
私たち精神障害者は人間か
≪精神障害者からの訴え≫
私たち精神障害者は人間か~やまゆり園事件への政府の対応と報告書にふれて
全国「精神病」者集団会員(この原稿を書いた当時) 山本眞理
※この文章は2016年12月17日に東京都杉並区で開催された「2016年度公開虐待防止研修「津久井やまゆり園事件を考える」(主催:特定非営利活動法人むく)での講演の一部を加筆・修正したものです。
●第1回目の発言
相模原事件の衝撃
やまゆり園の事件について、私は本当に話しにくい立場です。
あの事件の後、瞬間的に、こんなひどいこと一体なぜだという思いがありました。こんなひどいことをするやつは許せないという思いと、もう一つ、でもこの人は入院歴がある
つまり正式に、法的には精神障害者なのです。
いっしょに運動している大フォーラムの仲間が、もしかして「山本が突然、となりの佐々木さんを襲って殺すのではないか」と思っているのではないか。もしかして「山本があぶない」と思われて。「いやだな、精神障害者はいやだな」と思われて。そういうことが頭をよぎりました。
精神疾患があるのか、精神障害者なのか、事件に障害が影響しているのか、それは実はわかっていません。彼の手紙はマスコミが報道して明らかになっていますが、彼自身の声は聞けていません。私はやはり、本人に怒りをぶつけて、本人と交流していくべきだと思っています。なぜかは、まず本人に聞きたい。
この事件の数日後、ともかく言うべきことを言おうと思い、政府に対して個人として申し入れを書きました、三つのことを言いました。一つは、政府はヘイトクライムを許さないと宣言しろ。二つは、全省庁挙げてなぜこの事件が起きたのか検証を始めろ。三つ目が、精神医療の問題として厚生労働省で検討会をつくるのはやめろ。でも、いずれもされていません。国会でも同様でした。
ノルウェーで起きた事件の対応との違い
5年前にノルウェーで起きた事件です。一人の男性が、組織的背景はなかったようですが、移民は敵であると、移民を許している当時の政権与党の青年組織がキャンプをしているウトヤ島を襲い、首都オスロ政府庁舎を爆破し、77名の死者を出すという凄惨な事件がありました。これに対して、ノルウェーはどういう対応をしたでしょうか。
犠牲者が出た建物を廃墟にするという案もありましたが、銃乱射事件が起きたこの島に、民主主義とか過激思想(排外主義)を学ぶ建物を建てたのです。
ノルウェーの新聞クラッセカンペン紙に「なぜ、事件は起きたのか、同じような悲劇をどうしたら避けられるか。歴史から学ばなければ、また繰り返される」という、ウロヤ島の代表ヨルゲン・フリドネス氏のコメントが載りました。
その乱射事件が起きた島には、犠牲者の名前が綴られた記念碑=モニュメントがあります。また、訪れた人がメッセージを書いた紙切れがかけられた木がありますが、そこには、こんなことが書いてあります。
「肌の色や宗教に関わらず、人間は人間」。
また、こんなメッセージもあったといいます。
「ひとりの男性がこれだけの憎悪をみせることができたのです。私たちが共にどれだけ大きな愛を見せることができるか、考えてみてください」。
このメッセージは、当時、労働党青年部の党員で、事件発生時には自宅にいたレッセ・ガンネスタドがツイッターでつぶやいたものでした。そしてこのつぶやきは国内外のメディアでも大きく報道され、当時の首相のスピーチで引用されました。
ウトヤ島事件の生存者であるスティーネ・レナーテ・ホーヘイムは、CNNのインタビューにこう答えました。
「暴力は暴力を、憎悪は憎悪を生みます。
これは良い解決策につながりません。私たちは、私たちの価値観のための戦いを続けます」。
見当違いの検討会~別名・火事場泥棒報告
日本の場合、厚生労働省で見当違いの検討会(相模原の障害者施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム)がつくられ、報告書が―私はこれを火事場泥棒報告と呼んでいます―でました。報告書は、被疑者に措置入院歴があった、だから措置が適正に運用されていれば事件は防げたという、非常に非科学的な前提で措置入院のあり方を検討し、出口については出にくくする、退院後も支援という名で監視体制をつくる、としました。
ちょうど厚生労働省はいま、精神保健福祉法の見直しを考えています。来年が5年ごとの見直しの年に当たります。そこで塩崎厚労大臣は、法律を見直すのだと言っています。
