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毛布#6 『すべてを溶かして絵具となる』

いきなり引きずり込まれたと思ったら、今度はもう蹴り出されるような、そんな2月。

詩集の絵の制作に入っていて、混沌としている。

毛布が力強く遅れている間に(すみません)日常はものすごいスピードで進んでいっている。

人間の姿を保っているだけで精一杯という感じにもなってきた。
いまさらだけど2月は毛布をおやすみします、のアナウンスだけを載せようかなと思ったけれど、毛布用に書いていた端切れが結構あるので、載せてみる。

最近、絵から言葉が生まれることが割合として増えてきた。
本についてよく絵と言葉どっちが先に来るのか質問されるけど、歌詞とメロディみたいなものだな、とよく思う。
以前は言葉が先に来て、それに絵をつけることが多かった。
不思議なもので、今は先に絵が広がって、そしてそれから言葉が引き出されることが増えてきたように思う。
言葉だけポンと先に浮かんで、そのあとすぐに絵がばーっと広がることも依然多い。 言葉では言い表せないものが先に浮かんでくるのかもしれない。
自分の中ではそれが溶け合っている情景が浮かぶのがいちばん今はちょうどいいなと思っている。

ある時からか、目を開いてよく見なければと思うようになった。
その光景をそのまま使えることは少ないけれど、堆積したところからふっと浮かぶことが多いので、なんでもかんでも放り込んでいく記憶装置のように、目を開いて耳はオープンにして歩いている。
そうなると自分は何かの管のように歩くことになる。
マインドフルネスというよりは、マインド無ーネスというくらい、無。mu。

そうしていると世界を堪能するしかなくなり、目に入ってくるものすべてに綺麗だね綺麗だねとひたすら感心しながら歩いていると、言葉もポンと出てくる。こう書くと頭がお留守に見えるけど、実は毎瞬毎瞬結構集中している。集中していてすごく気楽だ。自由で、無限で、気楽。それが今のわたしには一番合っているのかもしれない。

そんな気楽な地球の歩き方をしていると、インスピレーションがやってくる。
慌てて書き留めたり、描き留めたり、そんな瞬間、私は無のまま、身体中、見えた世界の色に染まる。

例えていうなら陸を歩く二足歩行のクリオネみたいな感じだ。
中身はほぼ海水です、みたいな感じで漂う存在。

そんな平和なイメージで完結すればいいのだけど、現実には「見えたもの」を絵や言葉にする必要がある。
そうなるとクリオネのように透き通った佇まいでフヨフヨと通していくわけにもいかず、生身の人間としてのたうちまわりながら、そのまま寝落ちたり、スッ…と起き上がってはまた机に向かう、というのを繰り返している。
頭から手の先まで、混じりあった絵の具でいっぱいのようになっている。
紙と自分の間でだけ、ことは進む。

今は何を見ても、全部絵に繋がる。

上京してきて再会した友人に「秒で見るべき」と言われてその日の夜に見始めたAmazon Primeのドラマシリーズ『モダンラブ』も、作業の助っ人にいって「最近ハマってるんだよね」と見せてもらったHIP HOPのオーディション番組『Rhythm & Flow』も(絵を描いていると審査員3人の的確すぎる指摘が頭の中でこだまして、くっそーとなる)、ミナペルホネン展は布よりもデザイン画にばかり目が行き、今は何を見ても、全部作品に繋がる。一切合切全部画材、そんな感じだ。

それはとても、特殊で幸せな時間だ。

↑Rhythm&FlowでわかりやすくChance The Rapperを好きになってしまったことを示す落書き

モダンラブについて、毛布用に書いていた端切れがあるのでちょっと載せてみる。

ニューヨークタイムズに投稿された実話をもとにした30分ちょっとのドラマなのだけど、そこで広がるものはまったく30分どころの体感ではない。

ニューヨークを舞台にした、誰かと誰かの一瞬の物語。
ラブストーリーが多いのだけど、ロマンスというよりは、この孤独の中で生きていくためのセーフティーネットとしての「愛」の話だと思った。

誰かとの会話が、その瞬間の自分がその日1日、週末までの時間、今月を生き延びて持ち堪えるための支えになる。

誰かの何気ない行為、あるいは誰かがいることが、また別の誰かにとっての毛布であり、ハンモックであり、セーフティーネットになったりもする。

「今振り返ってみればあなたとのあの会話が命綱だった」というような、そんな愛が描かれているように思えた。

きっとその人達は、一緒の家には帰れない。そういう関係性ではない。ひとりで自分の部屋に戻ってひとりで眠る。それでも会っている間だけはその人に心を傾ける。

ロマンスよりも甘くて、ロマンスよりも欲しい。抱き合って喜び、抱き合って泣ける人。
今の日本社会だと「都合がいいだけ」と断罪されて切って捨てられそうでなんとも居場所のない感覚だとも思いつつ、そういう世界があってもいい、という世界を誰かが描いてくれたことで救われる人もいるのだと思う。

モダンラブのラストはとても美しかった。
涙で、着ていたシャツの袖がぐしょぐしょになった。
人生を終わらせていく女性と、モダンラブという物語世界の終幕。
終幕に描かれる、新たな物語の萌芽。

この物語を最後まで見て、自分が今制作している詩集の根底に通底するものが何か、フッとわかった。
それは見てのお楽しみ、ということにしたい。(なると良いのだけど。)

詩集のタイトルは『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』。

2年前にひるねこBOOKSでおこなった個展の作品世界を元にした詩集だけど、絵を描きながら、2年間と、そのもっと前からの旅路を振り返るような気持ちになっている。それは私の旅路を思い出すというよりは、旅の中で見てきて、聴いてきたものを思い出す感じだ。

昨日は古巣である、大学のアフリカ研究ゼミの集まりがあった。現在はドイツに暮らす恩師を囲み、ひとりひとり近況や最近のこと語る姿は、夜に焚き火を囲んで話をする、どこかキャンプファイヤーめいた風情があった。皆それぞれに悩んだり抱えているかもしれないけれど、相変わらずきらきらと淡い光が見えた。それを言っても何の励ましにもならないとは思うけれど、やっぱり見えているものはしかたがない。

あなたたちは輝いている。どんなときでも。
息づいている限り。

息づいていなくても、それにはそれの光がある。

そういったものがずっと見えていた、そんな景色を描く詩集。私はそれを見届けて描くのが仕事なのだと思う。
あまり気負わず、陸の上のクリオネのようにやっていこうと思う。

*制作が佳境に入っているので、毛布の次回の更新は3月中旬頃を予定しています。楽しみにしてくださっている方(?)、お待ちくださいませ。


\お知らせ/

●京都岡崎 蔦屋書店でのZINEフェアで、詩集を取り上げていただいています!他にも大好きな方ばかり。関西の方、ぜひ行ってみてくださいね。

https://store.tsite.jp/kyoto-okazaki/event/art/12914-1635240213.html

●ソトコト4月号(3月5日発売)で、イラストエッセイ集『ことば さがす 尾道』を紹介していただいております。岡山の451BOOKS 店主の根木さんの連載『リトルプレスから始まる旅』。根木さんには瀬戸内アートブックフェアで出会い、その後本をお取り扱いいただいています。『ソトコト』は学生時代から読んでいる雑誌で、とても嬉しく思っています。店頭に並ぶのが楽しみです。ぜひ読んでみてくださいね。

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