「良い世界観が良いチームをつくる」。世界観を見失ったときの失敗談

先日 #コルクラボ でお聞きした、ファシリテーターの長尾さんとクラシコムの青木さん、コルクの佐渡島さんの対談。クラシコムは「北欧、暮らしの道具店」というECサイトを運営している会社です。ただものを売っているのではなく、ひとつひとつの商品に物語のあるサイト。

おふたりのお話に出てきた「良いチームをつくる事業を生み出す方法」をお聞きして「こういうの早く習っておきたかったなぁ」と思った話。

5.  抽象的な概念をものやこと、プロダクトやサービスに転写できるようにずらしたり、ずらしながら寄り添うことを続ける

「良い事業をつくるためのチームづくり」ではなく、「良いチームをつくるための事業づくり」というのが、直観と反するところで、なるほどなぁ、と思いました。いいチームがあるから良い事業になるのではない。良い事業があるから良いチームができる。

そして、良い事業をつくるために必要なのは、ナラティブに語られ、メンバーが参加可能性を感じられる世界観である、ということです。

このことについて、最近リリースしたtakk!をつくる過程での反省があるので、書いてみようと思います。

takk!というサービスは、まだまだ小さいながら

世界観がいい。好き!

思いがこもった素敵なサービス!

と、世界観に共感していただくことがとても多くて、運営者としてはものすごく嬉しいことです。

これはリリース時の思いを記したnoteです。

「孤独感が憂鬱さや悲しみを生むから、オンラインのつながりをはじめとした『頼れないつながり』を「頼り合えるつながり』に変えていきたい。『あなただからお願いしたい』という顔が見える取引は、お互いにとって嬉しいし、やりとりされる経済的価値以上の価値を生む。双方向の『ありがとう』を増やしたい。」

こんな世界観のもとに、サービスがつくられています。

誰にも刺さらなかったβ版の存在

実は、今回のサービスをリリースする前に、誰にも刺さらなかったβ版が存在していました。これはリリースしてすぐに継続不可の判断をしています。なぜこんなことが起こったのか、少しお話してみたいと思います。

2017年8月、現takk!の最初の構想を社内のメンバーに共有しました。最初のサービスイメージとともに示した「世界観」は、こんな殴り書きでした。

・売り買いの場ではなく、関係性が生まれた結果として、「お礼」としてのお金のやり取りが生まれるシステム・「購入」からではなく「話しかける」から始まる・カタログがない。比べるところから始めない・顔が見えれば、優しくなれる。・お金の価値はあくまで相対的である(絶対的な値段はない:一物一価的な市場主義・資本主義へのアンチテーゼ)・対価は目的ではなく結果であり「支払われる」ものでなく「贈られる」・お互いができること・必要なことのGive and takeを増やす・Giveすることもまた治癒的である・「求めていること」を発信することが出会いのきっかけになる(自覚が高まる+他者認知が広まり、おせっかいを焼きたい人が出てくる)・「マスからの評価」ではない、個別性のある価値の重要性(1:n→1:1。"who" matters)

内容は今のtakk!の前提とする世界観とほぼ変わっていません。

ただ、改めて見ると、何をつくるかとか価値観とかただの意見がごっちゃになっているし、言っていることも小難しくて、謎に英語も混ざっているし、理知的なお花畑のようです。ふわっとした思いを論理的に説明しようとした結果、全然心に入ってこない。本当に伝えようとしているのか。

当時はまだサービスの構想とこの世界観もいまいちマッチしていなくて、納得感のない内容になっていたと思います。そのとき、メンバーのひとりに言われた忘れられない言葉があります。

ポエムで爆死したくない。櫻本さんのポエムに周りを巻き込まないで下さい

これは突き刺さりました。そうなのか。そうか、ここは組織だから、私の漠然とした「こんな世界になったらいいよね」という思いにみんなを巻き込んじゃいけないんだ。

そのときはそう思って、そこから何週間も議論を重ねて、メンバーが「納得する答え」を探そうとしました。どんなに議論しても答えは出ず、宗教論争のようになって、サービスの輪郭も定まらない日々が続きました。

そのうちにみんなが疲れきってしまい「とりあえずこんな機能のものが必要そうだから、つくってみて、ユーザーに問い直しながらサービスをつくっていこう」という一旦の合意で、ひとまずは開発が進んでいきました。

プロダクトはだんだん出来上がって行くけど、テンションは全然上がらない。そうして最終的にβ版として出来上がったのは、「質問箱のついたtimeticket」のようなプロダクト。これは驚くほど誰にも刺さらなかったし、私たちにとっても「誰のものでもないサービス」でした。

役員に「これ、誰がつくりたかったの?」と聞かれても、答えられない。実際にβ版を使ってくれた人からの「質問箱とかtimeticketと同じだよね?」「なんでこれをあなたたちがつくろうと思ったの?」という感想に、言葉を返すこともできませんでした。

