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明るい未来を思い描けない時

本日は、朝寝坊して、なかなか活動する気力が湧いてこず、午前中は怠惰な時間を過ごしてしまいました。強制的なStay Home Weekということで、「未来を信じて頑張ろう!」という前向きな気持ちになるのはなかなか難しいものがあります。

そんな悶々した気持ちを抱えていますが、気を取り直して、以前に書いた「過去を振り返る行為は無駄とは思わない」の続編を綴ることにしました。

無理して前に進まない選択

今のような危機的な時期に強い心を持って、アクティブに活動できる人を尊敬します。そのような姿を見て素直に「私も頑張らなきゃ」とパワーが宿る人はいいのですが、焦りや強迫観念になると精神的に追い込まれます。心を静かにして、流れに身を委ねてふらふらする時間や、敢えて過去に引き籠る時間も大切にしてよいと思うのです。

私は、行動出来ずに立ち竦んでいる自分、踏み出せない不甲斐ない自分を受け容れて甘やかし続ける生活を送っています。ふらっと旅行には行けなくなったものの、気儘に本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、過去を懐かしんで生きています。明るい未来なんて全然見えてきません。

私のそのような態度は、不貞腐れてファイティングポーズを外してしまったクズのような人間に見えるかもしれません。労働で世の中に貢献することから背を向けてもう半年以上になりますので、自分に対して、社会にぶら下がってふらふらしている情けない親父だと卑下する気持ちもあります。妻はこんな冴えない夫によく耐えてくれているなあ、と感謝の気持ちで一杯です。

いつもいつも強くいられない

終わってしまった過去など何の価値もない、という人もいます。それはそれで正しいと思います。私にもそう考えていた時期がありました。

でも、振り返る過去すら持っていない、過去を簡単に切り捨てる、過去を振り返る時間さえ勿体ないと思う、のは些か寂しい態度ではないのかと、今は思います。

冴えない現在を生きているけれど、誇れる昔、懐かしい過去があるのであれば、長い人生、自分の心を守るためにその思い出に浸る日があっても構わないのではないでしょうか? 退廃的過ぎる発想でしょうか?

今日は溜まった毒を吐き出しておこう

長く生きてくると、肉体的にも、精神的にも衰えていきます。これは抗えない現実です。私は必要以上の節制やトレーニングを自分に課して、老いを遠ざける努力に励む気持ちはありません。自然の摂理としての衰えや老化を受け容れ、現実にきちんと向き合って、仲良くします。

さて、負け惜しみのような気持ちを吐けたので、午後からは日課のWalkingに出掛けて、すっきりしてきます。

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