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涙ぬきのこと

きっかけは油揚げ。見るともなしにテレビで料理番組を見ていたら、油揚げの下処理として熱湯をかけていた。「油抜き」というのだそうだ。油揚げが油っぽいのは当たり前なんだが、さっと湯をかけて余分な油を抜いたほうがよりおいしくなると言っていた。そのことになぜかとても感心してしまった。

音楽に置き換えるとどういう行程になるのだろう。それで「涙ぬき」ということを思いついた。たいしたことではない。涙をぬいて泣かずに歌う。それだけのことだ。と言ってしまうとこの文章が終わってしまうので、もう少し説明してみます。

もともと泣きながら歌うのは好きではない。そういうパフォーマンスを見るとちょっと気持ちが後ずさりしてしまう。好みの問題なのかもしれないけれど、演者にも客観性は必要だと思う。客席から自分を見る目というか。

「のこされし者のうた」という歌を作ったとき、自分で作っておきながら泣けて泣けてしょうがなかった。昔からそうなのだが、わたしは泣いてしまうと全く声が出なくなって歌えなくなる。昔のレコード大賞の番組で、受賞歌手の中には涙を流しながら上手に歌う人もいたけど、あれはどうやって歌っていたのだろう。

感情があふれるのは悪いことではないと思う。感情は豊かなほうがいいし、感情がない歌なんて聴きたいとは思わない。でも、過ぎれば溺れてしまう。聞く人が経験や感情を歌に乗せることができなくなってしまって、そのパフォーマンスに対する解釈が1通りだけになってしまうような気がするのだ。考えるすきまを残しておきたいということかもしれない。

だからそういう楽曲は涙が出なくなるまで家で何回も何回も歌ってみることにしている。どんなに悲しい歌でも100回歌えばさすがに涙は出なくなる。その上で、その曲でやりたいこと、こぶしをきれいに回すとか、音程を正確に取るとか、そういったテクニカルなことを思い描いた通りにやれば歌は必ず届くと思う。

そうして涙ぬきした歌には、楽曲のよさと歌い手のよさ、それぞれの滋味がふんわり匂い立つはずだ。残り香くらいのが。そうだったらいいなと思って歌っている。

一週間に一度くらいの頻度で記事をアップできればと思っています。どうぞよろしくお願いします。