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JAPAN⇄CANADA 3-1

第3段のサムネイルイラストは、大学の最寄り駅から大学に掛かっている渡り廊下から見える景色です。カナダは冬になるととてつもなく日が短くなります。12月や1月になると8時半にならないと外が明るくなりません。実はこのイラスト、11月に撮った写真を参考に描いています。時間は8時10分頃でしょうか?丁度渡り廊下から朝日が見える時間帯です。私は毎朝この景色をみて登校していました。オレンジの光とダウンタウンのビル群から出てくるセントラルヒーティングの湯気。これを見るとなんだか心があらわれているようでした。そうして1日頑張ろうと思えたのです。東京は建物が密集していてこんな景色見れません。でもふとした時に、カナダで感じたような心があらわれる気持ちにさせれくれる景色に出会うと幸せになります。そして頑張ろうと思うのです。  

それでは、第3段もよろしくお願いいたします。


日本へは7月半ばから1ヶ月程帰省しました。その間私は幼馴染みあっぴーとちーちゃんの実家にお世話になりました。1年ぶりの再会で、しかも引っ越し前に散々迷惑をかけたので最初どう話しかけたらいいのか迷いました。たしか敬語で挨拶した気がします。いくら小さい頃から知っているとはいえ、そこはきちんとしないとという気持ちが働いたんだと思います。でもすぐに
「そんなかしこまらんでいいよ」
と言われました。引っ越してから正直地元に居場所があるのか不安でした。私のいない間みんなは各々の生活を普通に送っている。私がいなくても毎日当たり前のようにやってくる日常をみんなは過ごす。私の居ない自分の見慣れた場所の日常を想像することが怖かったです。でも、久々に見る懐かしい景色や人々に会い、かけてくれた言葉を聞いて止まっていた時が動き始めたように心のしこりがすっと消えていきました。みんながどう思おうが私は私であり、私の地元は永遠に私の地元。思い出も、景色も全て。 


最初の帰省の主な理由と目的は所属していた部活の定期演奏会への参加でした。私はすぐに通っていた学校へ向かい、部室に足を運びました。帰ってきた、そう思ったけれど1年居ないといろいろ変わっていました。もちろん2学年下の子たちがいたし、部室も模様替えされていました。帰ってきたばかりのこの時期はまだコンクール前だったのでみんなそれに向けて一生懸命練習をしていました。流石にコンクールには出場できませんでしたが、当日は部員の1人として荷物を運びみんなのお手伝いをしました。コンクールの様子を外から見ていると前年度のことを思い出しました。あの頃は毎日泣いていたな、あの頃の自分に大丈夫だよって声をかけたいなと思いました。そして少しは成長できたなとも感じました。実際に日本に帰っていた1ヶ月、多くの方から
「成長した」
と声をかけられました。もちろん物理的な成長ではなく、精神的な成長です。思うがままにただ行動してていた1年前とは違い、きちんと処理して対応できるようになっていたんだと思います。(それでも18歳なので限度はありましたが)思春期の成長はすごいと今更ながら思います。 


カナダで1年間過ごしていた期間、日本との連絡はもちろんとっていましたが、私がみんなのことを全て把握していなかった様に、みんなもまた私の全てを知っていた訳ではありません。心の中で
「私は笑顔で頑張ってるよ」
「きちんとやれてるから心配しなくても大丈夫だよ」
ということをみんなに伝えたい、そして伝染してほしいと思っていたのでそういうところが態度や振る舞いに出ていたのかもしれません。人間なにがきっかけで変わるかなんてわからないものです。私の場合、カナダでの生活がいい方向に向かっていってたのは確かでした。  

-つづく-

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