精神障害者・知的障害者の隔離、収容・拘禁の歴史
都立松沢病院で看護師が患者を殴った事件がありました。お年寄りです。私が道を歩いていて、そこにいる人を殴ったとしたら、刑法上の犯罪で傷害事件になります。しかし、病院で看護師が患者を殴っても刑事事件にならない。施設でも同様です。
中野区で、7、8年前でしたが、知的障害者の作業所が地域の公園のお祭りかなにかに屋台を出していて、そこで作業所のスタッフが利用者を殴った。市民はびっくりして通報しました。ところが、当時は官設官営、公務員だったそうですが、軽い処分でした。警察は逮捕しません。でも、市民が見ている前でそんなことをしたのですから、日常、閉鎖された施設で何が起こっているのか、そう思いませんか。
日本では精神障害者とか知的障害者は、事件の被害者にもならない。虐待防止法が動くのが、殺人があってからでは遅いのです。暴言とか、侮辱とか、差別発言とか、暴力とか、まだその手前くらいでしっかり虐待を防止しなくては。人が死んでからでは遅いのです。ところが殴ったくらいでは刑事事件にもしない、そういうのが精神病院であり施設です。
60年代高度経済成長期に、ちょうどいま安倍首相が言っているのと同じように、介護離職をなくそうということがありました。精神障害者の面倒を見ている人が働きに出なくてもったいない。高度成長期で人手不足。だから面倒を見ている人を働かせるためには施設に入れよう、精神病院に入れようということがあり、こういう理屈付けがあって精神病院が増えました。少し遅れて身体・知的の施設です。
虐待の歴史は、原昇平さんがつくった資料があります(58頁参照)。これだけ毎年、毎年、起きています。精神科で発覚した事件ですが、マスコミに出たもの、公になったものだけです。知的障害者施設と特別支援学校も拾ってみたいですが、ありません。おそらく、新聞記事を拾うだけでもこのくらいの数はあると思います。
たしかに19人殺したことはひどい、私は絶対許しませんが、でも、実は戦後だけで障害者が何千人も殺されているではないかと思います。しかも、その手前で殴った程度の刑事事件の人は、逮捕もされていないのです。
障害者白書で見ると、18歳以上の知的障害者で手帳を持っている人の4人に1人が施設収容されている、と書いてあります。日本の精神科病床は、これはもう、世界一です。精神病院では、1年以上収容されている人は20万人、なんと20年以上の収容者は3万人以上です。
精神障害者の問題というだけでなく、退院支援事業をしている人から聞いた話では、精神病院の奥に、なかなか自己主張できない難しい状態の知的と精神の重複とされる方が―本当に重複がどうか知りませんが、重複とされると精神病院に強制的に入院させることができます―取り残されているということです。
先日、九州の司法書士の方に聞いた話では、なんと60年、精神病院に入れられている知的障害の人がいる。これは例外ではないと思います。もともと知的障害者は精神障害者に比べて数が少ない。それでも、10年、20年と入れられている知的障害者はすべての病院にいると思います。
精神保健福祉法見直し
精神病院の入院について、許せない方針が出ています。精神病院に1年以上いる入院患者の6割は「重度かつ慢性」だから退院できないというのです。
すでにイタリアの一部の都市では、精神病院なしで精神科医療をしています。精神障害者の支援をしています。ところが日本ではどういうわけか、6割の人は治らないから退院できない。まさにその人の病気が重くて地域で暮らせないっていう理由をすべてあげて、その人個人の病気のためと開き直っているのです。医者がヤブだからと言いたくなりますが、それ以上に、なぜそうなのか。その人たちが地域で暮らせるための支援が必要なのか、どういう医療が必要なのかということをまず考えてみるべきなのに。もしかしたら日本に限り、風土病としてすごく特別な精神疾患があるのなら、100万歩ゆずってわからなくもありませんが。世界では精神障害の人も地域で暮らしている国が圧倒的に多いのに、日本だけ特別にそんなに重度の人がいるとは考えられない。発展途上国の場合は病院や施設をつくるお金がないので、みな町にいるわけですが。日本だけ特別に重度の人がいるという、こういう開き直りなのですね。
