7:00ぴったりにご飯を食べはじめたい。

できあがったご飯を前に、じっと待つ。

これは、アスパーガール独特の『こだわり』のつよさのせいだと思うんですが、わたしは『時間ぴったり』じゃなきゃ動けないことがありました。
とくに小学生、中学生のときはその傾向が強かったと思います。

たとえばこういうことがあります。

毎日7時にご飯を食べると自分で決めていたとします。
そして、ご飯が6時57分に食卓に並ぶとします。
そのときわたしは食卓に座り、家族と一緒に「いただきます」をしたあと、
お箸をもたずに7時になるのを3分間じっと待つのです。
もちろん、家族のみんなはご飯を食べはじめている中です。

じゃあ、6時51分に食卓にご飯が並んだ場合はどうなるのか。
9分待つこともありますが、妥協する場合もあります。
わたしの中で、気持ちよく動けるのは、5分刻みです。
時計の針が数字に重なればOKなのです。
この場合は、ご飯の時間を7時から6時55分に設定しなおします。
そして、6時55分になるまで、4分間待つのです。

「はやくしなさい。」は耳にたこ。

そんな『こだわり』、わざわざ話したことはありませんでしたが、家族と同居している限り、時間に関わる問題は日々あります。

「はやくお風呂に入りなさい。」
「はやく寝なさい。」
「はやく起きなさい。」
「はやく着替えなさい。」
「もう8時よ!(実際には7時57分)

2,3分の違いなんて、たいした問題じゃないのかもしれませんが、わたしはとても気になるのです。ピッタリじゃないと嫌なのです。

自分の中で、何時に行動を始めるかは決めています。
家族から、マイペースだとか、のろいとか何度言われようが
1分でもずれて行動したくなかったのです。
すこしでもずれると、ずっと気持ち悪いまま、過ごすことになるのです。

どうしてもの時は、時計を見ない。

いよいよ、ひとに合わせた生活が必要なとき。
最大の対策は、「時計を見ないこと」です。

肌感覚で、「あ、これは『こだわり』ださないほうがいいぞ。」と思う日や、思う相手があります。
でも、時計をみてしまうと、ピッタリじゃなくて気持ち悪い。
そうすると、「時計を見ない」しか方法がありません。
「時間」を意識しないように、意識する必要があるのです。

ひとりの時はとことんピッタリ♡

「はやくしなさい。」という言葉が大嫌いなわたし。
それが聞こえないだけで、ひとりの時間はずいぶん楽にすごせます。

自分が決めた時間に、ぴったり行動がはじめられるからです。

8時40分に目がさめても、ごろごろした後、9時に起き上がれます。
ごはんから、おふろ、トイレ、勉強、おひるね、
なにからなにまで、ピッタリすごせます。

「ちょっと待って。」
「わかってる!」
「あと少し。」
「8時になったら。」
「いましてるところ。」

こういったわたしの言い訳(わたしは言い訳を言ってるつもりはないけど)を聞かなくてすむ家族も、ずいぶんストレスフリーだと思います。

せっかちな人、のんびりな人、いろいろいるよね。

わたしの家族は、だいたいせっかちです。
かなりせっかちだと思います。
だから、わたしはいつも怒られてばっかりでした
「マイペースすぎるよ!」
「ずっと待ってるんだよ!はやくしなさい。」
耳にたこ。本当に耳にたこでした。

わたしからすれば、のんびりな人よりせっかちな人の方が、よっぽどマイペースだと思っています。
せっかちは本当に正義ですか?自分のペースに、人を巻き込んだり、人を自分に合わせようとしていませんか?
そのせいで、無理をしている人がまわりにいませんか?

まあ、そんなに深刻になる話ではないですけどね。
「そのペース、しんどいって思ってるよ」って気づいてほしいなって思うときがあるのは事実です。苦笑

せっかちなひと、のんびりなひと、いろいろいます。
ピッタリが好きなわたしもいます。
それぞれが心地よくすごせるタイミングは違います。
一緒にすごすってことは、そういうのも含めて、許しあうことです。

誰かひとりが、我慢すればいいって、話じゃなくて、理解していきたいね、って話にしたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?