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"彼女が感じた世界と僕の後ろめたさ" はちどり (ネタバレレビュー)

ハチドリという鳥は鳥類の中で最も体が小さく、刻々と変化する環境下でも長時間高速飛行やホバリングが出来るように高い空間認識能力と代謝を持っているのだとか。中学2年生の女の子の日常を描く「はちどり」はそんな鳥の名前からタイトルが付けられている。確かに日常を精一杯に生き、世界から放たれる全てを感じようとするあどけない女の子の姿はまさしくハチドリのようだ。そんなハチドリのような彼女は何を感じながら生きていたのだろうか?その問いにキム・ボラは彼女の視点に寄り添って描き出していく。

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1994年、中学2年生のウニはソウルの団地に住んでいた。家に帰ると教育熱心で厳格過ぎる父、優しいけれど脆さを感じさせる母、名門大学を目指す兄、塾をサボって夜遊びする姉が待っている。父は毎晩のように大きな声で姉を叱り付け、兄に勉強しろと言い続けている。ウニの通う学校の担任もまた父のように高圧的に勉強しろと言ってくる。そんな彼女の楽しみは同じ漢文塾に通う親友と遊んだり、彼氏や慕ってくれる後輩の女の子とデートしたり、ノートに漫画を描いたりする事だった。

そんな彼女の日常にはいつも疎外感や居心地の悪さが付きまとう。学校では担任の先生が大きな声で「カラオケに行く暇があったら勉強しろ」と威圧してくるし、クラスメイトとも馴染めない。家に帰っても父が兄や姉を叱ってばかりだし、人目に付かないところで兄は暴力を振るってくる。優しい母も時々虚空を見つめてばかりいる。これらは全て男尊女卑な価値観や歪んだ家父長制度が顕在化した結果なのだが、誰もこの事に疑問を抱こうとはしない。なぜなら当たり前の事だと思っているからだ。ウニ自身もなぜこんなに息苦しいのかはっきりと分からない。でも心はずっと寂しいままだ。

そんな彼女にとって唯一安らげる場所は漢文塾のヨンジ先生とのおしゃべりだった。ヨンジ先生だけはウニの事を一人の人間として扱い、他愛のない話で一緒に笑い、悩みを分かち合ってくれる。タバコを吸う後ろ姿、振舞ってくれたウーロン茶、病院にお見舞いに来てくれた事…ウニにとってヨンジ先生との交流はかけがえのない情景として刻み込まれる。その過程でウニは世界そのものに漠然とながら興味を抱いていく。心を許せる人を見つける事、一人の人間として尊重する事、世界の不均衡さ…ウニはヨンジ先生から沢山の事を受け取る。しかしヨンジ先生はウニに何も言わずに漢文塾をやめてしまう。最後にお別れを言うことも出来なかった。

そんな矢先、ソンス大橋崩落事故が起こった。ウニの姉が通学するバスも通る場所だったため家族に緊張が走るが、たまたま1本遅いバスに乗ったため難を逃れた。それから数日後、ヨンジ先生から貸していた小説とスケッチブック、ウニへの手紙が入った小包が届いた。ウニはヨンジ先生にお礼をしようと小包に書かれた住所に向かう。しかしそこにヨンジ先生はいなかった。彼女はソンス大橋の事故に巻き込まれて亡くなっていた。あまりにも突然過ぎる出来事だった。

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ふと振り返るとウニの日常も世界も目まぐるしく変化し続けている事に気付く。あれだけ慕ってくれていた後輩のそっけない態度、彼氏とのズレ、耳の裏に出来たしこり、キム・イルソンの死去、ソンス大橋崩落事故、そしてヨンジ先生との出会いと別れ…何気ない日常の中でも色んな事が起こっていて、昨日までの世界と今日の世界は全然違うものに見える。そんな世界の流動性と急速な変化をありふれた少女の日常と韓国社会の変化を重ねて描き出す。ウニが感じた様々な感情、そしてヨンジ先生との出会いによって生まれた世界への興味はとても繊細で普遍的なものとして心に染み渡る。

