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捨てた夢をめぐる夜

幼い頃から、大人に求められるような夢を持っていなかった。

「大人になったら何になりたいの?」「何をしたいの?」と、彼らは笑顔で私に尋ねたけれど、それに答えるための言葉は私にはなかった。
記憶のないほど幼い頃、ケーキやさんになりたいとか、おはなやさんになりたいとか、私はそんなことを話したという。いったいそれはだれの夢だったのだろう。


夢は、持っていた。
けれどそれは、彼らが欲している答えではないことも私は知っていた。だから夢はあるかと聞かれれば、半ば反射的に、特にないと答える癖がついた。

10年間、わたしは同じ夢をみて、10年後、その夢を捨てた。

夢だった。私はただ、幸せな家庭がほしかった。


夢を持った日

何を言っても伝わらない相手がいることを、私はきっと少しだけ早く学んだ。私の声は、いつも両親に届かなかった。2つ上の姉が、ことごとく言い争いで玉砕していくのを傍目でみながら、私は最低限の戦いをもってそれを学んだ。

愛されていなかったなんて思っていない。幸せではなかったなんてことも言えない。彼らは彼らのもつ愛を、それがたとえ歪んでいたとしても与えてくれたのだと思っているし、彼らにもらった幸せも、私はちゃんと覚えている。

でもだからといって、簡単には消えない痛みを、同時に受け取ってしまったのも、また事実だ。

感情的に泣いても、理論整然と対抗しても、伝わらないことを知った。彼らには彼らの世界の「正解」があって、それは私の言葉程度で、涙程度で、苦しみ程度で、変わるものではなかった。彼らには彼らの苦しみがあると、それは彼らが生きるための方法だったと、理解できるようになったのは随分と最近のこと。当時の私は、訳もわからず、怒りも悲しみも胸の中に押し込んで、押し込みきれない感情を涙で流して、ただ、彼らを憎んでいた。どうして私はこんな家に生まれたのか。こんな家でなければ。こんな家でなければ。

ああ、抵抗は無駄なんだと思ったのはいつだっただろう。無駄なのに、それを信じられなくて、信じたくなくて、泣きわめいたのはいつまでだっただろう。声をあげるのをやめたのは、いつだっただろう。


夢は、希望だった。生き抜くために、必要なものだった。全てを投げ打ってしまいたくなる日々を超えるためのものだった。大げさかもしれないけれど、それでもあの日、あのとき、それが私にとっての現実だった。少し早い反抗期のようにも思われたその日々は、年を重ねても終わりをみせず、いまになって振り返ると、あれが、夢を夢だと認識した瞬間なんだろう。

その日、電気を消した部屋の中でふと思った。両親にされて嫌だったことを全部ノートに書き留めておこうか。12歳の私がどれほど辛かったか、きっと私は忘れてしまうから。12歳の私が、13歳の私が、14歳の私が、何に苦しみ、何に怒り、何を幸せと感じたか。書き留めておけば私は将来、いいお母さんになれるんじゃないか。自分の子どもに、こんな思いをさせなくてすむんじゃないか。


私は、幸せな家庭がほしかった。
そこは帰ってきたくなる場所。安心できる場所。
顔色を伺わなくていい場所。
父の無力な暴力を見なくていい場所。母の悲痛な追随を見なくていい場所。兄弟の苦しさを、悔しさを、涙を、見なくていい場所。息をとめなくていい場所。言葉をのみこまなくていい場所。皮膚に爪を突き立てなくていい場所。壁を殴らなくてもいい場所。

結局、ノートに書き留めることはしなかった。
少女がみた夢だろうか。でもそれだけが、私がその日から10年間持ち続けた夢だった。それだけがほしかった。



夢を捨てた日

22歳だったある日、私はその夢を捨てた。捨てることを決めた。そう決めることを覚悟した。それは幸せになるための覚悟だった。
頭の中で何度言い聞かせたかわからない。それはもう捨てたんだと。覚悟したじゃないかと。一人で生きていくしかないんだと。強くなれ。強くなれ。強くなれ。強くなれ。

強くなれ。強くなれ。

恋人とは、結婚できないね、と言って別れた。別れようと言われたとき驚かなかった。心がすっとして、やっぱりそうかと思っただけだった。涙が出ないことに焦って、少し、泣いたふりをした。

どれほど私が両親とうまくいっていなかったか、家庭環境とよばれるようなものが好ましくなかったか、知っていると思っていた。私が彼らから逃げながら生きてきていたこと、知っていると思っていた。知っていて私に近づいたのだと思っていた。彼のような人でも、耐えられない両親ならば、家庭環境ならば、わたしはもう、だれにもこの負担をかけることはできない。私が両親に対して抱えていた不安の、半分も彼には明かしてはいなかった。それでも彼は、私と一緒にいられないと言った。

たとえ誰かがそんなことは気にしない、大したことないと言ったとして、その言葉に甘えて負担を強いて、いったい私は幸せだろうか。いったいどうやって相手を幸せにできるだろうか。そんな負担を強いた代償に、いったい私が何をあげられる?私といるのが幸せ?そんなことで、そんなことで現実を乗り越えられるなら、世界はいつだって幸せで満ち満ちているだろう。


