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ギリサー

私は現在34歳。正確には34歳と6ヶ月ちょっと。つまり、35歳まであと半年を切っている。私が認識しているところで言うと、アラサーつまりAround30は、25歳から34歳である。そして次のステージであるアラフォーは35歳から44歳と言うことになる。そう、私は“ギリギリ”アラサーなのだ。

世間はいつからか、アラサーだの、アラ還だの、アラウンドにまつわる年齢カテゴリーが発生し、幅を利かせている。「アラフィフファッション」「アラフォー世代に人気!」と言った雑誌や広告のキャッチコピーは当たり前であるし、自分がどのアラウンドに属するかは誰しもが意識しており、ことさら女性に関しては強い威力を持つ。アラウンド〇〇であることは一つのアイコンであり、今や「30代」、「40代」と言う表現よりもパワーを持っているかもしれない。
そんなアラウンドに支配されたこの世の中で、一番のデリケートゾーンが「アラサー」ではないかと考える。まずアラサーの仲間入りすることは、20代女性にとって「大人の女性(言い換えるとオバサン)」への入場門であるし、アラサーから卒業することは「ミセス」への覚悟である。それは結婚していてもしていなくてもだ。その覚悟の瀬戸際にいるのが、私だ。

「あぁ、あと半年後にはアラフォーなんだなぁ」なんて物思いにふけっていたら、ふと思い出した下らないことがあります。そんな下らないことを綴っていくマガジンにします。フィクションであったり、ノンフィクションであったりしますし、徒然なるままですので、ご了承下さい。

先日、10歳年下の後輩(女の子)と車で海に行った時のこと。私のiPodにはもう何年も新曲が追加されていない。ちなみに新曲と言うのは最近出てきたアーティストの曲と言う意味で、昔から聞いているアーティストの曲は取り入れていることが多い。とは言え、ベストアルバムばかりだけど。つまり、バックなんとか、とか、ワンなんとかにはトンと興味が出ない。車のスピーカーからHYが流れた来た時の心地よさと言ったら。昔好きだった曲はいつまでも歌える不思議。昔猛勉強した関数や、歴史の年表は全く覚えていないミステリー。ちなみに後輩、曲は知ってるけど小学校の頃に聞いていたと言いやがる。まぁそりゃそうなんだけど。流れでHYをWikiってみると、メンバー全員年下だったと言う驚愕の真実。知らなきゃよかった。

そしてHYからgreen、ドリカムを挟んで、GLAYの登場だ。GLAYは青春そのものだと言っていい。私が初めて好きになった人はJIROだった。好きと言うのは、芸能人の中で、と言う意味だけど、かなり金を注ぎ込んだ。言い方が悪くてホストみたいに聞こえるかもしれないが、勘違いしないでほしい。
私がJIROに出会ったのは中学生の頃。シングルで初の1位を獲得した「口唇」のPVを見た時、ジャニーズにもハマらず、現実だけを見て過ごしていた私の身体に電撃が走った。GLAYのPVは大抵はTERUのワンカットが多くて、たまに他のメンバーがギターを弾いているところが1秒くらい出たり、TERUの後ろにチラッと映ったりがほとんどだった。口唇も同じような感じで、しかも壁か何かに投影された映像だったのでクリアではなかったが、チラチラ映るJIROに釘付けになって、居ても立っても居られず当時の8センチのシングルCDを買いに行ったのを覚えている。とは言っても、今みたいにネットでPVを見ることも、DVDをレンタルできる時代ではなく、JIRO探しは大変だった。出演する歌番組を録画したり、載っている雑誌を片っ端から買い漁ってスクラップしたりすることで満足感を得ていた。金をつぎ込んだのはココである。ラジオ番組もカセットテープに録音していたような気がする。高校生の頃にはファンレターというのも書いた覚えがある。GLAYはその頃全盛期で、本当に人気があった。一度だけ、ライブに行くことが出来たけど、とにかく広い会場で、豆粒よりも小さくしかJIROは見えず、ほとんどスクリーンを見ていた。衣装でアトムみたいな帽子を被っていたが、それすらもカッコよかった。でも不思議とこの人気は永遠のものではないと、勝手に悟っていた自分がいた。だけど、もしGLAYが、JIROが、人気がなくなって、この世の誰からも相手にされなくなっても、私だけは応援し続けると決めていた。そして、その時は彼を支えていこうと、これまた勝手に決めていた。いい迷惑どころか、JIROからしたらそんなこと知らねーよって感じだろうけど。そんな強い気持ちを持った私だったが、高校を卒業する頃にはすっかり熱も冷めて、新しい生活が始まる自分のことで精一杯になっていた。
もちろんGLAYは今も当たり前のように人気がある。そしてデビュー当初から応援し、今も熱い気持ちで応援し続けているファンの方もたくさんいる。もちろん新しいファンもたくさんいる。自分が当時、いかに浅はかで、単なるにわかファンに過ぎなかったんだと言うことを思い出させてくれた一曲であった。

先日、舞台で加納竜さんとご一緒させて頂いたのだが、昔からのファンの方が様々な場所(西日本一円を回る巡業だった)に観に来られていて、出待ちをしていらっしゃる。いわゆる”追っかけ”という方々である。そして、加納さんの写真をブログに載せていた私にも声を掛けてくださり「写真ありがとうございます!」とお礼まで言って下さるその姿に頭が下がる思いだった。一人の人を、変わらない心で、熱い気持ちで、ずっと応援し続けることが出来る素晴らしさを感じたし、こんな素敵なファンの方がいる加納さんを尊敬した。
私も表に立つ仕事をしている以上、応援される側、応援する側、どちらの気持ちも共感できる人間でいなければならないと思う。GLAYの「口唇」はそんなことを改めて気づかせてくれる一曲だったのかもしれない。

最後に一つ言わせてもらいたいのですが、今でもGLAYは好きだし、JIROも大好きです。あと、普通先輩であるGLAY、JIROには「さん付け」しないといけませんが、当時のことを語っているため付けておりません。ここにお詫び申し上げます。



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