いのオープンカフェで、ブンデスリーガの試合を見ながら、はしご酒をしました。

一旦休憩してから、夜は、名物店のSchumacher(アルトビールを最初に作ったと言われています)で、日本代表DF内田篤人が所属していたシャルケの試合を観ながら再びビールを飲みました。

ドイツ料理は、質実剛健。繊細さよりも、パワフルさ、ボリューム感が前面に出てくるイメージです。私はビールに合う豚肉料理、ポテト、ソーセージばかり食べていてもOKでしたが、連日だと正直飽きます。デュッセルドルフは、欧州で最高の日本料理を食せる街です。現地の人達との会食では、日本食やラーメンを食べることも多かったです。

コンパクトな街なので、歩いて街並みを楽しむのもおススメです。

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