私がそれを夢と呼んでいたこと、彼は知らなかっただろう。私がそれを捨てようとすること、彼は想像しなかっただろう。別れを切り出したのは、彼のやさしくない、やさしさだっただろう。

そこに愛があったかなんて私は知らない。愛なんてなければ話は簡単だ。そこにはエンターテイメントから抜け出したような恋愛があって、私たちは感情を、消費しただけなんだろう。でも、たとえばそこに愛があったとしたら?
あったとして、愛なんてものは、現実に対して無力だ。

強くなれ。強くなれ。
一人で立てる人間に。
強くなれ。

これまでだって、何度だってそう言い聞かせてきた。
家を絶対に出ていくと決めた日、何にも変えることのできない大切なものを捨ててでもここから逃げると振り返った道、寂しさに襲われたひとりの夜、蛍光灯、曲がり角。何度だって何度だって、その言葉は私を救ってくれた。

強くなれ。強くなれ。

一人で生きてきたなんて思っていない。たくさんの人に愛されて、助けられて、両親にすら感謝の気持ちを持ちながら、私はいま、ここにいる。それでも、強くなれと、そう自分に言い聞かせなければ、どこかで心が折れてしまいそうだった。

強くなれ。
一人で立てる人間に。
強くなれ。

何度も何度も自分に向かって叫び続けてきた言葉が、私を救い、苦しめる。

これは呪いですか。生きるためのお守りですか。

強くなれと鞭を打たなければ、心に寄り付こうとする夢に甘えてしまいそうだった。強さを諦めたら、だれかに寄りかかったら、途端に覚悟した過去も消えて、届かない希望に目が眩みそうで、強さにしがみつく弱さで自分を保っていた。



捨てたはずの夢は捨てきれず、覚悟することの無力を知る。
私はいったい、何を覚悟したのだろう。
きっと私は、夢を捨てる覚悟などできないまま、それを手に入れられない未来を、それが現実になるよりすこし先に、受け入れる準備をしている。これは私の選択だったと、早すぎる言い訳をして。それはいつ、叶わなかった夢になるのだろう。


夢を、みていました。



そして、

文章は、ここで終わるはずだった。
けれどどうしても文章を終えることができなくて、ここまでの文章を書いてから、およそ2ヶ月がたってしまった。
すこし長すぎたかもしれないけれど、時間がすぎてしまったのには理由がある。

何かが引っかかって公開ボタンを押せなかったこと、そして、文章にするよりも、自分の変化のスピードの方が、早かったことがその理由だ。
文章を一旦形にして、翌日見直す。書いたときは納得感があったはずなのに、翌日、数日後に読むときにはもう、自分の感情が変わってしまっている。もちろん180度ちがうなんてことはないけれど、細部に、過去に思ったことと、今思っていることのちがいを感じてしまって、引っかかりを解消しなければ、細部のちがいを直さなければ、書き終えられないと思った。

私は毎日、ゆるやかに変化している。だから過去の思いの詰まった文章はそのままに、この章を書き加えることにした。おそらくこの文章も、数日たてばすこしちがうと感じる部分があるのだろうけれど、一旦書き終えた内容がしっくり感じられたので、思い切って公開ボタンを押してしまおうと思う。感情は移ろうし、意思も変化していくかもしれないけれど、これは今日の私の、意思であり、願いでもある。


私は、愛のない人間になりたくないと思う。希望を信じられない人間になりたくないと思う。それらを拒絶するような人間に、否定するような人間に、そこから逃げ出すような人間に、なりたくないと思う。

揺れ動く感情ではなく、意思としてそう思えるようになったのは、自分の苦しんだ過去から、私がちゃんと逃げてきたことを、認められるようになったからだと感じている。夢は、息苦しさから逃げ出すための希望だったけれど、今の私には、当時と同じ形の希望は必要ないのかもしれない。だから「夢」を捨てようとしたことも、それを受け入れようとしていることも、ほんとうは、気に病む必要はないのかもしれない。


私は、逃げるべきものからちゃんと、逃げてきた。

だからこれから私が選ぶのは、過去の寂しさを埋めるためのものではなく、過去の理想を投影するためのものでもなく、大切な人たちに支えられながら自分の足で立てるようになった私が、望むものだ。

そうは言っても、きっとまだ私は夢だったものの存在に、後ろ髪を引かれてしまいそうになるのだろうけれど。気に病む必要はないなんて言い聞かせながら、ときどきはそうやってまた泣くのだろうけれど。

愛なんて信じられないと、思う日もあるかもしれないけれど。その先に幸せなんかないと臆病になる日もあるかもしれないけれど。


それでも、

いったいそれがどんな形をしているのかわからないけれど、

私はやっぱり、

やっぱり、愛を、希望を、信じていたいのです。



P.S. さいきんは、ずいぶんとあの言葉を言い聞かせる夜もすくなくなりました。相変わらず、強くはなりたいけれど。




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