台湾での生活

毎日憂鬱で仕方がなかった。
ただでさえ、息子を取られるのではと思うほどに執着心の強い義両親に息子を預けて日本で過ごしてしまった半年間を経て、私と彼は台湾へ戻ったのだ。

彼の仕事は、飲食店スタッフを次々と転々とした。
台湾人はよく転職するとはいうが、それにしても頻度が高いことははじめは少し気になったが、数ヶ月スパン、短いところは1、2ヶ月のちょうド短期であまりに点々とするので感覚が麻痺していた。

彼は、私と付き合うようになって「これまではチャラ男だったが君と出会って変わった」と言い私はまんまと乗せられたのだが、
毎日毎日、ネットで可愛い女の子を見つけてはSNSで友達になりチャットを繰り返すのには呆れていた。
自分のホームグラウンドに戻ってきて、ゆとりができたような、そんなそぶりだった。
気になる点はいろいろあったが、「男だから」と言うので諦めていた。

私はというと、言葉の壁もあり、また私の心も異国の世界に対して閉ざしてしまっていたため、主婦として暮らす毎日が始まった。

息子の面倒を見ながら家のことをし、徐々に大きくなっていくお腹とこれからのことを考える日々。5ヶ月目に入り、お腹の子が女の子であることがわかった。

義両親の態度で、お腹の子、女の子には全く興味がないことが一目瞭然だった。
息子を妊娠していたときにはやれサプリだ、やれ魚だと与えてくれていたが、
娘だとわかるとそれが一切なかった。

旦那が職を転々としていたため、日々の食事にも安心してお金を使えず、正直あまり栄養状態は良くなかったが、働いていない私は文句もいえなかった。

「妊娠しているから」を理由に、なにかと息子を連れ出す口実を作る義両親。お腹の子には目もくれず、私は出産を迎えた。

次へ続く→


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