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JAPAN⇄CANADA 2-8

日本で所属していた部活との関わりはずっと続いていました。私は当時、感想まとめ係を担当していました。仕事内容は、毎回本番を迎えた後に1人1人良かった点や改善点を感想として私にメールで送り、それを1つにまとめて先生に送るというものでした。場所関係なく作業できて、なおかつ部の現状や部員の状況を把握できる私にとってはとてもありがたい係でした。

ただ、そうしていく中でだんだん距離を感じていたのも正直なところではありました。みんなと一緒にいないのに部員全員の思っていることや考えていることを知ったところでなにもできないもどかしさから心苦しくなっていたのです。また一緒に演奏したい、せめて最後になったであろう年の定期演奏会にはいたいなと切に思いました。

そんな私の想い通じてか、先生が、そして部員が私に定期演奏会に部員として参加してほしいと連絡してくれました。あとは私の問題です。果たして親は私がその時期(まで)に日本に帰ることを許してくれるのだろうかと不安になりました。まみーには日本に帰りたいことは言っていたけれどハッキリ「いつ」とは話さなかったし、だでぃーには曖昧にしか言っていなかったので、両親にはどうやって伝えたらいいのかとても悩みました。悩んでは帰りたい気持ちが募り泣く、という日々の繰り返しがずっとずっと続いていました。

ただ、この頃から帰って今すぐ住むという気持ちは薄らいでもいました。いつかは帰って住むけど、今は目の前の高校卒業に向けて頑張りたいと思っていました。今この時点で日本に帰り高校に通い始めたとしても、同級生に遅れをとるのはかわりなかったので仕方ないという気持ちが正直なところでした。ただそれと同時に家族と離れるのも悲しいなと思うようになっていました。とりあえず夏帰りたい。この気持ちが、強く強くなっていました。

なんだかんだで引っ越して半年が過ぎようとしていました。カナダの冬がいつ終わるのか遠い目で眺めながら授業を一緒に受けている生徒と打ち解けつつなった頃です。やっぱり日本に帰省したいと思い、私はまずまみーに伝える決心を固めました。部屋で話したいといって呼びました。まみーもなんとなく察していたようで、私の話に耳を傾けてくれました。引っ越してから一生懸命頑張ったから、定期演奏会に参加するために日本に帰らせてほしいと訴えました。

まみーは私がカナダから完全撤退して、日本で住みたいと言うと思ったらしく安心してそして泣き出しました。それを見た私もつられて泣き出してしまいました。本音は帰って住みたい、でも今は家族と一緒に過ごしたいと言ったか言わなかったか覚えていませんが、今は一時帰国でいいと伝えました。ただ、苦しいのも事実だからせめて定期演奏会には出させてほしいと言いました。まみーは私が笑顔になってほしいし、ずっと苦しいままでいて欲しくないし、しっかり頑張ってるからと日本行きを受け入れてくれました。ちょうど18歳にもなるし、18歳の誕生日プレゼントとして日本にいって楽しんでおいでと言ってくれました。
「そのままそっちに残らんでよ」
というまみーの冗談に
「ほんとに戻ってこなかったらどうしよ」
と冗談で返せるようにまで親子仲は元に戻っていました。むしろ今までよりも強く結ばれていました。私がほんの少しだけ大人になったからかもしれませんし、単純に仲が深まっただけかもしれません。(私は前者だと思ってますが。)

まみーには思いの丈をぶつけることができました。ただ、まみーにこんなことも言われました。
「家族のみんなに言うのはもうちょっと待って」

今思えば引っ越して半年程しか経っておらず、生活が安定していたかといえばそうではなかったのかもしれません。だでぃーも仕事はしていたけれどなかなか就くのに苦労したそうです。そして就いた仕事も悪いわけではないけれど求めていたものかといえばそうではなかったのかもしれません。そんな中で日本に夏帰ると言えば、少し悲しくなってしまうし、微妙な空気になっていたがもしれません。ここでまみーがまだ言わない方がいいと言ったのは正解だったと思います。

-つづく-

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