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幸運の功罪

レントゲンの画像を指差しながら、先生は涼しい無表情で私を振り返る。

「うーん、ここね、ほんのちょっとなんだけど、折れて...ますね。1mmくらいなんですけどね。」

「1mm...ですか。」

「うん。1mm×3mmくらいかな。ほんとうに小さいけれど。なので、残念ながらあと2週間くらいは痛むと思いますよ。」

はい、と苦笑しながら私が答えると、これからの治療について先生は説明し出した。

骨折━。随分と久しぶりに耳にする響きだ。
骨折というよりヒビと言った方が、頭に思い描くイメージは近いものになるのだろう。
ことの経緯は階段を踏み外したことだった。何故、と問うことに意味はない。私はその瞬間のことを殆ど覚えていないし、気づいたら片脚に全体重と落下のエネルギーが炸裂していたのだ。たしかに身体の感触が、これはよくない痛み方だと警鐘を鳴らし続けていた。

以前骨を折ったのは、もう10年も前になる。その時被害を受けたのは手の指で、本格的な粉砕骨折だったから、今回の何倍も痛みがあったと記憶しているし、患部は毒々しい紫色に腫れ上がっていた。

もう少し詳しくレントゲンを撮ることもできますよ、という先生に、治療方針に影響がないなら大丈夫です、と私は受け答える。

やけに冷静だな、とふと思う。骨が折れたにも関わらず、私はどこかそれを楽しんでいる様子すらあった。両の手で数えられるくらいの歳差の先生の丁寧な説明を聞きながら、端正に整った顔をしたその人の静かな瞳を呑気に観察していた。随分としっかり目を見て話をしてくれる人だった。最近のお医者さんはみんなパソコンの画面を見てパチパチするばっかりよ、と昔祖母が言っていたのを思い出す。

驚いたのは、私はそれほど、ショックを受けなかったということだ。余裕があったと言ってもいい。
なぜそれが驚きだったかといえば、捻挫や骨折、日常生活に支障が出るような怪我を負ったとき、診療室でさめざめと涙を流すのが、過去の私の基本的な性質だったからだ。整形外科という場所はいつも、涙を免れない場所のはずだった。


不便であることは不運ではない

脚を骨折した私の生活に否応なく訪れた変化は、"時間"である。
何をするにもとにかく時間がかかる。病院から帰るまでにいつもの倍以上の時間を要し、家に辿り着いてから階段を上るのにいつもの3倍の時間を要した。部屋のなかを移動するにも、うまい体重の逃し先を見つけながらのろのろと時間を食う。ちなみに階段はどうあがいても上ることができなくて、膝をつけて上った。誰かに見られたらぎょっとされるに違いない。世界がバリアフリーを叫ぶ声は、まだ小さすぎるのだろう。

会社に行くことを考えると少しは憂鬱になる。家から駅までいつもの倍の時間、乗り換えでいつもの倍のバッファをとり、座れない可能性なんかも考慮すると、いつもよりいったい何分早く家を出ればいいのかと困惑する。進行速度の割には不自然なほど息を切らして帰宅し、「骨折との診断でした」と会社に連絡を入れながら、いまこそ私にリモートワークの権限をくださいと天を仰いでみる。

でも、それだけだった。
仕事は変わらずあるし、これまで通りに話を聞いてくれる友達もいる。生活は不便になり、片脚がないことの歪みを全身の筋肉痛でもって補わなければならないけれど、それらはすべて時間が解決してくれることで、更に言えばこの脚だって時間がたてば治るはずのもので、恐れるものは何もない。

私には、失うものがなかったのだ。


不便が不運に変わるとき

対して、10年前に手の指を粉砕骨折したとき、私は白い診察室でわあわあと泣いた。それは決して、痛みのせいではなかった。

そのとき私は中学生で、バスケットボール部に所属していた。決して強い学校ではなかったけれど、それ相応に努力はしていた。レギュラー争いは熾烈で、淡々と練習をこなしていくことが、当時の私にできることだった。今思えば努力の仕方が格段に下手だったけれど、本気だったかと問われれば、間違いなく本気だったと答える。

