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アフターコロナを生き抜く力~牡蠣は飲み物ではありません~

自粛によって盛んになっているZoom飲み会。昨夜も3時間盛り上がり日付をまたいでしまいました。

今まさに新型コロナの影響でどんどん常識が変わっていくよね、そんな話。

知的好奇心の高い人たちと有益な話だらけだったので、そこから自分なりに考えたこと、記録に残しておこうと思います。

牡蠣は飲み物ではない

これまでリアルでの飲み会は飲む量、食べる量に関わらず割り勘のことも多かったと思います。全くお酒を飲まない人も水のように飲む人も。飲まない人からすると不公平感があったのではないでしょうか。

以前、集まりに参加したらワイン(一本何千円)を水のように、牡蠣(一粒数百円)を飲み物のように摂取した結果、一人8000円位のお会計に。ちなみに私はどちらも食べていない。

そこからだんだん、飲み方が派手な人とは飲みに行かなくなった。

でも、Zoom飲み会なら食べたいものを食べて、飲みたいものを飲めばいい。寝たい人は寝ればいいし、子供が起きてきたら一緒に参加したっていい。タバコのニオイだってつかない。

今回の自粛で多くの人が「あれ?飲み屋で飲むよりオンラインの方が安いし気軽だし楽しいのでは?」と気づいてくれて、世の中の大きなスタンダードになってくれたらいいなと心から願っています。

牡蠣は飲み物じゃないし、酒は水ではないよ。


居酒屋は4000円が一番損

*これは私の考えではなく、飲食業界経験者の方がお話されていてすごく納得した話。

基本、飲食業界において人件費というのはそこまで差異がない。そうなると、単価4000円のところに比べて1000円UPした単価5000円のお店にすると単純に食材などに1000円多くお金を掛けられる。4000円というのは安いわけでもないのにそこまで美味しいものが食べられるわけではない、一番中途半端な額、らしい。

確かにホットクックで簡単に美味しいものが自宅で食べられるようになった今、4000円代の居酒屋で食べると損した感がすごい。ガヤガヤした煙臭いお店で生ぬるいビールとレンジで解凍した枝豆を食べて4000円って…と。

確かに安く済ませたいならZoom飲み会やサイゼリア、スシローで飲めばいい話だし、たまに非日常感をだしたいならおしゃれレストランでリッチなディナーを食べればいい。安さをウリにするか、非日常感を提供するか。中途半端な単価の業態は衰退していくのかも知れない。


教育の格差は地域差から親の意識差へ

学校が自粛になり、子供の学びを親が長時間担うことに。そして学びの場としてオンラインが増えてきました。

これまでは「いい学校」に活かせるべく「いい立地に住むこと」が、受けられる教育の差の多くを決めていました。

でもオンラインで色々な学びが(時には無料で!)手に入る時代。

いわゆる親の情報リテラシー・情報感度・教育への意識のようなものが明暗を分けていくようになると思います。

特に何も考えずに高いからいいものだ、とありがたがってアナログな塾に通わせるよりも、オンラインで無料で手に入る学びの方がエキサイティングでインタレスティングで子供も親もハッピー、なんてことがどんどん起きていく。(カタカナ多用しすぎ)

これまでは住んでいる地域にたまたま近い学校、塾、ピアノ教室などからより良いものを選んでいました。けれど、これからは日本中、そして世界中から自分に合う先生を習いたい項目ごとに選べるようになっていきます。

ユーザーからすると超チャンス。エリアメリットにあぐらを書いていた指導側は大ピンチ。面白くなってきそうです。


ググれるのも才能

上記とかぶる部分もあるが、

「疑問に思ったことをうまく調べられる能力」

というのも一層格差を助長していくと思っている。

Twitterでもよく見かけるが、有名な人が

「AはBで…」というTweetをすると

「Aってなんですか?」とリプでその人に直接聞く人が少なくない。

Twitterに打ち込んだその文を一字一句そのままGoogleに入力すれば、Google先生がピンポイントな回答を提供してくれるのに。

人に質問するのが悪い、ということではない。

なんだろう?とあなたが思った時、大体すでに何人もの人が疑問に思い、何人もの人がネットに問いかけ、答えてくれている人がいる。丁寧にまとめてくれている人がいる。まずは調べてみるというスキルを手に入れると、もっと早く先にすすめるのではないだろうか。

