見出し画像

毛布#12 『違和感で立ち止まること、自分の一歩』

6月ももう半ばで夏至も近く、びっくりするくらいに夜が明けていくのが早い。

梅雨と夏日がごちゃ混ぜになる中で、比較的穏やかに過ごしつつも、なかなかにしんどいものもある日々だった。
大きく波立ち、変わろうとして、変わっていく社会の中で、どこか気持ちがついていくことができずに沈黙している時、「沈黙は罪だ」という気がして、一方自分の中で違和感があるままに何か言うこともできず、つらくなった。そして、そういうひとは結構いたんじゃないかと思う。

変わっていく社会の中でどこか気持ちがついていくことができないというのは、ついていけていないというよりは、実際は変化についていっていて、アップデートというのはそれなりにきついものなんだと思う。

そういう時のイメージにあったのは、「サナギ」だった。サナギはただくるまって引きこもっているわけではなくて、内側では自身をドロドロに溶かして新しいものを形成するという、なかなか命がけのようなことが行われている。それと同じことが精神で行われているとしたら、その時に何か言葉を発したり、何か動いたりするというのはそれだけでしんどいんじゃないかと思う。

価値観の変容というものが内側で行われているのだとしたら、例えそこで行われている適応の過程がどんなに機微でも、変容は変容で、時に痛みを伴うものでもある。

だけどそれもプロセスで、繰り返していくうちに慣れていくものでもあると思う。サナギレベルの変容であるかも知れないし、同時にそれは新陳代謝のように、日々活発に行われてほしいものにもなり得る。より、自分らしくなっていくための。

大事なのは、違和感を感じた時に、それを口にしてみることなのかなと思う。

今回のカバー画像にしたのは、クイア・アイシーズン5のあるワンシーンによるものだ。

クイア・アイは元々、ファッションやインテリア、文化、料理などその道のプロである「ゲイの五人」が、誰かに推薦された依頼人の「変化」を助けるというコンセプトの番組をリメイクした、Netflixのアメリカの番組。

回数を重ねて、今シーズンもやはりクイア・アイらしかったけれど(大盤振る舞いしていたように見えたので、予算は増えたのかもしれない)、自分の目に映った一番鮮やかなシーンは、登場する人の様々な「変化」というより、意外にもジョナサンの一言だった。

美容師のジョナサンは、ヘア・メイクアップ・セルフケアを担当する。
いつも明るくエネルギーに満ちているのだけど、ジョナサンが「このゲイ5人が手助けするから」と言った後で、「いや、実際はゲイ5人じゃなくて、ゲイ4人と、”non-binary fairy” (どちらかの性別にカテゴリー分けされない、「妖精」)が手助けする」と言い直した。

シーズン5にして!
日本編も入れれば6期目。
とても何気ない発言だったのだけど、「ゲイ5人」と言った後、ん?と気づいて、違うからとそのまま言い直したのが、なんだかとても軽やかで、でもジョナサンが自分自身のアイデンティティと過ごしてきた長い時間をどこかで感じた。

(ぜひ見てほしい。その人を社会が求める「素晴らしい誰か」に変えようとするのではなくて、その人本来の姿を阻んでいるものを取り除いていくような基本思想は、何年か前に初めて見た時になんて新時代(でも懐かしい)なんだと思ったし、これがどんどんスタンダードになっていってほしいと思った)

***

同じように、せやろがいおじさんの、伊藤詩織さんを支持する動画もまた、違和感に気付いて途中で止まる姿を見せてくれた動画だった。

最初は誹謗中傷についてということで、途中までいつもの感じで進めていくんだけど、途中で「なんか違う…」と、文字通り立ち止まって、そして自分の思いを整理するように話し始めた。それまでは結構ある意味ノンポリ的に、誹謗中傷をする人も、誹謗中傷する人に誹謗中傷する人もダメだろと最大公約数的な部分を話していたのだけど、「この問題それだけじゃないよな……」と、自分の中にあるミソジニーの問題など、「やっぱりそれはおかしいんじゃないかと思っている」ことに、ゆっくり、一歩ずつ踏み込んでいくようだった。

立ち止まった瞬間が、なんだかすごく鮮やかだった。ぜひ動画も見て欲しいので割愛するけれど、自分がせやろがいおじさんだったらと思うと、結構、ここで止まれない人も多いんじゃないかと思う。

迷いながら吐露するような口調で話す動画の中で、せやろがいおじさんは「アップデート」という言葉を何度も使っていた。アップデートしていかなあかん、と何度も。

アップデートすることの一歩は、「いやこれ違うな」と思った時に、その違和感を見過ごさないことから、まず始まるのかもしれない。そして、違和感に気付く、というのは、その瞬間その瞬間で、より自分と一致していくという意味でもすごく良いのではないかと思った。そしてそこですぐに動けなくなって、サナギのようになっても、それは必要な変容プロセスなのだと思う。

ジョナサンやせやろがいおじさんの姿を見て、私の中でも反応するものがあったように、誰か一人の中の変化は、共振を起こしてきっと社会的な変化にもなっていくのだろう。

そんな風にいちいち立ち止まっていては進めないよというかもしれないけれど、進むよりも立ち止まることの方がかえって前に進むという不思議なことはあると思う。

前回の毛布でも書いた、「ひとはき、ひといき」で、ゆっくり自分の一歩を進むことで、気がついたら長い距離を進んでいたというようなことになるのではないかなと感じている。

そうやって歩く、自分の一歩。その一歩はとても純度の高い氷のようで、ただの一歩であっても、かなりワープしたような一歩になるんじゃないかなと思う。

『自分のやり方でやりなよ、自分の道が見つかるように』
サナギ期間中に描けたイラスト。反響が大きかった。

アップデート、という言葉を聞いて描いたもの。
『万物は変化し すべては進化する ただ愚か者だけが 変わることがない』 —Alpha Blondy "Les Imbéciles" コートジボワールのレゲエアーティスト、アルファ・ブロンディの曲なのだけど、まさに真理。


\お知らせ/

【フェア】Magazine Freak’s Selection vol.4
代官山蔦屋書店でのフェアで、イラスト詩集『言葉をなくしたように生きる人達へ』を、展開していただいています。フェアの場所は2号館1階。良い出会いとなれば嬉しいです。

代官山蔦屋書店2号館 1階 マガジンストリート
2020年06月02日(火) - 06月21日(日)

*他にもいろいろ楽しみなお知らせがあります。いつも見てくださって、ありがとうございます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?