そうして、思う。
当時の私にとって、指を負傷することは自分の価値を下げるものだったのだ、と。負傷は日常生活の不便に加え、練習に参加できないことに、試合に出られないことに直結し、それはまるで、自分の人間としての価値すらも下げるもののように思われた。努力してきたという事実は、結果如何に関わらず、当人の中で絶対的な価値を持つ。
そして、逃れられないのは環境だ。私はそのとき、自分の身体性を能力に、そしてその能力を存在価値に変換する世界で戦っていた。だから身体が動かなくなったとき、その世界で私の価値はいとも簡単になくなってしまったのだ。
自分の過去を拠り所にした絶対的な尺度と、その場所での相対的な尺度の両方において、骨折は私を絶望に陥れた。


幸運の功罪

きっと生活の中での不運は、それまで費やしてきた時間と自分を取り巻く環境によって切り分けられている。

自分で選び、自分で時間をかけると決めたものの結果は、結局自分が引き受けるしかない。その絶対価値は、誰にも手出しができないはずだ。それによって生じてしまう喪失は、私たちが時間という流れのうえを歩いているかぎり逃れることはできないのだろう。
けれど身を置く環境は、人を打ちのめすこともできれば、当人の価値を保存し続けることもできる。


だからやっぱり、バリアフリーはもっと世界で叫ばれるべきなのだ。そこで意味するのは、階段や、手すりなどの物理的な障壁の話だけでなく、言葉が本来持っているもっと広義の意味で。人が、「あるはず」のものを手にできないときに、そのことによって人の価値が変わらないことを、環境は主張することができる。それは同時に、持たざる人をあまりに簡単に排除できてしまうことを意味する。

私が膝を使って階段を上ったときに絶望を感じなかったのは、私の怪我が何ヶ月か後には治癒していることを知っているからだ。それは未来のことであるはずなのに、たいていの予期よりもずっと確実性が高い。少なくとも私にはそう感じられる。本来の私は怪我をしていない私であり、その本来に回復していくはずであるから、階段という障壁は、本来の私の障壁ではありえない。"本来"などというものが存在するならば。

「分人」という考え方がある。作家の平野啓一郎さんが提唱している考え方で、それによると、人は対人関係ごとに「個人」をさらに細かく分けた「分人」という単位を持っている。仕事相手との接し方と、家族や友達との接し方は当然ながら異なる。それらの「分人」は、好むと好まざるに関わらずすべて「本当の自分」である。

けれど心を丁寧に眺めてみると、「これが本当の私だ」と言いたくなるような自分は存在している。いくつもある分人のどれもが自分だと認識したとしても、その中で肯定したい自分とそうでない自分があることもまた確からしい。怪我をしている状態の私はもちろん私であるけれど、私はこれから怪我をしていない本来の私に「戻って」いくのだ。それは単に物理的な状態の話ではない。自分の存在を、何において肯定しているのか、肯定されたいのか、肯定を求めずにはいられないのか、そういう話だ。
もし、私が片足で歩くという状態への肯定を求めていれば、一人の力で上ることの敵わない階段が生活の中にそびえ立っているのを見て、絶望したのかもしれない。「あなたの存在を、世界は認めていません」というメッセージに。


幸運は、偶然手に入れられたことを称賛する文脈で使われることの多い概念だ。けれど幸運は、もう一つの重要な意味を内含している。

もう一つの意味で、私はただ、幸運なだけなのだ。
自分が拠り所にしているものを偶然世界が許容してくれていたという、そういう幸運。その幸運は、獲得していく幸運よりもずっと見えづらく、その幸運への無自覚は人を深く傷つける。


参考:「私とは何か」平野啓一郎





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