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第3話 香港民主化デモとミュージックシーン

Today's Pick
My Bloody Valentine 'Loveless' (1991)

第1話 (みんなの文藝春秋でも取り上げていただきました)

 90年代リバイバルバンドと呼ばれた Yuckはよくアメリカンインディーと比較されながらも、シューゲーズバンドとも言われた。シューゲーズとはシュー(靴)をゲーズ(見つめる)という意味で下を向いて奏でるイギリス発祥の超内向的オタク音楽である。音は歪んだギターがディレイによって幾重にもなりそれがフィードバックを伴い永遠と倍増する。まるで深く濃い霧に身を包まれるような気分。ドリーミーでエッジーな音は多感な少年少女には胸キュンな音楽だった。今回のアルバム、1991年リリースのマイ・ブラディー・ヴァレンタインのラブレスは瞬く間にシューゲーズ音楽の代名詞となった。
 リリース元のクリエーション・レコードはイギリスの90年代音楽を先導したあまりにも有名なレーベルだ。赤毛のスコッツマン、アレン・マギーはジーザス&メリーチェインを始め、プライマル・スクリーム、スローダイヴ、ティーンエイジ・ファンクラブ、オエイシスなどの歴史に残るビッグバンドを次々と見出した。その中でもマイブラは世界のインディーシーンに多大なる影響を与えた。アジア圏に関しては教祖のごとく崇め奉られたと言っても過言ではないと思う。

 香港でのライブは2012年、2015年、2016年の3度と記憶する。毎回台湾とのライブも絡めてアジアに飛ぶが、東洋人には欧米人とは違う親近感がやはり存在する。食一つにしてもしっくりくるし、視覚的にもマナリズムも西洋人とは全く違い、血のつながりをより強く近く感じる。イギリス生活が永いがつくづくルーツは消えないもんだなと思う。
 スコットランド出身のマイクとジェーンは広告会社経営とインディーバンドのプロモーターという二足の草鞋を履いていた。3回の香港でのライブもこのカップルのおかげである。このぶっ飛んだカップルには息子がひとり、当時ちびっこだったが、最後にあった時にはすっかりティーンズになって親父の事をマイクと呼ぶクールなガキに成長していた。彼らはレコード会社として、香港のシューゲーズバンドTHUDのアルバムを2枚リリースしている。THUDは女性リードボーカルの5人編成のバンドだ。過去2回の香港のライブでも共演している。 

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 2019年3月から始まった香港の民主化デモは悲劇でしかない。日本やイギリスを始め中国資本の恩恵を受ける国々や企業は中国の非人道的行為に目をつむってきた。人より金が先。その結果中国は巨大な力を着々と付けて行った。「今後50年は香港に社会主義政策を実施しない一国二制度を続ける」との英中共同声明も破棄。香港の資本に頼る必要がなくなった中国は香港の自由を奪い、いま正に中国本土と統合しようとしている。
 中国本土でライブをするにはたくさんの障害をクリアしないといけない。ビザ取得にはアメリカと同様に毎回一筋縄では行かない。申請の為にツアー日程や宿泊先、アテンダントの詳細はもちろん、セットリストの申請、歌詞を提出してふさわしい内容かどうか審査される。申請した曲以外は演奏してはいけないし、もちろん歌詞も変えてはいけない。Fワードなどはもってのほか、反中国的な発言もライブ中はもちろん、SNSなどでも控えるようにも言われた。プロモーターやライブハウス側も煩雑な申請をしなければ、当日ガサ入れされてイベントを強制中止させられる恐れがある。以前中国で何箇所かの箱に別れた形で行われたフェスに出演した事があったが、私たちの箱以外は当日突然強制中止となった。渡ったら渡ったで面倒くさく、グーグルはブロックされているし、検索はもちろん、gメールもチェックできない。gマップもだめ、グーグル中国から相当嫌われてるんですね。あとインスタグラムやフェイスブックもVPNを操作して使えるか使えないか。中国ツアー中の投稿はほぼゼロ。インターネットありと言われていても、すんなり繋がった試しがない。私たちには当たり前の自由がない中国。そうゆう事が香港にも来るって事だ。
  THUDは香港から、今回の政府の攻撃を逐一SNSを通して発信していた。イギリスではコロナ前までは連日、香港の様子が報道されていたので、現地にいる彼らが本当に気の毒だった。ヤックのライブに来た人たち、スタッフや対バンの人たち、みんなと過ごした平和で素敵な時間が懐かしい。彼らは一体元気なんだろうか?これから前みたいに自由に海外のバンドがライブする事も出来ないんだろうなと思うと切なくなった。たまらず「世界は見てるからどうか踏ん張って!」とヴォーカルのキムに激励を送った。