そんなウニの日常や彼女が感じ取ったものを僕は一歩引いた場所で見ていた。今でこそウニが感じていた閉塞感や不均衡な世界への疑問は分かる。だが僕が中学生だった頃は間違いなく閉塞感や不均衡な世界に疑問を持つ事はなかった。そして僕は男であり、長男で妹がいる…ウニと近い境遇であると同時にウニから見たら真逆の立場だ。もちろんウニの兄のように暴力を振るったりはしていない。だがウニがこんなにも色んな事を感じて考えていた時に、僕は何をしていたのだろうかと考えるととても後ろめたい気持ちになる。世界はこんなにも変化していて不均衡なのに、あまりにも無頓着で何も考えていなかった…少し自己嫌悪してしまったが、改めて世界を感じる意義を感じた。

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そんなウニの繊細な感情と世界をキム・ボラは言葉に出来ないような豊かな表現と洞察力で描き出す。そもそも普通の女の子のありふれた日常を映画として成立させるのは意外と難しい。下手すれば女の子を愛でるだけの淡々とした映画になってしまう。しかし今作はそんな事態には陥らない。柔らかな光と被写界深度の浅い画作りはウニの刹那的な感情と日常に深みを与えてくれるし、女性を取り巻く息苦しさといったテーマも安易な台詞に頼る事なく、人間味溢れるやり取りや印象的なショット、余白から描いてみせる…なんと映画的だろうか。

特にウニの視点から見る様々な登場人物達の余白は様々なものを浮かび上がらせる。断片的に語られるヨンジ先生の過去や自分の世界に入り込んでしまってウニの呼びかけにも気付かない母の姿からは社会から押し付けられた役割に息苦しさを感じる女性達の情感がこもっているし、ウニの手術に立ち会う父の号泣する姿やソンス大橋崩落事故直後の食卓で突然泣き出す兄の姿は男性から見た家父長制度の息苦しさが滲み出る。きめ細やかなキャラクター描写がテーマに深みを与えている。

印象的なショットも沢山ある。誰も開けてくれないドアを叩くウニのショットから団地のドア達が広がっていく冒頭は彼女の息苦しさを匂わせると共に普遍的に広がった物語である事を示唆しているし、ソンス大橋崩落事故の現場を見つめるウニの姿や繰り返し描写される後ろ姿など彼女達の感情が画面から伝わってくる。また中学生という年代特有の健気さやあり余る元気を切り取るのも上手い。親友とトランポリンで遊んだり万引きしたりするときの言葉に出来ない少女性ややんちゃぶりは見事だし、色んな感情が混ざってどうしようもなくなったウニが踊り狂う場面はなんとも青臭くて愛おしい。余談だがどうしようもなくなって踊り狂うしかないという展開は、ポン・ジュノの「母なる証明」を思い出す。思えば「母なる証明」も母の役割を背負った女性の息苦しさを描いた映画だった。

あとMatija Strniša(読み方が分からない…)の劇伴も素晴らしかった。シンセとピアノの音色がなんとも優しく響いてくる。少し「映画 聲の形」や「リズと青い鳥」の牛尾憲輔を彷彿とさせるものがあった。最後に役者陣の演技にも触れておくとやはり印象的だったのはウニを演じたパク・ジフとヨンジ先生を演じたキム・セビョクだろうか。どちらも繊細でありながらとても力強さを感じさせるし、表情や佇まいから感情を見事に表現していて素晴らしかった。

疎外感、息苦しさ、安らぎ、変わりゆく世界…きっとウニが感じ取ったありとあらゆる感情や世界は多くの人々の心に焼き付くのだろう。そしてウニがこれからどんな事を思いながら生きていくのか気になって仕方がない。こんなにも繊細な映画を長編デビュー作で作り上げてしまったキム・ボラの新作が今から楽しみだ。

はちどり


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