今後も12万床は維持するのだ、世界一のいまは病床数30万床くらいありますが、今後は12万床プラスアルファくらいまでは減らすけれど、それくらいは要るのだという。これだってずば抜けた病床数です。なぜ、こんなことを公然と、偉い肩書がついた大先生たちが額を寄せて議論しているのか。これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会(厚生労働省)での議論です。
この検討会には、精神障害者は30名中2名しか入っていません。精神科医が14名、入っています。あとはそれぞれ専門職の団体の代表で、弁護士すらいないのです。これは国際的にはとても不思議なことらしくて、いやしくも人を拘禁する制度を論じるときに人権問題を語ろうとすれば、弁護士会は社会正義と人権擁護を掲げているのですから、一人は弁護士を入れるのが常識です。外国の人たちにこの話をしたら「えっ、弁護士を入れていないの」とびっくりされました。とても不思議な形で、いま議論が進んでいます。
国連人権規約委員会とか拷問等禁止委員会とかの人権条約の政府報告書の際に、日本政府は「日本の精神医療では精神保健福祉法という法律にのっとって精神障害者の強制入院を適正に運用しています」ということを、ジュネーブで言い続けてきました。
本当に最低限、今ある法律は守られているのか。さきほども言いましたが、人が殴られても刑法は動かない。どうも施設とか精神病院は、刑法も憲法も立ち入ることのできない無法地帯のようです。では、精神保健福祉法は守られているのでしょうか。精神保健福祉法も、どうやら守られていない。精神保健福祉法では、措置入院というのは、その人が精神障害者で、自分を傷つけたり他人を傷つけたりする「おそれ」がある。傷つけたことが「ある」ではないのです。「死にたい」と言ったら、自分を傷つける「おそれ」がある。その人は精神障害者だとなれば、それを防ぐには入院しかないなら措置入院となります。
自傷他害のおそれがあっても、精神障害者でもなんとか地域支援でがんばってやっていくというときには、入院にはならないはずです。ところが日本では、非常にルーズに運用されている実態があります。先日、ある集会で告発していた方は「てんかんがあるのだけれど、薬が切れてしまった。てんかん発作が起きたので、あわてて自分で救急車を呼んだ。それなのに措置入院になった」ということです。とんでもない例です。
措置入院と身体拘束
措置入院患者数が、この25年間で3倍以上に増えています。人口はそんなに増えていないのに、どういうわけか、自傷他害のおそれがあって入院しないとそれが防げないという人が突然増えています。3倍にもなるというのは異常です。そんなこと、あり得ないと思います。そして、新聞報道によると、自治体によって、数にとてもばらつきがあります(『東京新聞』朝刊、2016年11月2日)。しかし、措置入院数が少ないところはまともで一生懸命やっているかというと、違うようです。北海道は、一般的に人口に対して措置入院の数が少ないのですが、支援が頑張っているから少ないのかと思うと、調べてみると違うようなのです。
精神科病院などで身体拘束が増えているという新聞記事があります(『東京新聞』朝刊、2016年10月26日)。10年で倍増、2倍になっています。身体拘束とはベッドなどに縛りつけるということですが、法的にはこれは例外的なことでなければいけないはずです。
かりに任意入院で閉鎖病棟に入ったとしても、任意入院ですから、昼間、「買い物に行きたい」と言えば、カギをあけて外出を許可しなくてはいけない。その任意入院で身体拘束されている率が、全国で13~14%もあります。なんと北海道は、身体拘束されている人の4割が任意入院です。
推測ですが、北海道では措置とか強制入院する手続きが面倒で、任意というようにごまかしている「なんちゃって任意入院」ではないかと思います。最低、法律くらい守れよと思いますが、ズブズブの運用がされているわけです。
やまゆり園事件と措置入院
やまゆり園事件の容疑者に関しても、私はむしろ入口が、つまり「措置入院」にしたこと自体がおかしかったのではないかと思います。厚生労働省の検証・検討チームの委員の一人である松本俊彦医師は、『週刊金曜日』(2016年11月18日号)でのインタビューで、「障害者を排除しようとした彼自身が、同じように孤立し、排除の不安に怯えていたのではないか」とし、彼も「何らかの生きづらさを抱えていたと思えます」と言っています。その上で、措置入院にしたことがむしろ今回の事件の背中を押した可能性は否定できないと言っています。