情報はもう腐るほど世の中に転がっていて「情報を多く覚えている脳内HDの容量」はもう必要ない。

(高校の公民の授業で日本国憲法前文を全て暗唱するまで合格にならないテスト、きつかったな…)

「あれ?」と疑問に思うこと、そしてそれを的確に調べて情報を持ってきて自分なりに咀嚼し、理解すること。それができるかどうかで目の前に広がる世界はどんどん変わっていく。


日本のアニメは時代劇

Amazon Fire Stickで無限に動画を見せられるのは便利な一方、不特定多数の情報を子供が触れやすくもなった。(子供がYouTubeにのめり込んだため、Stickはしばし封印中)

ここ数年、世の中の「当たり前」にどんどん違和感を持つようになって気づく。これまで見ていた日本のアニメはどれだけ前時代的だったかということを。

三世代で住み、女は専業主婦、家長の言うことは絶対で、男は戦い、女は守られる対象。大室先生のTHE UPDATEでの発言、

「ドラえもんは時代劇としてみるべき」

があまりにも共感すぎて事あるごとに引用させていただいている。

一方、ディズニーやトーマスなどは時代に合わせて変化をしている。

美人な白人のプリンセスが素敵な王子様がKISSしてくれるのを待つ、がデフォルトだった時代から、

「少しも寒くないわ」と孤高に一人で生きていこうとするエルサへ。
(え、例えがイケてない?)

余談だが、アナ雪といえばこの記事(cakes有料記事)を心からおすすめしたい。アナ雪から考察する子供の「個性」について。

子供の個性は大人の都合で「長所」「短所」と分けられるだけで、ただの特性に過ぎない。個性は武器にも毒にもなるよ、というお話。


ずるいという言葉の違和感

最近新型コロナ騒動によって世の中全体がイライラに包まれている。匿名で発信できるTwitterはもろにその影響を受けていて、Twitterに疲れ、距離を置くようになった人も多いのではないだろうか。

自分の置かれている不遇な環境によるストレスを、見ず知らずの有名な人に(何でも自分より恵まれていると勝手に決めつけ)投げつける人も増えているようだ。

ずるい、という言葉に年々違和感を持つようになった。なんでだろう、と考えて最近結論が出た。

「あれもこれも持っていて素敵に見える人」を見た時、自分は今いる場所以上に成長できないと諦めているからこそ、人を引きずり下ろすことで自分の位置を相対的にあげようとしているのではないかと。つまりずるい、と思った瞬間に自分で自分を諦めているのだ。

自分もまだまだいける、成長・変化できる、と思う人は素敵な人をみてわたしもあんなふうになりたい、と自分をあげていくことに忙しいのではなかろうか。

(あ、もちろん全てに対して当てはまるのではなく、対等に扱われるべきなのに片方だけ故意に優遇されているとかそういうのは除く。賄賂とか?)

もちろん今人生や生活が苦しい人は100%自己責任だ、などと全く思わない。今回の騒動で追い込まれている人は多い。でもだからといって、無関係な人を誹謗中傷し、傷つけていい理由にはならない。素敵に見える人だって自分と同じ人間の心をもっているし、その人なりの苦労や悩みはあるものなのだ。


まとめ

仕事が終わったら走って保育園にお迎え、ご飯、お風呂、寝かしつけ…。

飲み会ゴールデンタイム=育児のゴールデンタイムであった私にとって、Zoom飲み会は新型コロナ前から開催されていて割と身近なものだった。

むしろ、今回のことで世間にZoom飲み会が増えて「みんな、待ってたよ♪」とも思ったりしている。


今起きているこの騒動で、これまでの多くの常識がガラガラポンされていくのだろう。

自分で考え、変化を楽しめるかどうか、それがアフターコロナを生き抜く力になるのかも知れない。

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