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子どもが急に不登校(笑)

おはようございます。

水野真理子です。

うちの子供の話。

でも、あんまり書きたくなかったーー。

不登校。

こんな風に聞いてどう思いますか?

私は、ノビルスクールをやっているから、学校行かなくても大丈夫だよ。

いいんだよーー。

そんな選択肢もあるよ。

とみんなに言っていました。



ですが、自分の子供が急に学校に行かなくなったら、

ガビーーーーーン!!!!!

怒るし、子どもをたたくし、蹴るし。

DVしましたm(__)m

自分ごとになると、人が変わる。

他人のことだと気持ちがゆっくりできるのに、自分のことだと全然落ち着かない。

なんで、学校行かんねん。

お前何なんやねん。

ちょっとぐらい我慢せーやー。

そんな風に子どもに言ってました。

心のどこかで学校に行くことが普通で、

学校に行かないことがだめなことだと刷り込まれていたんですね(笑)

学校に行ってくれる時間に仕事ができるし、家事ができるし、

色々なことができる。

それが当たり前だったから、行かない生活が考えられなかった。。。




あと、子どもが最初はどんな理由で行かないかを言わなかった。

いや、言えなかった。言葉にできなかったのかもしれない。

もやもやしているけど、どういったらいいかわからない。

そんな感じだったのかもしれません。


まー、とりあえずありえないーーー。

しかも、学校の先生が頼りにくい。

そのうえ、いやいやこどもが不登校なんて相談しにくい。

ノビルスクールやっていることが逆に邪魔していたのかもしれません。

恥ずかしかったのかも。

私は変なところでプライドが高い。。。。



ただ、時間がたつうちに子供から話が聞けるようになった。

クラスが嫌なのかー。

担任が嫌なのかー。

いろいろ楽しくないのかー。

その楽しくないを、どう楽しくするかを考えることもいいと思う。

ただ、うちの子供はノビルスクールの楽しさを知っている。

そして、自分で主体的に動く重要性も少しわかっている。

自由がどれだけ大事で、感情を大事にしていくことがどんなに大事か知っている。

だからこそ、一緒に将来も見据えて考えた。




たださ、いつの間にか私は子供に決めさせていたつもりが、自分の気持ちを押し付けていたり、時間がかかることにイライラして、「早く決めてほしい」と自己決定をせかしていたから、こどもが決められなかったんだと思う。

どうしても、いつの間にか先回りをして、マイナス面を伝えていたのだ。

いつもこどもに失敗させた方がいいよと自分が言っているにも関わらず(´;ω;`)

反省してます。

ただ、つまづかないと気づかない。

そんな性格です。



子どもにどんな風に考えていくかを将来も含めて話していく。

どんな風にやってもオッケーだと少し思えるようになった。

我慢って本当に大事なんだろうか。

我慢しないといい人生が送れないんだろうか?

私は幸せになってほしいと思う。

幸せになるのに、我慢って絶対なんだろうか?

きっと、私が小さいころから我慢をたくさんしてきたんだろう。

我慢したことで、うまくいったこともある。

でも、その逆もあるのだ。



子どもたちに生き生きと生きてほしい。

幸せに生きてほしい。

そんな風に考える。

そのために学校って必要なんだろうか?

学校って何なんだろうか?

いつも自問自答(笑)



最近、日曜日の初耳学にハマっている。

その中で、伊集院静さんと林修さんが話をしている中に、

道草が大事だという話をしていた。

みちくさが多い方が、人生が豊かになると。

きっとうちのこどもにとって、今は道草の時間なのかもしれない。

人生って回り道してもいいし、休んでもいい。

ずっと転ばず行くことなんてなくて、ない。

失敗するから優しくなれるし、

人の気持ちをたくさん考えることができるようになる。

親として、近道を教えたくなるし、自分がした失敗をしてほしくないと思ったりする。

でも、自分も悩んできたし、苦しい時期もあったし、遊びの中や様々な経験の中に学びが詰まっている。

それをその対談や、ノビルスクールの子どもたちに教えられているのかなと思う。

自分のまじめさや自分の硬さを緩めて、成長させてもらっている時期なのかもしれない。


私もみちくさを大事にしようと思う。

一緒にこどもとみちくさしてみよう。


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