わたしはわかります。何らかの不満をもって、怒りをもっている人が、措置入院となって、「お前も精神障害者だ」と言われたわけですから。ますます障害者への憎悪を燃やした。理不尽で許せないことですが、「自分は精神障害者ではないのだ」と、「お上の意によって正義の鉄槌だ」というような世界に入ってしまったこともありうると思います。本人に聞いてみないとわかりませんが、ありうるとは思います。そういう意味で、この人を措置入院にしなければいけなかったのはなぜか、というのが私にはわかりません。
いま、精神病院というと精神障害者の問題ではないのだという話をしましたが、地域で困った人を受け入れるごみ箱として機能しているのは事実だと思います。病名なんてどうにでもつきますしね。日本の医者のレベルは、12万人は治らないから一生病院にいろというレベルですから、悪意でなくてもどんな病名でもつけられると言いたくなります。
困った人、自分たちにとって都合の悪い人はあっちに行け。最近はもっと攻撃的です。働いて稼げないやつは人権なんてない。そういう攻撃がますます強まっています。そのときに私たちは何を対峙するか。いま逮捕されているこの人が特異なとんでもないひどいやつだからと、その人を処刑しても、問題は解決しません。
私たちはノルウェーに学べるか
「私たちは人間だ」=ピープルファーストという組織名を初めて聞いたとき、私は本当に感激しました。わたしたちは人間だ。だれでも人間だ。わたしたちの肩書はまず人間だ。「人間山本眞理」という名刺を今度つくろうかと思います。「私たちは人間だ山本眞理」もいいなあ。
殺されていい人間はいない。当たり前のことですが、今シリアにいる特定の人たちは殺してもいいと世界中で認識しているようです。とくに日本政府は。戦争もそうです。「人を殺してはいけません、だけど○○人は殺していい」とか。
死刑と戦争と差別・排除はまっすぐにつながっていると思っています。憲法を、障害者権利条約の思想を、私たちが勝ち取ってきた障害者解放運動の思想と価値観のために私たちは闘い続ける、と宣言するのか、そしてそれを政府に、国会議員に、全市民に求めていくのか。
ノルウェーは1年間かけて、政争はこの間、棚上げする、この問題について全市民をあげて討論していくのだと、国会でも、政府内でも、そして全市民が、ということを続けました。私たちも国にそれを要求していかなくてはならないし、あの施設は再建させてはいけない。再建するのだったら、優生思想と闘い、誰もが共に生きる社会をめざすための学習施設にすべきです。そして慰霊碑を建てるべきだと思います。
どんな人とも共に生きるというのは、実はとてもむずかしいです。私も、嫌いな人もいやな人もいます。でも、大好きな人も、いま捕まっている容疑者―極悪非道、天人ともに許さずとわたしも思いますが―も、その人も含めて殺さないことができるかどうか、そして日常的に精神病院や施設に厄介者を送りこむ圧倒的なプレッシャーとどう闘うか、いま、問われていると思います。
●第2回目の発言
精神病院での虐待と障害者差別
1983年のことですが、栃木県の宇都宮病院で看護師が患者2人を殺したという事件が暴露されて、その背景にはとんでもない日常的な虐待や違法行為があったことがわかりました。私たちはその問題にずいぶんとりくみましたが、いまだに宇都宮病院は健在です。そして最近の報道では、都内の生活保護受給者が組織的に宇都宮病院に送られているということです。宇都宮病院の殺人については直接の犯人が逮捕されて、当時の院長も逮捕はされたけれども、虐待とか暴行とかの問題ではなくて、保健師とか看護師の法律、また、ご遺体の解剖などの手続きが間違っていたという微罪で逮捕されました。判決文のなかには、よそで引き受けない厄介な患者を引き受けたのは社会的貢献だと書いてあります。人を殺して社会的貢献もないものだと思いますが、確定判決はこうなっています。
つまり、病院という名がついていますが、そういうゴミ箱みたいなところが、必要とされているのです。その事件のあと、やはり栃木県のかりいほという知的障害者の施設で、ここはいわゆる触法障害者を集めているところですが、利用者が「こんな施設なんかつぶれてしまえ、障害者なんか死んでしまえ」と言って皿を1枚割った。そしたら、施設は彼を警察に通報して、警察は威力業務妨害で逮捕したという事件がありました。
