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戻ってくる日常の豊かさと、見たい景色を考える

今日からなんとなく”以前の日常”に戻り始めるんだな、と、朝、ランドセルを背負う子ども達を見て思いました。

何が残って、何が変わって、何が戻るんだろうかと、ぼんやり考えています。

あれほど必要だと思っていたものが今はそんなに必要なかったり、わかってはいたけどこれやっぱり必要だったよね、みたいなことだったり、”今”のタイミングで感じたことも、残しておきたいなと思いました。

これから書き殴ることは全部私の主観であって、会社の考えや組織の考え、登場人物たちがどう思っているかのエビデンスは取れていませんのであしからず。あくまで、今の、個人的な、メモ。


起こったこと

コロナのおかげで、庭に花が植わり、畑ができ、夫と子どもたちがパンを焼けるようになりました。

食器を洗ってテーブルを綺麗にして、部屋を片付けるのは、私だけの仕事ではなくなりました。

やりたいことを決めて時間を考えて、明日の自分のために何かをしておくことにも慣れてきました。

ボードゲームをしたり本を読んだり映画を見たり、夕食の後の時間が充実しました。

川遊びをしたり、散歩したり、虫を捕まえたり、すれ違う人とおしゃべりをしたり、近所を楽しむ術が増えました。

いろんなことが限られるからこそ、その時会える人と過ごす時間の密度が増しました。

ライターの仕事はあまり変わりませんが、オンラインや電話で取材、打ち合わせできる案件が増えて、移動時間が短縮した分、子ども達との時間が確保しやすくなりました。

(いままでに不満があったわけでも、問題意識があったわけでもないんだけど、なんか、結果として、という話。)


考えたこと

つくってきたもの一つひとつ見返して、思ったより私、”話してこなかったな”と思いました。正しい表現はわからないけど、最近あんまり、言葉を発してなくて。

まず見たいのは、ずっと変わらないやと再確認。
子ども達や孫世代、その先までが、「うちの地元、なんか面白いんだよね」って友だちを連れて帰ってきてくれる長野県。「うちのお母さん(もしくはおばあちゃん・おじいちゃん・お父さん・この際近所の人でもいい)、よくわかんないけどあんな田舎でめっちゃ楽しそうに生きてるんだよね」って、みんなで言われたいというささやかな夢。今だって変な大人、いっぱいいるし。

やりたい仕事はなにもかも、そのために使う、そして使ってもらうツールだと、思いました。


mgは、公共をもっと自分ごとで考えたい


孫と景色のいい公園行きたいし、仲間とBBQしたい!って言われたら「あの場所がいいよ」って言いたいし、なんかよくわかんないけど「それ多分図書館行ったら解決するよ!」みたいな、言いたいし。
少なくとも「あの公園良かったんだけど、今は駐車場だもんねえ…」みたいなことにはしたくない。

「20年後も笑顔で健康に、多世代が過ごしやすい〇〇市であるために」とか言われてもいまいちピンとこないけど(私だけ?)、空いてるその場所をあそび場にしませんか、お茶のみ場にしませんか、そこにあの人の作品飾りたくないですか、それそこで買えちゃったらよくないですか、どうせなら美味しいお菓子も食べたいですよね、映画もみたいですよね、ああたまには運動もしときますか、あのおじいちゃんめっちゃ元気よね、え昔は〇〇してたんですか、じゃあちょっと子どもたちに教えて欲しいです、みたいな、いろんなアイディアがちゃんと意味を持ってくっついて、増えてったら、勝手にそうなっていくと思うのです。
それが且つ、顔の見えるあの人のものであれば、なおのこと。
おもしろそうな未来と、今をしっかり結び付けて、過程を楽しみたい。

