自分掘り事例:元ダン2号と油事件

 我が家では毎年クリスマスには私がローストターキーを焼くことにしていて、息子が元ダンの家にいるかウチにいるか、という話になり、わたしは、「どっちでもいいけど、うちはターキーをやるからうちがいいかもね、そっちは何かやるの?(元ダンは料理研究家なのでいつもパーティーや集まりをしている)」と聞くと、「いや特に予定はない」と言うので、「うちに来る?」と言ってしまった。

 なんで ”言ってしまった” と言うかと云うと、私と元ダン二号は10分以上一緒にいると必ず”イヤな事”が起きるからだ。二号は、ものすごく押しが強く、口からでまかせで延々と主張し続けるので、とても疲れてしまう。でも、別れてから相手の嫌なところをジャッジしないで尊重をするように関わっていたら、だいぶんいい付き合いになってきたので、”つい”そんなことを言ってしまったのだ。

 ところが、やっぱり起きた”イヤな事”。
 
 今回は、食用油である。

 オーガニックやエコロジーにくわしい(こだわりのある)人たちは油にうるさい。ごま油やオリーブオイル、ココナツオイルなど、酸化しない且つリノール酸がどうこういう油を選んで使っていると思う。わたしもその例外ではないのだが、わたしは、とあるコーン油を、とあるマニアックな自然食料品屋さんで見つけ、使ってみたら、これが繰り返し使っても酸化を感じた事がない、いいものを見つけたと思い常用している。値段は、いわゆる日◯サラダ油と同じ容器に入っていて、1600mlで2000円くらい。なかなかの値段だが、揚げ物をしても使いまわせるので、ある意味経済的、安いのも不安というわけで、これは願ってもないアイテムなのだ。その食料品屋さんは、我が家御用達のカリスマ鍼灸師が勧めてくれたのがきっかけで、他のオリジナル商品もとてもいいので、何かが違う、波動が違うんだ、と ”勝手に” 思い込んで使っている。
 まあ、そんなわけで、私は満足しているのだけれど、二号は、自分の考えを押し付けがちな激しい人間で、フライドポテトを作ってきて、とお願いしたら油の話になり、また始まってしまった。

 そうなると、わたしの身体と神経状況はたちまち、八方塞がりの、目の奥がキューっと締まる様な感じに。。。

 さて、しかし、私のセルフマイニングメソッド(自分掘りメソッド)では、こういう事が、わたしの中の何か知らないといけないこと”おしるし”ということになるのである。

 今までも何度もこの現象は味わってきたが、今までは自分の防衛に自分が巻き込まれていて、ちゃんと向き合うことができなかった、あまりにもイヤで、シャットアウトするしかなかった。そうでなければ、押し切られる。ほんとに西洋人というのは(笑)出るに任せる威圧的なあの口調、スピード感、その上、2号は人に合わせる、人のことをおもんばかることは困難な性質だ。
 私は相手に押し付けてはならぬ、人のことは人が決める事、という信条も持っているので、押し付けないことにしているのだが、彼は、その私が、しない様にしていることをやるので、ますますイヤだ。

 でもここで、わたしは、”人に自分の趣味を押し付けてはならぬ”という”ねばならぬ”を持っていることを知る。それは、とりもなおさず、もともと自分は”自分の信じていることを人に押し付ける性格だ”ということである。だからこそ、そうしてはいけないということになる。これを心理学的用語では”投射”とかいう様です。まあ、そうです。はい。

 そして、私が何よりイヤなのは、「自分が考え抜いてやっていることを批判される事」。それはもう、死ぬんじゃないかってほどのイヤさ加減。

 ああ、こう書いていてもどんどん自分を認知&納得する。

 まさか、サラダ油事件の中の心の動きに自分のウィークポイントを見出すとは、まさにこれもマリ真理学なのだが、すべての心が揺れるできごとは、自分の中の何かを知らせてくれる警告音で、たいてい、人のメインの悩みにたどり着いたりする。わたしはまだ、この「自分が考え抜いてやっていることを批判される事」を克服できていないので、こういう事件が起きる。

