日報-2

今日やったこと

・3社プレエントリー

・自己分析

自己分析が進まない。自分の人生を何のために使うかが見つからない。今日参加したweb説明会で、「今までに没頭したことの中に自分のやりたいことがある」と言っていた。それで言えば、きついながら勝ちたくて自主練をしたバドミントン、強くなりたいと思って始めた筋トレ・剣道、「これは絶対面白い」と確信して海に浮かべる板の間を作った企画記事、テレビゲームがあると思う。

どうしたら海に浮かぶ板の間を作れるかを考え、撮影可能な日を待つため保存場所に困った板の間を車の天井にくくりつけて2ヶ月運び続けたあれはそこそこ異常であったのではないか。また全身赤く塗って、企画記事をしたことも、面白いかどうかは置いておいて、人に求められることに一生懸命応えようとするという自分の特性を象徴しているだろう。キジムナーをやったあとは2時間くらい食器用洗剤で体を洗ってたし。高校時代に、人前で半裸になってたのもその類である。

それは強みかもしれない。その上で、誰に求められるとその特性が出るか。応えられる範囲はどの程度か、どの分野かを明確にすることが大事であると思われる。

一方、バドミントンをしていたときは、自主練をするほどのめりこんでいたとは思うが、それらは趣味の延長だったような気がする。とくにバドミントンは友達と神社で走り込みをするのが好きだった。そしてある程度の部内順位を保てていればそれでよかったような気がする。

剣道は強くなりたいという痛さの感じられる渇望のもと始めたものだった。学校の廃材を拾ってきて打ち込み人形を作ったり、ダンベルをもって走り込みをしたりしていた。一生披露する機会がない3刀流の練習もした。それらは、泣いてる友達に何もできなくて無力さを感じたから強くなりたい、と思って始めたものだったが、それは人のためと見せかけてただの自己満足であったと今だからわかる。だから没頭した経験かと言われると悩む。

また昨日、自分の信念をもって活動する人たちの話を伺う機会があった。ハンストも、子どもの貧困解決も、その過去の経験に紐づいた目的で、将来を見据えた選択を取り続ける人たちであった。自分にそのようなものを問われたとき、人がその人であることを否定されることがおかしいと思うし、それが価値になる社会を作りたいと思う。「こんな自分なんて」と希望を失い死んでいく人たちがいることが今は当たり前ではあるし、人類が生まれてからずっとそれはあるのかもしれない。でも、人は別に自死しなくてもいいのではなかろうか。そうせざるを得ないのを自己責任だと言われるとお手上げだが、環境のせいは強いはずなので環境を変えることで解決できればと考えている。

ここに関してはスラスラ言葉が出てくるので自分のやりたいことはここにあるのかもしれない。あ、将来稼げるメディアを作りたいからメディア営業という道筋があるのか。なるほど。コンプレックス大百科を稼げるメディアにしつつ、コンプレックスを抱える人々のコンプレックスを解消するために使えるお金を作り、広めていくサイクル。コンプレックス奨学金みたいなのも面白い。それでいいのか。

あとはその辺りを自分の過去の経験と結びつけて、伝わる言葉で伝えていこう。明日は5社エントリーすればミッションコンプリート。メディア営業系で探そう。

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