 香港では今回の制圧に反撃する若者の声をダイレクトに代弁するヒップ・ホップが盛り上がってきているらしい。メッセージ性が強いから、体制を批評批判するにはうってつけの音楽だ。ヒップ・ホップはNY、ブロンクスで生まれた貧困や差別が背景にあるアメリカ黒人音楽だ。(アメリカ南部発祥ブルースの話はこちらから)そうゆう音楽が流行る理由は前にも言ったようにメッセージ性が強いことと、とっつきやすいからだ。自分の思いや創造性を表現するのに、ビートとマイクがあればすぐできる。特にスペースのない都心ではぴったりだ。ギターやドラムのように毎日何年も練習して習得する必要もないし、機材も安上がりだ。ドラマーの場合、練習したくても近所が近い都心のアパートでなんか到底叩けない。バンドはスタジオを借りて練習しなくてはいけないから金がかかる。世界中で2000年代から起こっている現象は、都心部で、中流以上の家庭しかバンドができなくなっている事。ロックはもはや労働階級のものではない!ヤックを始め、中流家庭のハイソな習い事だ。
 日本では、バブル崩壊から数十年、先進国で唯一デフレが続いているらしい。格差が広がり、一億総中流ではなくなってしまった。その結果日本のミュージックシーンがどうなっているのかと言うと、子供も減ったが、バンド人口も減った。そして音楽の鎖国も始まっていると思う。今はネットで好きなだけ海外の音楽情報が入るのにも関わらず、洋楽がすこぶる不人気だ。意識が内に内にと向いている。未知の物に触れようとする冒険心がないのか。金の余裕がないから、堅実にしか生きる術がないのか。
 外国語で何やら意味が分からん雰囲気音楽よりも、幼女趣味の違法ラインすれすれの女性蔑視のアイドルオタクか、自国語でダイレクトに伝わるヒップ・ホップが人気だ。イベントもバンドのライブよりもヒップ・ホップのクラブイベントの方が人が集まりやすい。川崎出身のバッド・ホップというグループが人気なのは彼らが日本のゲットー出身だからだ。シングルマザーに育てられ、回りは工場でスモッグだらけ、食うために盗んだし、在日コリアとして差別された。彼らの体制に対するフxxク・ユーはかつてのパンク精神そのものだ。
 時代は流れるもんで、ヒップ・ホップがアメリカの音楽で、貧困や差別や憤りが真似事だった時代は終わった。残念ながら、香港や日本で今ビートに乗って憤りをシャウトする声はリアルだから。


アルバムについて
マイ・ブラディー・ヴァレンタイン ’ラブレス’ (1991年)
2年半という年月と27万ポンド日本円で約6400万円(当時レート)をかけて作られた大作。レーベル副社長の家を抵当に入れなければ行けなくなり、クリエーション存続の危機に陥った話は有名。関わったエンジニアも16人で19箇所のスタジオが使用された。改めて書いてみるとあほすぎる。ヴォーカルのビリンダ・ブッチャーが歌詞を少々担当し、その他全てのプロダクションや演奏はケヴィン・シールドが行った。確固たる方向性やアイディアは説明したって簡単には人に伝わらない。まして楽器を奏でるには絶対に個性が現れるから自分で全て指揮して演奏した彼の気持ちは分からんではないが、クレイジーなクリエーターであるのは間違いない。ヤック、デビュー前の2010年、ロンドン憧れの箱、シェパーズ・ブッシュ・エンパイアでのダイナソーJrとビルト・トゥ・スピルのライブのオープナーを務めた事があった。その時あのケヴィン・シールドも遊びに来ていたらしい!

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第2話 第3話 第4話

作者について
土居まりん a.k.a Mariko Doi
広島出身、ロンドン在住。ロンドン拠点のバンド、Yuckのベーシスト。ヤックでは3枚のスタジオアルバムとEP、自身のプロジェクト、パラキートでは2枚のスタジオアルバムとEPをリリースした。
ピクシーズ、ティーンエイジ・ファンクラブ、テーム・インパラ、アンノウン・モータル・オーケストラ、ザ・ホラーズ、ウェーブス、オールウェーズ、ダイブ、ビッグ・シーフなどと共演しロンドンを拠点に国際的にライブ活動を展開している。
2019年初のソロアルバム「ももはじめてわらう」を全セルフプロデュースでDisk Unionからリリース。モダンアートとのコラボ楽曲など活動の幅を広げている。

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