 じゃあ、克服というのはこの場合なんだろう。

 私は、メッセージで、「わたしは、全てツッコミどころは知っているので、説得はしないでほしい。私もしない」と書いて、とりあえず、あちらも引っ込んだ。

 しかし、当日もやはりなんか言うだろうし、油を見ると言うかもしれないけれど、ふむ。。。問題は、この案件の正否ではなく、私の心が乱れるという事なのである。

 よし、落ち着いて考えてみよう。根拠がない、と言ったが、なぜ私がその油を選んでいるかというと、

①その店のポリシーと技術力を信用している
②カリスマの鍼の先生が自分で食べて判断した
③実際にその油の酸化しない力は半端じゃない(わたしは油の酸化にうるさいし、すごく匂いや味に敏感だ)
④そのほかの商品もとても美味しい

 あれ?結構根拠あるな。

 これを落ち着いて言えれば克服かもしれない。

 なぜか、彼の口調や目つきに私の神経が撹乱され、落ち着きがなくなるのはやはり、批判を異常に恐れているというわたしの魂の叫びなのだ。その原因は、とても大きな魂のトラウマ=私の問題集の主要トピックである。

 ついでに、わたしは、子どもも食べるのだから、子育てが悪いと言われている気にもなって、言い返せないのがつらいのである。

 でも、私は、私の身体にいいものを判断して選んでいる、私の身体が、これを使っていて気持ちがいいと言っているし、もうひとつ、私は何かをいいと思って選ぶのは健康的なことだと思っているのだけれど、何かを悪いと言って否定することはかえって身体に悪いとも思っている。それは、身体を冷やし、敵を作り出し、”自分が不安な世の中に生きている”という意識を増長して、そういう世界を作り上げてしまう。

 と言ってみようかな。ちょっとまだ防衛入ってるかな。

 まだ防衛を感じるのは、多分、なんか言わないといけないと思っているところだ。もし、自分の中のことを全部知り切って、自分が過去に傷ついたのであろう感情を癒やす事がで切ったら、問題は消える。なのでこれはまだ消えていない(でもいくらか問題の起き方がソフトになっている)。

 ふむ。もう一つ見つけた。私はみんなと同じことをするのが嫌いだ。エコの人たちともエコじゃない人たちとも違うことをしたい、かなりの偏屈である。一種の一人選民思想みたいなものだ(笑)

 きっとそっちの方が自分に得があると思っているのだ。その得とは、お金とかじゃなくて、おもしろいものを見つける、みたいなことなのである。

 さらにタチが悪いことに、人には自分が見つけたものを伝えて感心されたい。孤独はイヤなのに、誰とも違っていたい。そして批判されると思うと、たとえ死んだとて、その痛みは感じ続けるんじゃないか、という極度な恐怖を感じる。

 よく考えると、人と違うのが好きというのは、人を批判しているということにも通じるかもである。ということは、自分がそうである事を見たくないから、自分はそうでない、と思いたいのかもしれない。ガックリ。

掘り出した自分:

 自分のこだわりを批判されるのが生命の危機を感じるほどイヤ(魂レベルのトラウマ)

 こだわりを人に押し付けてはいけないと思っている(抑圧)

 人が気づかないことを探究したい(個性)

 探究して人につたえ、感心されたい(ミッション)

 孤独が嫌いなのに、人と違っていたい(性質)


こんな自分なんだなあ。。。しみじみ

 さて、パーティー当日。
 途中その油の話になり、私は台所にいて、私のダーリンがニコニコして聞いていた。
 私はその時に上のことが言えれば克服だったのだろうが、元ダン2号もあえて柔らかな物言いだったので、なんとなく流してしまった。今考えるとちょっと失敗だったかも?
 またの機会を待つしかない。

 克服って勇気がいるけれど、身近な人たちというのは、自分の大切なところに気がつかせるため、こうやっていろんな役割を担ってくれているありがたい存在だ。いろいろと感謝だ、元ダン2号🙏




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