まずはもっと近所に目を向けて、誰かに伝えたいこと見つけてみませんか。この家のきゅうりめっちゃ美味しいとか、この空き地から見える景色最高、とか。組み合わさったらとりあえず、絶景に集まってきゅうり買うマルシェからの絶景できゅうり育ててみる畑からのきゅうり農家やりたくて引っ越してきました、みたいなのとか生まれそう。でもそういうのから、おじいちゃんは畑のヒーローになって多世代コミュニティできるかもしれないし、きゅうり配ってたら独居の見回りとか心配なくなるかもしれないし、一緒にご好意のパンも届くようになるかもしれなくて、じゃあちょっとここであそんでるパン焼きオーブン使って商品化してみますかとかなったら、施設利用料生み出せるかもしれないよ。(安直)


まにまには、ゆめぐるは、小さくここで暮らしていくことがしたい

今年、誘ってもらって醤油作りに参加しています。麦を撒いて麦茶作ろうか、なんてことも話しています。田舎は基本ソーシャルディスタンス×2くらいの密度でしか人がいないので、なんかわかんないけど自粛してても苦しくないです。わりと。家あるし、畑今ならまだ耕せそうだし。こういう暮らしがしたい、っていう人がいるなら、おいでよーって、誘えるような、ちょっと覗きにこられるような窓口を作りたいと思います。まずもって、真田で人が行き交う場所(これは常設でなくていいし、リアルでなくてもいいのかもしれないし、すでにもあるので私たちがやらなくてもいいのかもしれない)と、なんなら泊まってって、みたいな、ちょっと住んでく?みたいな場所(これは実際の場が必要なので整備する)を作る。
移住促進というよりは、各々の心地よい暮らし促進みたいなことで。自分たちが楽しむことでおもしろい円があちこちにできていくみたいな、こう、ポツポツとしたのがたくさんあったらいいな、っていうイメージ。

とりあえず今、空き家と醤油作りに興味津々なので、空いてる畑で大豆育てて空き家の軒下で樽に入れて、地域で使う醤油はみんなで作ろ、みたいなこととかにならないだろうか。(壮大)
Facebookでワイワイしてた、空き家バンク(ライト):定住を推さない賃貸ベース、みんなで片付けがしやすくなるゴミ処理とかのお金の仕組み、みたいなのも、やりたい。


グラーティア(人材派遣)やB Style(人材育成)は、仕事と自分に向き合いたい

子育て中に実はたくさんある自分の時間を、効率よく投資に回せるようなことがしたい。
私がライターをしているのって、「子供が生まれてからの不自由さに愕然としながら、落ち着いてできること考えたら実は結構あって、働きながらスキルアップできる環境を探して、作ってきた」みたいなことなんです。周りの人に、ものすごく助けてもらいました。
人材派遣って、今、すごく”会社”が”働く人”のキャリア育成に時間もお金もかけなきゃいけない感じになっています。これって、つまり、うまくマッチングができれば、「子育て中に自分のキャリアを重ねながら働く」ことができるんじゃないかと思っているんです。
今回みたいなことがあった時、普段から自分の人生軸を考えながら働き方を考えているって強いなと感じています。そういう人を、増やしたい。「仕事を探している+将来に向けてスキルを磨きたい人」と、「人手を探している+地域に元気な人が増えたらいいと思っている企業」をつなぐことがしていきたいです。


戻ってくる日常の豊かさは、自分次第と思う

さて、長くなりましたが、少しづつ”よしとされていた日常”がやってきます。物凄い勢いで元に戻そうとすることと、それを批判することと。またいろんなものが飛び交うんだろうなと思っています。以前、台風被害があった時にインタビューを受けても思ったこと。”戻ること”は、安心の象徴かもしれないけれど、それだけが全てではない。

豊かな暮らしって結局、誰しも自分でしか作れないなと感じます。きっかけはあっちこっちにいっぱい落ちていて、声を出すことはとても重要で、誰かと一緒に取り組むことは必要だけど。

模索している中で言葉にして話すのが、どうもあまり得意ではなくて(自分のことが特に)、「ちょっととりあえず来てみてよ!」って言いがち(そしてイベントにしちゃいがち)ですが、考えることはやめずに、言葉にするこを諦めずにいようと思いました。

自戒をこめて。

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