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JAPAN⇄CANADA 2-7

カナダでは、常に「日本に帰る」という強い意志のもと生活をしていました。毎日の授業も家庭学習も、日本に帰った後しっかりやっていくためにしていたようなものです。まずは半年。そう自分に言い聞かせてやっていました。

そんな私にはしている時に全部忘れて心の底から楽しめることが2つありました。それは音楽(吹奏楽)と美術です。音楽はそれこそ引っ越した当初からの支えでした。高校に転入してからは学校のクラリネットを借りて吹奏楽の授業を受けていました(※1)。メンバーと話したり馴染んだりはしなかったけれど、自分なりに出来る限りのことをして、先生との関係を築いていっていました。

美術は元々小さい頃から絵を描くことが好きだったのですが、授業を受けだしてさらに好きになっていきました。1人で自分の世界に入って黙々と取り組める、自分の伝えたいものを視覚的に落とし込むことが魅力的でした。この時は授業で課題に沿った画材を使って制作していましたが、それも1つの楽しい要因でした。さらにこの頃からインターネットで少しずつイラスト(特に日本の)を見だすようにもなりました。そしてここからアニメの世界にも足を踏み入れていきました。

この頃の1日のルーティンは学校、楽器の練習、家庭学習、ネット徘徊(主にイラストの閲覧とツイッター)、アニメ視聴、そして暇があれば模写。この繰り返しでした。どうせ日本に帰るんだからと友達作りもせず、信頼できる家族と先生、そして日本の友達がいれば満足という感じでした。学校の往復というありふれたつまらない日常でも、私の中ではだんだんと満たされたものになっていました。少しずつ日本にいる友達にも引っ越したこと、それを黙っていた理由を謝罪と一緒にメールなどで伝え、明るい話題の会話をするようになりました。

1歩ずつ前進している自分に驚きましたが、それと同時にどんどん日本での自分の存在が薄れていくんじゃないかという不安も増していきました。自分とはなんなのか、「なに」をして他人は自分のことを認識してくれてるのか、頭の中でぐるぐる回っては悩んで悲しくなって泣く。そんなこともしばしばありました。学校も順調ではあるけれどそうじゃない日もありました。たまにとてつもなく大きな不安が押し寄せてきて、泣きながら最初にお世話をして頂いた先生のところに向かい、話を聞いてもらっていました。こんな気分じゃ無理だと甘えて授業を遅刻したり、欠席することも多々ありました。

そんなブルーな気分でも楽器は吹いてて楽しかったし、絵も描いてて楽しかったです。そしてこの2つのことが私の人生において大きな大きな役割を果たすことになっていくのでした。

-つづく-

※1 カナダの高校は吹奏楽部がありません。そのかわり、音楽の授業の一環として器楽の授業がありました。器楽の授業を受ける生徒は自分の担当楽器を決め、必然的に吹奏楽をやるというのが一般的です。

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