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7日間じぶん研究*短編小説

1週間前に見た駅は、マスクをして足速に帰宅を急ぐ人が数人いるだけの閑散とした風景だった。
今、僕が見ているのは、活気を取り戻し人々はマスクなしで笑い合い、でもどこかによそよそしさが漂う駅。
時間は午前9時。
僕は駅から歩いて10分の職場である研究棟へ入ると、7日ぶりに通い慣れたはずの部屋で、僕の席だったところに知らない人が座っているのを見て、客用のソファに座った。
隣の部屋から「姐さん」と呼んでいる上司の藤田さんが入ってきて僕の顔をまじまじと見つめてほっとした顔をしたまま、ためいきをつく。

「おかえり。任務おつかれさま。
7年待ったかいがあった。
連絡がとれなくて心配したよ。
話はゆっくり聞こう。
まずはコーヒーでも飲んで」

「姐さん、コーヒー飲めませんよ。
胃が悲鳴を上げています」

僕は「罹患した人間が宇宙に滞在し、無菌状態になったらどんな体の変化が起こるのか」という研究の実験を実行するため、太陽系にあるXX星に行っていた。XX星の時間は計算上では、地球時間24時間が1年に相当する。
つまり僕がXX星にいた間に、地球時間は7年が経過していた。

7年といえば、小学校に入学した子どもが中学生になってしまう月日だ。目の前の姐さんも少し疲れて見えるのは、僕を待つ時間が長過ぎたせいで歳をとったこともあるが、犯罪すれすれの実験に心労があったからだろう。

僕はXX星の3日目に地球との連絡を絶った。

XX星にはカプセルの中に入ったまま移動し、到着するとただの四角い白い箱のような建造物があり、その中に磁石のようにカプセルを固定させて、その中で生活する。生活するといっても酸素があるだけで、なにもない。
無音、無色、無臭、無味、無菌、なにもない世界だ。

なにもない世界を生きることが、僕の最大の研究テーマであり、人類と宇宙と地球の関係性を知るために、これまで時間を費やしてきた。
自らを無限でなにもないゼロ状態においたら、何を考えるのだろう。

食事と水は、錠剤を飲むだけ。水は胃の中で膨らんでくれる。
だが心電図や血圧、体温などのデーターが送られていくのを見ながら、1分が1日なのか、それとも1秒が1日なのか、考えるのもいやになっていった。

初日は眠った。
何もないところで見た夢は、色がついていた。
花や虫や空や風を感じる。
パンの焼けるいい香り。
オレンジ色の夕日が僕を家に帰らせる。
母が泣いてる。父は怒ってる。
親友が姐さんを慰めるように背中をさすっていた。
目を開けるとそれらはすべて消えた。
僕はまた夢を見るために眠る。

2日目は泣いた。
もはや自分が生きてるのか死んでいるのかわからなくなった。それが2日しか経ってないのかもわからない。
泣くというより涙がただ流れ出てくる。
今までの地球で過ごした時間の中で自分が後悔したこと、笑ったこと、怒りを感じたことが頭の中で流れては消えていく。
身体の感覚も薄れていく。
息が乱れる。

3日目に僕が地球と交信しているデーターをすべて切った。何もかも捨ててしまいたくなった。データーがどんな役目を果たすのか疑問に思えてくる。地球では2年経過したが成果が出てないと考えてるだろう。
研究者であるはずの僕が僕を見失った。
何が無限だ。何が無の世界だ。
何もないのは死んだと同然だろう。
地球で死んだはずの僕がここで感じたものは、なにもなければ何も感じないということだ。
だが今、僕は怒りでいっぱいだ。
何に腹を立てているのか、何を感じているのか、自分でもよくわからない。

4日目にカプセルの中で裸でいる僕が汗をかいていることに気がついた。
歩き回ったりしてもここは温度が一定に保たれ汗はかかず、無菌だから身体を洗う必要がないはずだった。
だが僕は汗も涙も”生産”している。
爪も伸びている。
髪の毛が抜ける。
僕の中の細胞が生まれて消えていくのを感じた。
僕は生きているんだ。

5日目の夢に姐さんが出てきてふたりで大笑いしていた。なにがおかしいのかわからなかったけど、涙が出るほどおなかを抱えて大笑いしてる。
目が覚めてそのまま自分のことを笑った。
なんだかおかしいわ。
裸のさえない男が勇んで自分のやりたいことをやろうとしてたのに、自分でぶっこわして勝手に怒りを爆発させ、自暴自棄になり、大事な人を蔑ろにして自分だけの世界に溺れてた僕は、ただの一人芝居がしたいだけのピエロか?

訓練を重ねて研究し、研究機関から反対されたのにこの実験を実行した。
こころがどう動くかもシュミレートしたはずだ。
精神を壊す恐れがあるため禁止されているXX星への移動。
7日間で7年の若さを手に入れられるこのプラン。
だがあまりにも危険を伴うため条件付きで許可されていた。
僕たちは無謀ながらも、この実験に何かの光を見出していたはずだ。

6日目の食事としての錠剤を飲もうとした時、違う色の粒があった。
くしゃっとまるまった紙状のものを広げて見ると、わざと崩した字で書いてあった言葉……。

「ハズレ」

大笑いした。ハズレかあ。ほんとだね。
当たりはあったのかな。

それから僕は僕に聞かせるために歌を歌った。

7日目に目が覚めた時、しあわせな気分がやってきた。
僕は生きている。無限の宇宙に、存在している。
ちっぽけだけど、僕は僕のことを大事にして泣けたのだ。
生きているってつらいことだと思ったけど、生きてるだけでまだできることがあるんだ。

そして僕は地球へ帰還するためのスイッチを押した。
今、姐さんと、話をしている。

「今はなにもレポートが書けないけど、これから僕は何もないことを研究するのではなく、あること、存在するすべてのことを研究します。
草や樹、空気、風や雨、空と海と山と、人間、動物たち…すべての存在に感謝を感じます。
色鮮やかに、いろんな音も味も、感じるままに表現したいです」

姐さんが笑った。
夢で見た笑顔よりずっとまっすぐな笑いを、僕は受け止めて笑った。









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