「障害者なんか死んでしまえ」、こういうことを言ってはいけないと思いますよ。だけど、障害者が加害者になったときは、手を出す前の暴言に対しても、皿を1枚割っただけですぐ警察が入って逮捕する。一方で障害者が被害を受けた時は、殴られても被害者になれない。こういった障害者への不均等な差別は実際にあります。
池田小学校事件との差
今回の事件ですぐ思い出したのは、2001年に大阪の池田小学校で子どもたちが殺された事件です。国立の大阪教育大学附属小学校ですから、頭のいい、お坊ちゃん・お嬢ちゃんの学校です。このときは、親御さんたちはただちに動きました。国は、賠償金とか慰謝料を親御さんに払っています。
親が施設を問題にするかどうかとは、ちょっとレベルが違う問題ですが、毎日新聞の野沢和弘さんが、たいていのことで私と意見の違う方ですが、書いておられました。子どもを預かっているところでこういう事件が起きれば、親たちは、施設の管理責任を問うものであるということです(『毎日新聞』朝刊、2016年10月12日)。
ところが、今回はそういうことは起きていない。施設に対しても起きていない。精神病院に対しても起きていない。子どもを殺されたときに、責任追及は当然起きるものです。ところが、今回も、ほかの施設でも、起きていないのではないかなと思います。ここに、教育大附属小学校に入るような優秀なお坊ちゃん・お嬢ちゃんと、更生施設にいる障害者、という眼差しを感じざるを得ないのです。
野沢さんが言うように、なぜ、今回、親御さんが施設の管理責任を追及できないのか。そこに私は、本当に深い差別があると思います。池田小のときとは違うな、殺された人によってこれほど違うのだ、ということを、いま、つくづく感じています。
結びにかえて
私も…みなさんもそうだと思いますが、この事件は、そんな簡単にまとまるはずもないし、正解が出るはずもないし、終わっていない。毎月、毎月、あらゆる団体が、いろんな場所で、いろんな角度から、この問題を考える集会をもっていきたいと思います。しつこく続けていけたらいいなと思っています。
(やまもと・まり)
以下より編集部の許可を得て公開いたします
まだこの号も少し在庫あるそうです
2017年1月合併号(№1673・74)
特集◎やまゆり園事件と「報告書」と二人の当事者
*連載/ハウジングファースト 第2回/ハウジングファーストと障害者自立生活運動[高橋慎一]
◆相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム「報告書~再発防止策の提言」(平成28年12月8日)
《知的障害者からの訴え》
*ピープルファーストは訴えます!「なかまの声を聴いてください」―追悼集会となった全国大会のこと、神奈川県の施設建替えに中止を要望したこと [第22回ピープルファースト全国大会in横浜 現地実行委員会]
・津久井やまゆり園虐殺事件を糾弾する(2016年9月21日 ピープルファーストジャパン会員一同)
・津久井やまゆり園建替えについて、津久井やまゆり園の建替えについての要望書(平成28年10月25日 第22回ピープルファースト大会in横浜)
・神奈川県からの回答書(平成28年12月5日)
・第224回ピープルファースト横浜・定例会の紹介【12月14日に建て替えについて話し合う会について】
・相模原市の障害者支援施設における事件の検証および再発防止策検討チームの最終報告に抗議する(2016年12月9日「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム実行委員会)
《精神障害者からの訴え》
・相模原事件と新たな保安処分を許さない〈ひょうせいれん声明〉
*私たち精神障害者は人間か[山本眞理]
*精神科で発覚した主な問題事件[原昌平]
*連載/「社会保障制度改革」の思想的系譜 第3回/「社会福祉基礎構造改革」と介護保険制度の導入―一九九〇年代後半~二〇〇〇年代前半[池田和彦]
*京都市・生活保護世帯認定事件(大阪高裁平成28年7月22日判決)[吉田雄大]
◇社会保障・社会福祉判例/京都市生活保護世帯認定訴訟・京都地方裁判所判決(平成28年1月21日)同・大阪高等裁判所判決(平成28年7月22日)別居中の夫を世帯から除外せず同一世帯として生活保護を適用した処分が、生計の同一性が失われたことを理由に取り消された事例
■賃金と社会保障 2016年総目次