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燃える火と、沈む陽と、死にゆくワニと

いつもはそれぞれの自我が溢れるtwitter上で、死にゆくワニをみんなが見届けようとする様子は、半ば感動すら覚えた。こんなにもみんなが一点に集中して関心を持った架空の瞬間は、今までにあったんだろうか。

「寂しい」「本当に死んじゃうの?」

架空のワニに熱狂し、惜しむ人々の様子を見ながら「失われゆくこと」それ自体が生み出す意味の大きさを味わった人も多いのではないだろうか。

人は「喪失」の予感に大きな不安を覚える。ワニが死ぬ、健康が損なわれる、仕事を辞める、大切な関係性を失う。

終わりを予感した瞬間に、全てのことが「有り難く」感じられ、失われゆくことに抵抗したくなる。失うことが怖くなる。

でもきっと、明日にはほとんどの人たちにとってワニは過去の物語になり、次第に思い出すことすらなくなっていくのだ。

一旦失われてしまえば、それは「過ぎ去ったもの」になる。それが存在しなければ、人は代わりに心を埋める何かを発見し、それとともに生きていくことができる。

そもそも、人が熱狂したのは「ワニ」ではなくその「喪失の予感」であり「有り難さ」だった。それが「ワニ」である必然性はどこにもなかったのだ。

裏返せば、常にあらゆることの「有り難さ」を認知しているなら、何かを失うことを恐れることすらなくなる。だってそれらは最初から「有ることが難しい」ものなのだから。

何かを失った後に、その余白には新しい出会いが生まれる。そもそもわたしたちは世界のほとんどとまだ出会っていない。手放すことは、新たな出会いに開かれることだ。

手放すことを、失うことを、恐れる必要はない。


話は変わるが、最近は、瀬戸内海の景色が世界一美しい景色だと思うようになった。実家だから贔屓目もある。

波は穏やかで、島々には人の生と自然とが調和している。大いなる力に争うことなく、だからと言って無力感に囚われるのでもなく、それぞれの火を粛々と燃やしている。

火はいずれ消えるかもしれないけれど、燃えている間は誰かをあたためている。陽は沈みゆく寂しさも美しく、新たな始まりを予感させる。

穏やかに美しい佇まい、失われゆくものと巡りゆくものへの敬意、大いなる力と小さな炎との調和。

どこまでも広がる自由で荒い海よりもそういうものに憧れるようになったのは、自分が歳をとったせいなのかもしれない。


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スタートアップ x カウンセリング/コーチング。 京都大(教育)→ゴールドマン・サックス(株式アナリスト) →CoachEd(コーチェット)代表取締役/cotree代表取締役/NPO法人Soar理事/エグゼクティブコーチ/システムコーチ。Twitterもぜひ@marisakura

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コメント (1)
僕も東京に出てから、地元瀬戸内の美しさに気付かされました。ぜひ、因島へもお越し下さい!
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