ASD当事者からのクソリプをきっかけにコミュニケーションについて(これまたASD当事者が)考えてみた話。
こんにちは。真リオです。
ミスiDってなんだっけ?になってたのと、お仕事が充実しすぎるなどしていたおかげでnoteを放置しておりました。
改めて自己紹介と、この記事を書くことにしたきっかけ。
改めて自己紹介しますと以下のようになります。
根暗な10代を経て大学卒業も就職に失敗→コールセンター勤務をきっかけに「そういえば芸能人になりたかった」のを思い出してアラサーからローカルで活動→なんやかんやありWeb制作のスクールに通い始めフリーランサーに。
「おう、マジか……!」が激しい経歴ですが、さらに、このnoteでは明かしていなかった私にまつわる事実があります。
それは、フリーランス開業やお仕事の獲得に邁進していた2019年に「ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けている」です。
今までの人生の辛みや行ってしまったダメムーブなど、合点がいく出来事でした。
そして、今日ひさしぶりにnoteを書こうとしているのは、このASDにまつわるエピソードから考えたことを記録し世に問おうとおもったからです。
2020年末に「自分へのご褒美」をしようと思った経緯
昨年末の2020年12月、私のお仕事状況は超絶忙しかった。新しく「週3在宅バイト」を始めて、バイトとフリーで受けるお仕事との「複業」をやりたかったのですが、フリーお仕事の工数と必要作業の見積もりを誤って判断したことがきっかけで、全方位に迷惑をかけまくっていた。
しかし、色々謝り倒して、モンエナ飲んで、なんとか食らいついてようやく仕事を納めることができた。机の前でジッとして考えながらカタカタやるお仕事内容であります。つまり、超絶肩が凝っている。……肩だけじゃない全身が!
「年末だし、思い切って自分へのご褒美をしよう!」
そう思って、ホットペッパービューティーのアプリを開いた私は、「明日(大晦日だ)行けるリラクゼーションサロン」を検索することに。いろんなメニューやクーポンがある。どれにしようかな。メインはボディケアだけど、フットメニューも入れておきたい。つまり全身必要だ!
そんなこんなでメニューを追加し、フットメニュー向けレンタルウェアも追加したお値段は、なんと「15,000円弱」であった。ここ最近の真リオ史上、前代未聞の「自分へのご褒美」最高額!でも、良いんだ!それぐらい個人的に頑張ったし、凝ってるし、凝りを取ることでまた一年頑張れるもん。
そんな「自分史上最高額(金額含む)のリラクゼーションメニューを予約してワクワクである」旨のツイートを、興奮のまま書き込んで就寝した。
トータル15,000円のリラクゼーションメニューは、当然気持ちよかったです。熟練のセラピストのお姉さんの前では、人種も、階級も、属性も関係なく、誰もがフニャフニャ間違いなし。これぞ世界平和!ラブ・アンド・ピースな空間すぎるから、近々両親を連れていって親孝行するんだ、と思った。
相互フォローのASD当事者男性から、「クソリプ」と呼んで差し支えないと思わざるを得ないリプライがあった。病んだ。それはなぜか?
