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『デヴィッド・ボウイ』を読む

本日の読書感想文は、7月の課題図書にあげていた野中モモ『デヴィッド・ボウイ:変幻するカルトスター』です。

距離を感じていたスーパースター

2016年は、音楽業界のスターたちが次々に亡くなった憂鬱な年でした。その皮切りになったのが、デヴィッド・ボウイ(David Bowie 1947/1/8-2016/1/10)の突然の訃報でした。

三年振りのニューアルバム『★(ブラックスター)』を69歳の誕生日にリリースしたわずか二日後の訃報に、世界中のファンが衝撃を受けました。その死の重みは今になって、ずっしりと感じます。

私にとって、デヴィッド・ボウイは、亡くなってから、より深く関心を持つようになったアーティストです。

彼のキャリアの中でも最大のヒットとなった1983年のアルバム『レッツ・ダンス』は、on timeで経験しています。シングルカットされた『レッツ・ダンス Let's Dance』『チャイナ・ガール China Girl』『モダン・ラブ Modern Love』はプロモーションビデオとセットで強く印象に残っています。

『レッツ・ダンス』が、ボウイ本来の魅力と功績からみれば氷山の一角に過ぎないことは、無論承知していました。しかしながら、それ以前/それ以降の彼の作品には触手が伸びませんでした。ただ、彼が亡くなるまで、1970年代のジギー・スターダスト『スターマン』にも、『アラジン・セイン』にも、1980年代後半からのティン・マシーンの活動にも、2000年代の復活劇にも、興味を惹かれなかったのは事実です。

大好きなモット・ザ・フープルの『すべての若き野郎ども』の作者であることにリスペクトは払いつつも、ボウイの音楽は、私の嗜好からは常に遠い所に位置する存在でした。

人間、デヴィッド・ボウイの印象

小学生の読書感想文みたいな稚拙な表現になってしまいますが、本書を読んでみて、人間、デヴィッド・ボウイに惹かれました。刹那的で、精力的で、真面目で、新し物好きで、率直で、気さくで… 

守りたいものには徹底的に拘る一方で、自分の感性を信じて、時代の先端をいくものを自分の活動に積極的に取り入れる柔軟な思考の持ち主だったようです。「デヴィッド・ボウイとはこういうものだ」と規定されることには終始拒否反応があったようで、謎の部分を残し続けていました。生涯ロックスター、アーティストとして、ミステリアスさを守り続けた人生でした。

多彩な交遊録にも驚きです。意外な人物がボウイと繋がっていることに今さなながらの驚きがありました。ピーター・フランプトンと同郷だったとは… 息子が映画監督のダンカン・ジョーンズであることも知りませんでした。

ビジネスマン、デビッド・ボウイへの驚き

更に驚きだったのは、ビジネスについての才覚です。インターネットの可能性をいち早く見抜き、自分のビジネスに積極的に取り入れていました。1990年代に既に『ボウイネット』、今でいう所のオンサインサロンのようなサービスを立ち上げ、公式ウェブサイトもつくっています。

1997年には楽曲が生み出す著作権収入を担保とする資産担保証券の「ボウイ債」という金融商品を発行して資金調達する手法を取り入れています。これは、現代のクラウドファンディングの先駆けと言えなくもありません。

鋭い時代感覚、アンテナの持ち主だったことは、以下のエピソードが物語っているように思います。

デヴィッドは、2002年の「ニューヨーク・タイムズ」のインタビューで、それから先の10年のポップ・ミュージックを取り巻く環境がいかに変化していくかを正確に予見していた。「音楽それ自体は蛇口をひねれば出てくる水道水や電気のようなものになるだろう」「ツアーをたくさんやる覚悟をしておいたほうがいい。なぜならそれは唯一残された場所になるだろうから。恐ろしくエキサイティングだよ。まあ、君がそれをエキサイティングと感じるかどうかは問題じゃない。単にそうなるってだけの話さ」ー P216-217


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