私のツナマヨおにぎりと千尋の涙よ、アフリカ・アジアへ!
突然なんこっちゃかと思いますが、
私は10月に入ってからほぼ毎日、
ツナマヨおにぎりを食べ続けて、
インスタグラムに投稿していました。
なんの説明もなく突然はじめたので、
フォロワーは「???」だったと思いますが、
一定数のイイネも必ずついていたので、
また変なことしてるなって感じだったのかなと。
というのも、
仕事(協賛企業のため)で
このソーシャルアクションに関わることになり。
※10月1日~31日の間に、
おにぎりにまつわる写真をSNS投稿すると
TFTを通じてアフリカ・アジアの子どもたちに
1投稿=5給食が届くよっていう企画。
発想が魅力的なのと、
手軽に参画できるので、
せっかくなら今年はやってみよう!と。
※去年から協賛していたので
社内アナウンスで知ってはいたけど、
「へぇ。まぁ仕事忙しいし無理」という
謎ロジックで投稿しなかった。
で、参画を決めたはいいものの。
過去の投稿を見たりしていると、
キャラ弁系の投稿があまりにも「映え」で、
こ、これは真似できない・・・
てか、ごめんなさい、作るのめんどい・・・
ということで、
私は市販の力に頼ることにしたのでした。
食い漁りをスタートするにあたって、
決めていたことは、ひとつ。
1位を決めるために食べることはしない
どのコンビニスーパーのおにぎりにも
それぞれの特徴と良さがあって、
たとえ機械であったとしても、
握った人の思いやりがつまっているのが、
おにぎりという産物だと思ったからです。
そして10個食べ終わった後の今も、
その感覚は変わっておらず。
一つとして同じ味のものはなかったし、
どれもシンプルに美味しかったです。
目隠しして当てて!と言われたら
当てられる自信は全くありませんが、
こんなに手軽に(しかも手も汚れない)
ツナマヨをいただける幸せやその味を忘れぬよう
10投稿を一つにまとめましたので、
興味のある方は、ご参考までに。
※たぶん長押しすると画像保存できる。
***
こんだけおにぎりを食べていると、
ボーッとしているときも、ふと脳内おにぎり。
それで思い出したのが、
千と千尋のあのシーンでした。
公開当時、私は千尋と同い年でした。
千尋って強いなすごいな、おにぎりうまそ。
そんなことを思って鑑賞していました。
そして、
このシーンが印象に残っているのは、
確かこのおにぎりを
私も持っていたからなのです。
「千と千尋」「おにぎり」「グッズ」で
検索したところ、記憶が蘇ってきました。
そうそう、これこれ。
DVDについてきた、おにぎりフィギュア。笑
なんか真ん中でパカッと開くやつ。
当時どう使っていたかは謎。
かつ今どこにあるのかも謎。
現在はオークションで安価で売られていたけど、
このパッケージの但し書きを読んで、じんわり。
まさかの糸井重里さんでした。
■「ハクのおにぎりフィギュア」について
『千と千尋の神隠し』のなかで、どこで泣いた?という質問をすると、それぞれいろんな場面を答えてくれるのですが、ほとんどの人があげるのが、あの「千尋がおにぎりを食べる場面」です。
いままで、当たり前だと思っていた「ごはんを食べること」が、実は、とてもありがたいことだったと気づくシーンです。ほんとうは「食事を手に入れる」ということは、子供たちにとって(大人にとっても)誰かの労働のおかげで成立しているはずです。その「食事を手に入れる」ことの価値と、「それを食べられる」ということの価値を、一気に身体でわかるシーン、あそこにあったのです。それは、『生きていてうれしい』という実感がわき起こる場面です。
ただのおにぎりが、こんなに貴重なものだったとは、と、観客のすべてが腹の底から思えたのでしょう。
おにぎりは、働くこと、食べられることの価値のシンボルです。
それは、ひいては「生きること」の価値をたたえることにもつながっています。
素朴で、粗末に見えるかもしれない「ただの塩むすび」が『千と千尋の神隠し』ビデオ・DVDを予約してくださった方へのおまけです。
決して豪華ではないけれど、生きることの価値を思い出させてくれる「貴重な素朴」を宮崎駿監督が自らの手で握ってくださいました。そのおにぎりを原型にしてこの「ハクのおにぎりフィギュア」を再現しました。
『千と千尋の神隠し』
宣伝広報プロデューサー 糸井重里
本当は全文章をボールドにしたいくらい、
おにぎりが持つ魅力やその文化の素晴らしさが
ギュッと詰まった但し書きだと思いました。
無駄がなく、想いが込められていて、
読むだけでなんだか心がポッと温かくなる、
この文章自体が、まるでおにぎりそのもの。
***
どんな料理にもストーリーがある。
作る人、届ける人、食べる人の分だけ話がある。
けど、
お米を炊いて丸めただけの
簡単な料理だからこそなのか、
おにぎりのストーリーは幅広い気がする。
今回おにぎりを食べ続けて、
私が思い出したのは、静岡の祖母のおにぎり。
ツナマヨを握られたことはなかったけど、
しょ~~っぱい鮭がたくさん入ったおにぎり。
帰省の帰り際に、いつも大量に持たされ、
新幹線や車の中で食べたっけな。
そんな祖母が逝去してから
今月でまる一年が経とうとしています。
全親族が揃っての一回忌はなく、
残された祖父の施設面会もガラス越し。
色々と寂しくしょっぱい世の中ですが、
この塩気は必要な塩分なのかもしれません。
おにぎりと涙って、セットなんすかね。
***
シンプルだからこそ、
思い出がどんな色にでも染まれる。
おにぎりにはそんなパワーがあって、
食べると不思議と有難い気持ちが湧いてくる。
そのシンプルさが糸井さんの言う「素朴」で、
その有難みが糸井さんの言う「貴重」なんだと、
つまり「素朴」こそ「貴重」なんだと、
そう解釈したところでお腹が空いてきました。
そして思い浮かぶのは、やはりおにぎり。
これだけツナマヨを食べ続けたのに、
意外と飽きが来なかったのも、
おにぎりの持つパワーだなと感じます。
近いうち、
今度は塩むすびをスタンバッて
千と千尋を見返そうかな。
なにはともあれ。
アフリカ、アジアの子どもたちに
千尋の涙と元気が届きますよーに!
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