当然ながら、チームの雰囲気も良くなかったと思います。みんなやるべきことはやるけれど、どこか上の空でした。

そこから改めて仕切り直して、ユーザーヒアリングを重ね、どこに価値が生めるのか、私たちは何をつくりたいのかを何度も何度も議論して、今のtakk!があります。

世界観を「納得してもらう」という間違い

世界観を人に「説明」するのは、とても難しいものです。

信じている「世界観」の正しさを証明するものは何だろうと頭で考えはじめても、そこには何の根拠も浮かび上がってこない。ただ「いいと思っている」ということです。だからそれを根拠とともに「納得してもらう」ことはとても難しいことです。

根拠のない世界観についてを論理的に問い詰められると、その確からしさにも自信が持てなくなっていきます。そこで自信を持てなくなると、「ちゃんと説明しないと」という気持ちになり、「正しい」プロセスを踏もうと、教科書的な考え方をするようになります。

教科書的なビジネスの作り方は「ペルソナを決めて、課題を抽出して、それに対するソリューションをつくる」というものです。ペルソナは?ニーズは?と、現実の困りごとからスタートするやり方であれば、考えを論理的に説明できるし、メンバーに「わかってもらう」ことができます。だから会議を重ねるプロセスで、そちらの方に議論が偏りやすい。

そのプロセスに「世界観」という言葉も、「お花畑」も「ポエム」も登場しません。

「メンバー全員の納得感」を大事にしながら開発を進めようとすると、だんだん「世界観」の要素が削ぎ落とされ、理知的な「ペルソナ」「ニーズ」「ソリューション」だけが残って、誰のものでもない、温度のないサービスが出来上がる。それは、ユーザーにも受け入れられない。それが、takk!のβ版で起こったことでした。

もしかしたら、たくさんの利害関係者の合議で方針を決めなければならない行政や大企業のプロダクト開発の場でも、同じようなことが起こっているかもしれません。

世界観を「説明」して「納得」してもらおうとしたこと自体が私の間違いだったと、今は思います。世界観は「伝え」て「共感」してもらうものです。

「ポエムで爆死したくない」と言われたときに私がすべきは、ポエムを合理的に説明しようとしたり、納得感のある答えを探そうとすることではなく、きちんと伝わる世界観として昇華させ、言語化して、伝わる言葉で巻き込んでいくことでした。

その後、なんどもなんども話し合って、世界観の輪郭が少しずつはっきりして、ようやくそれを体現するサービスとしてリリースすることができました。私の世界観がもっと最初からはっきり表現されていれば、こんなに時間がかかることもなかったと思います。根気よくリリースまで議論につきあってくれたメンバーには感謝しかありません。

今は、新しい機能追加をするにあたっても「これはその世界観に照らして、やるべきことなのかどうか」と問い直しながら進めていけるようになりました。共感してくださるユーザーさんの声が聞こえるようになってからは、チームも(私も)プロダクトのことを考えるのが楽しいし、生き生きしてきました。

世界観とモノ、どちらが先にあるのか

先に世界観がなければいけないわけではありません。冒頭の対談の中で出てくるクラシコムさんの「北欧、暮らしの道具店」はむしろモノがあって、そのペルソナに合わせた世界観をつくっている。

逆に、世界観→象徴するものをつくる→それを横展開するという順序もある、とおっしゃっていたのは佐渡島さん。

ただ、いずれにせよチームがわくわくしながら取り組むためには「機能を持ったプロダクト」ではだめで「世界観のある事業」が必要です。メンバーが「自分がこの世界観をの一部であり、それつくりあげている当事者である」と実感できること。長尾さんの言うところの「良い世界観のある事業が良いチームをつくる」は、そういう事なのかなと身をもって学びました。

ビジネススクールで「プロダクトの世界観の作り方と合意形成の方法」に関する授業があるのかどうか知りませんが、こういうの大事だよって、もっと早く教えておいてほしかったなぁ、とひとしきり失敗した後に遠い目をしながら思います。

学んだこと。

①世界観に巻き込むことに失敗したとき、みんなの納得する解を探そうとするのではなく、世界観そのものをブラッシュアップして、信じられるものにしていくべき。世界観は正しさを問うものではなく、信じるもの。

②良い世界観が良いプロダクトを生み、良いチームを生む。世界観に一緒にわくわくできないときのチームは荒れるし、チームが自分をその一部だと思えないプロダクトはユーザーも自分たちも幸せにしない。

③こうして振り返ってみると、こういうことは誰かがいろんな言い方で言っていたのかもしれない。失敗すると身にしみてよくわかるし二度と失敗しないと思うから、早めに失敗したほうがいい

渦中にいるときは苦しかったですが、失敗談に変えられてしまえばもはや良き思い出です。


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