帰り道の交通機関の中でツイッターを見ていたら、青い通知の丸があった。
開いた。相互フォローで、「ASD・ADHD(その他先天的疾患)を明らかにしている男性」であった。
内容は「良いお年をお迎えください。自分は……(以下生活が困窮し役所の制度を利用して乗り切ったものの将来に不安しかない旨をトータル140字以内で記述)」というものであった。
私は、気持ちが落ち込みました。せっかくリラクゼーション屋さんで高いメニューを受けたし、ラブ・アンド・ピースな気分のまま年を越すんだと思っていましたが、予想外の展開でした。
なぜ気持ちが落ち込んだかというと、上記のリプライが含む以下のような作用によるものです。
・別に、彼の近況には特段興味がない。(もし彼のツイートが偶然目に入った際には「マジですか!お疲れ様でした。頑張っている人がこんな目に遭うなんて世の中ポイズンだなぁ」的な感想を抱いてリプライするかも、程度の興味だし仲である)
・そうなるのも仕方ない事情があるとはいえ、明らかに人をドン引きさせる暗い内容すぎる言葉のチョイスである。
・彼は、私の経済力(実際はそんなんでもない。底辺フリーランサーだもん)、ついでに両親健在で実家暮らしである恵まれた状況を羨み妬む意図がある、そう思わざるを得ない。
・彼は、他者の行動の裏にある経緯に対して、あまりに無頓着である。
また、彼のクソリプで気持ちが暗くなった、さらに深い理由が以下になります。
実は彼は、私より年上の30代半ばで、声優や俳優を志すべく全日制学校に通いながら働いているという側面があります。
私自身、演技を志して「外郎売」に取り組んだり、ステラ・アドラーの本を読んだりなどした、「経験者」であります。
演技とは、「演じるキャラクターの内面や経緯を理解したうえで、それを身体上に表して魅せる」行為です。つまりコミュニケーションについて熟考する機会でもあります。
私は、演技をかじったことによって「他者とは、社会とは、自分の好ましい振る舞いとは」をよく考えるきっかけになりました。専門的な言い方になりますが、精神科デイケアなどで行われる「SST(ソーシャル・スキルズ・トレーニング)」の代わりになったようなところがあります。
彼が、幼少期にASDの診断を受けたのか、それとも大人になってから診断を受けたのかは知りません。(幼少期に診断がされたなら、何かしらの「療育」の機会があったのじゃなかろうか?と思う)
ですが、他者の行動の裏にある経緯に対して無頓着すぎる、という特性と現状は、演技者として致命的ウィークポイントです。
その点も、なんだか私の気分を暗くしました。
ASDってどう生きるべきなのか?私の考えだけど;;;
ASDを扱ったコンテンツは多く出回るようになりました。(私も兄が教育大生だった頃に『光とともに…』を途中まで借りて読みました)
ASDは悪くないと思います。しかしながら、ASDであることがきっかけで生じることになるコミュニケーションや社会生活上の苦労は、なんとしてでも取り除かねばならないと考えます。
それは当事者のためではありません。「迷惑をかけて、マジョリティたる健常者側の心象を害さないために」「同胞の肩身を狭くしないために」、当事者は学び努力する必要があるんだと私は考えてしまいます。
そうすることで、やっとこさ「誰もがのびのびと社会で生きていける」ことにつながるのだ、というのが、私の今まで生きてきた中で得た考えです。
(読み飛ばしても良い、ASDが行いがちな「唐突な自分語り」だけど)かつて通院していたメンタルクリニックのデイケアでのことです。「SSTの時間」がありました。恐らくうつ病や強迫性障害などの症状の方も含まれているかと思いましたが、「日常生活上の苦労ってどんなことがある?」「それらを解決すべく議論しよう!」というものでした。私には、それらが「(……レベル低くね?)」と思えて仕方なかった。そのデイケアの場は、「軽度」の人が「重度」の人を教え導く役割を持たされていると感じて、なんだかヤダなって思った。それらの感情の裏には「同族嫌悪」が隠れていると思われます。しかし、彼らに上手く伝えられるだけの語彙力や、瞬時にその場で頭の中で要点をまとめる能力は低かったから黙ってたし、そんなデイケアがやがて心的負担になって抑うつ症状が悪化、「ブッチ(転院)」した先の病院で診断がついた。
ASDによって変に出来上がった人間関係や行動についての頭の回路は、必ず健常者をお手本に矯正していく必要があると考えました。同じ当事者同士で話し合うことで心の癒やしは得られるかと思いますが、コミュニケーション能力の向上は得られないと思います。
結論
ASDはマジつらみすぎる星の元に生まれている。社会で、健常な他者にまみれて生きていくのなら、するべき努力がたくさんありすぎる。
だから、頑張ろう。頑張れ!私も頑張るから!
(私の考えは尖ってるし、もしや炎上したらどうしようって思うけど、でも事実だしなぁ)
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