見出し画像

大人の事情②

 私は入社して早い段階で目標を達成することができたことで、それが成功体験となり、自分で言うのもなんだが、メキメキ成長した。ただし、その成長は尊敬する上司の力あってのことだ。私は大学時代は広島にいたので、採用試験も広島で受けていた。最終選考の後だったか前だったかは忘れたが、一度地元である福岡支社にも話を聞きに行った。その時対応してくれたのは女性の営業マンで、一目会って「この人は絶対スゴイ」と感じた。どんな話をしたかは全く記憶にないが、「一緒に働きたい」と思ったことは覚えている。その人(Mさんとする)は、バリバリのキャリアウーマンタイプではなく、小柄で可愛い容姿、どちらかと言うとお嬢様の雰囲気を持っている人。採用の連絡が来た時に、「配属は広島と福岡、どちらを希望しますか?」と聞かれた。地元に帰りたい思いもあって福岡を選んだのだが、やはりMさんへの思いも強かった。そして入社すると、Mさんは私の直属の上司だった。
 部下である私は、Mさんに同行することも多く、大口の顧客も引き継ぐことになったため(Mさんは課長になったので、基本的には担当を持たないことになった)、多くの時間を一緒に過ごした。Mさんを心から尊敬していたし、付いていきたいと思う人ではあったが、Mさんみたいになりたいとは思わなかった。むしろ、なれないと思った。タイプが違いすぎたからだ。簡単に言うと、Mさんは女を売りにしていた。いつもテンションが高く、キャピキャピしていたから、男性の担当者はみんなMさんのファンだった。一方、社内ではウケが良くなかった。バンバン契約を取ってくるMさんに嫉妬していたこともあるだろう、アンチがいたことも事実だ。ただ、女をウリにしただけでは数字を上げられないということは誰しもが分かっていた。彼女の仕事は完璧だった。書類などは細かいところまでこだわる、痒いところに手が届く、さらにリスクも常に考えて先回りして準備していた。そして、売上に直接関係があるがは分からないが、お酒が大好きだった。私の知る限り、毎日飲み歩いていた。そんなMさんに対して私は「あなたみたいには出来ません」と言ったことがある。生意気にも程がある。普通は「あなたみたいになりたいです!」だろう。そんな私にMさんは「マリオはマリオらしくやったらいいよ」的なことを言ってくれた気がする。
 人を扱う仕事は、正直辛かった。何しろ思い通りにいかないことが多い。メーカーだったら自社の商品のメリットデメリット、そして価格も、バッチリと伝えることが出来るだろう。しかし商品は「人」である。しかも昔から知ってる友達を紹介するのではない。むしろ顔合わせの時に、私も“初めて”会う人がほとんどなのだ。「性格診断ではこんなタイプの人ですから御社の求める人に合います」とか、「これまでこんな仕事をしていますから業務にスムーズに慣れてくれます」とか言っても、本音を言えば「知らない」し、何を考えているかも「分からない」、もちろん「信頼できるか」も。例えば、顔合わせがうまくいって、担当者も働いてほしい、スタッフも働きたいと言っていたとする。営業マンである私は、これは契約まで行って数字も取れると計算する。そして派遣先と契約書を交わし、勤務開始日にはスタッフと一緒に派遣先に行って、「ウチのスタッフをよろしくお願いします」と挨拶する。そのあとは1週間後、2週間後、1か月後、とフォローに訪問し、継続的に働いてもらうという流れが見えてくる。しかしその流れはいとも簡単に絶たれることが多かった。
 勤務が決まったとスタッフに連絡したら「嬉しいです!〇日からよろしくお願いします!」と言ってくれたにも関わらず、初日になるとスタッフが来ないことが、”よく”あった。その理由は「身内の不幸」「突然の入院」「急遽、地元に帰らなくてはいけない」など実に様々だった。ただ、その声を聞きながら私は「嘘だ」と分かっていた。「やっぱりそこで働くのが嫌になった」「もっと条件のいい派遣の仕事が見つかった」「正社員の口があった」が正直なところであろう、と。それでも私は「そうですか、大変ですね。では仕方ありませんね。派遣先には私から伝えておきますね」と受け入れるのである。当時私は22、23歳で、スタッフはほとんどが年上。どうしていいオトナがこんなドタキャンするんだろう、働きたかったんじゃないの、あんなに喜んでたのに、、、と当然人間不信になる。そして担当者に謝罪に行くのも私。他人の不始末のせいで、自分が謝らないといけない理不尽を受け止められない自分がいた。そのことにいつも傷ついていた。そのことに慣れるのには本当に時間がかかった。だから数字を上げる喜びと同時に、人に裏切られる苦しさも味わっていた。
 でも今思えば、その「嘘」は、一番丸く収まる方法だと、大人の事情ってヤツだと、痛いほど分かる。もし、正直に「もっといい仕事があった」と話してくれたとしても、自分が紹介した仕事を選んでくれなかったことに傷つく。「働きたくない」と私に言ってしまったら、スタッフに合わない仕事を紹介してしまったこちら側の力不足を突きつけることになる。「身内の不幸・病気」はそれが本当であれ嘘であれ、それ以上の詮索は不要であり、誰の責任にもならないという最善の策であり、「優しい嘘」なのだ。私だって嘘をつく。自分を守ると同時に、相手を傷つけないために用いることがほとんどで、嘘をつくことで丸く収まるということがよくある。それに、嘘をつくことは、ついた本人の心にも傷をつけていると、今は分かる。ただ、何度も言うが、私は20代そこそこの若造だった。嘘をつかれた、仕事を飛ばした、と被害者意識しかなかった。この意識は、「スタッフが飛ぶ」ことを何度も経験するうちに、慣れた。ある意味、心を捨てた。もし若造の私に何か伝えられるならば、この『大人の事情』に早く気付くようにアドバイスしてあげたい。
 話をMさんに戻す。図太く見えて実は繊細だった私の心に、Mさんは気付いてくれていた。だから「なんでこの仕事を選んだか分からない」とか「数字以外にやりがいがない」とかちょっと拗ねたような愚痴を言っても、一方的に怒ることもなく、理詰めで黙らせることもなく、飲みに連れて行ってくれて、ただ笑って話をしてくれて、私の話を聞いてくれた。最初に勤めた会社で上司や同僚に恵まれたことはこの上ない幸せだと思う。仕事は辛いことが多かったが、仲間がいたから乗り越えられたし、続けられて、いい思い出がたくさん出来た。もちろん、いい思い出だけではないが今ではそのすべてが笑い話になっている。

 せっかく書き始めたのだから、いい思い出もそうでないものも含めて、もう少し「大人の事情」について書いてみようと思う。次回もお楽しみに。

クリエイトすることを続けていくための寄付をお願いします。 投げ銭でも具体的な応援でも、どんな定義でも構いません。 それさえあれば、わたしはクリエイターとして生きていけると思います!