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訪れたあの街⑥:ジェッダ

以前訪れた街に思いを馳せる

これまで当たり前に享受してきた「移動の自由」に制約が入ると、途端に移動好きの虫が騒ぎ出してきます。

世界中に点在する魅力的な街を巡る生活に憧れてきました。あの街はよかったなあ… あの街へは死ぬ前にもう一度行ってみたいなあ… 私にはそんな街が沢山あります。

第6回のジェッダ(ジッダ Jeddah)には、再訪したいという強い思いはありません。でも、忘れられない街の一つです。このnoteは#おうち旅行 企画に参加させていただきます。

ジェッダの概要

ジェッダは、サウジアラビア王国の首都リヤドに次ぐ二番目の大都市です。人口は397万人(2014年)。同市を含む紅海沿岸の地域はヒジャーズ地方と呼ばれ、エジプトから紅海を経てインド洋に至る東西交易路の要衝として栄えてきました。ジェッダはその中心都市として紀元前からあると言われる歴史の古い街です。旧市街には遺産級の名所旧跡が残されています。

イスラム教の聖地、メッカのゲートウェイにあたり、ハッジ(大巡礼)の時期には世界中のイスラム教徒が船や飛行機で押し寄せる街でもあります。キング・アブドゥルアズィーズ国際空港には、巡礼シーズンのみ稼働する専用ターミナルがあります(私が訪問した1998年当時に聞いた話)。

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ジェッダとの出会い

私がジェッダを訪問したのは、1998年5月。ビジネス出張でした。

当時サウジアラビアへの入国には、商用・巡礼目的の渡航ビザの取得が必須で観光目的での入国は禁止されていました。2019年9月27日、観光目的で渡航する日本国民に対してビザが発給開始されました。イスラエルへの入国履歴のあるパスポートは入国禁止になる可能性があるのでご注意下さい。

サウジアラビアは、サウド家が世襲支配する国であり、厳格なイスラム教ワッハーブ派を国教とし、イスラム教以外の信仰は禁じられています。日々の生活や文化にもイスラム教の教えやイスラム法(シャリーア)の影響が及んでおり、飲酒禁止、女性のアバヤ(黒衣)着用、等が浸透しています。

ジェッダの思い出

ジェッダには1泊滞在しただけで、旧市街を少し歩き、美しい紅海を望むレストランでシーフード料理を堪能したくらいしか記憶がありません。

現地で聞いた話は非常に面白かったです。私は、当時薄板製品の営業をやっていて、ビジネスの可能性について大いに興味をそそられました。1998年時点の話ですが、以下のような内容です。

● サウジアラビアの人口ピラミッドは、若年比率が高く、若年失業率改善が国家的課題となっている。この舵取りに失敗すると、若年層の暴徒化が懸念され、サウド家は倒れるかもしれない。
● 日曜日には、犯罪者の公開処刑が市内広場で行われる。 ※イスラム教の安息日は金曜日で、日曜日は平日扱い
● アラビア世界で月と星はブランド。シンボルマークにしている日本の日新製鋼製鋼板の人気が高い。
● 早くから石油採掘が進んだので、石油埋蔵量の枯渇懸念は深刻。オイルマネーが減少すると国家提供サービスの破綻が懸念される。
● 砂漠の朝夕の寒暖差が激しい。砂漠地域ゆえ、砂塵対策も必要。サウジ用エアコンの仕様は世界一厳しいと言われる。
● 宗教的・民族的に複雑に入り組んでいて、勤勉ではない民族も多い。
● 王族はいわゆる裕福な資本家層なので、実体経済運営の現場で主導権を主にレバノン系民族が握る。王族以外のアラビア系は使われる立場ゆえ、権利・待遇改善を求めて暴徒化しやすい。
● アラブ諸国で作るGCC(湾岸協力会議 Gulf Cooperation Council)の主要国であるが、緊密な連携関係があるとは言い難い。
● 政治・ビジネスは特定の王族と有力家系が利権を世襲で独占している。

潤沢なオイルマネーを公共投資に投入しているせいか、市内の幹線道路、高速道路網、空港は綺麗に整備されていました。どのラウンドアバウトにも、豪華なモニュメントが設置されていました。写真撮影は厳禁と言われていたし、スマホもない時代だったので、記念写真は一枚も残っていません。

サウジアラビアは、湾岸諸国の中で最も飲酒に厳格で、商用・私用とも厳禁です。しかし、外国駐在員の中には、内緒でワインを作っている人もいるという話を聞きました。スーパーで売っているぶどうジュースと醸造キットを買ってきて、自分で作れるようです。

 

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