2016ホーム

私家版・プロ野球ユニフォーム史 2004-2020 Vol.33

【侍ジャパン(日本代表)】

 野球日本代表は2004年のアテネオリンピックからすべてNPBの選手で構成されることとなった。当初は長嶋茂雄を監督に据えていたが、本選に入ると急病により辞退。のちに横浜DeNAベイスターズの監督となる中畑清が代行として指揮を取った。

2004ホーム

2004ビジター

 ホームは白、ビジターはグレーに2本のラインがタテジマを形成するデザイン。胸には赤いJAPANのロゴが入り、背番号と背ネームはネイビーに金色の縁取り。金メダル獲得は目標ではなく至上命題と煽られた大会だったが、準備不足も露呈して最後まで歯車が噛み合わなかった印象が拭えず銅メダルの結果にとどまる。

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 2006年よりワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の開催がスタート。NPBだけでなくMLB所属の選手も含めたチーム編成となる。監督は王貞治。このタイミングで日本代表のユニフォームを大幅に刷新。サプライヤーはミズノ。ホームは白、ビジターは紺色を基調として、いずれも差し色は赤。ホーム・ビジターともに日の丸をイメージした赤いJapanのロゴが入っている。真新しいデザインのユニフォームに身を包み、これまでのクールなイメージを覆して感情を爆発させるイチローの躍動に誰もが目を奪われた。

 2007年の北京オリンピック予選では、アテネオリンピックまでのものと同じデザインのユニフォームに戻されていた。背ネームの上に日の丸が加えられている。ここまではオリンピックとWBCの日本代表は別もの、という認識がNPB内にもあったと思われる。

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ビジターユニフォーム(2009年)

※NPB公式サイトより。

 2009年のWBCでは、前大会で着用したユニフォームをマイナーチェンジ。差し色の位置変更などはあったが基本的なデザインに大きな違いはない。この年、代表は原辰徳を監督に迎えて2連覇を達成。

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 2011年より日本代表の常設化が取り決められ、ここから呼称が正式に「侍ジャパン」となる。2012年に発表された新たなユニフォームは、ホームが白地に紺色のJapanのロゴ、ビジターは紺色を基調として新たなJAPANの赤いロゴが入った。2013年の第3回WBCではベスト4にとどまり、3連覇とはならなかった。

2013ホーム

2013ビジター

 2013年・秋、現在の侍ジャパンの基礎となるユニフォームが生まれる。ホームは白地に黒いドット柄のストライプ、ビジターはほぼ黒に近いネイビーの地に白のドット柄のストライプ。どちらも黒いJAPANの新しいロゴが入る。トップチームの侍ジャパンだけでなく、社会人・大学・高校から女子にいたるまですべての日本代表チーム共通のユニフォームとして統一された。

2016ホーム

2016ビジター

 2016年になるとホーム・ビジターともに襟と袖口に金色の細いラインが入るマイナーチェンジが施された。見えづらい位置だが、袖口の裏には赤いラインも入っている。また、黒+黒で判別しづらかったビジターユニフォームのJAPANのロゴと背番号は、金色の縁取りを濃くする変更が加えられた。2015年のプレミア12では3位、2017年のWBCはベスト4という結果に終わった。

2017ホーム

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 2017年からは稲葉篤紀が監督に就任。ユニフォームのサプライヤーはミズノからアシックスに変わる。ホームは白地のまま、ビジターはやや明るいネイビーに変更され、JAPANのロゴと背番号はビジターのみ白になることでくっきりとしたカラーリングとなった。さらにホームは黒、ビジターは赤のラケットラインが入った。ストライプはボールが数珠つなぎになったようなデザイン。これまで右袖が定位置だった日の丸は左胸へ移動された。このユニフォームを着用して2019年のプレミア12に優勝。侍ジャパンは2020年の東京オリンピックに挑むことになる。

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